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vol.5 想像力を培うことの副産物~やさしさを育むために必要な「4つのちから」~

本題に入る前に、執筆の意図や方向性、コンセプト記事をご覧くださいますと、より内容をお楽しみいただけるかと思います。

※以前に当記事の内容をご覧くださった方々へ
こちらのシリーズは、以前にアップしていた「やさしさを育むために必要な 4つのちから」とほぼ同じ内容ですが、読みやすさを考慮して分割したものになります。最終的にまとめ編として、以前の記事をそのまま再投稿する予定です。


前回までのまとめ

第1回 人の心を助けるやさしさとは?
第2回 自分にやさしくすると、他者にやさしくなれないのはなぜ?
第3回 矛盾だらけな気持ちに翻弄される私たち
第4回 忍耐しがたい事情と対応策

時に自分よりも他者を優先する「建設的で意図的な、美しい自己犠牲」と言う名の「思いやり」が、やさしさの本質であると私は考えているのですが、しかしこれを実践するには綺麗ごとでは済まされない、あらゆる障害が立ちはだかっているように思っています。

だからこそ、まずは「ぐっとこらえて」あらゆる可能性を探索する空間をつくり出すための方法を、マジメに考える必要があるのではないでしょうか。前回までは、「なぜ忍耐が必要なのか」ということや「どうして忍耐が辛いのか」について、あれこれ深めてきましたが、まだ「忍耐したらどんな恩恵がもたらされるのか」について語っていません。

今回はそのあたりにスポットを当てて、「ぐっとこらえるのもいいかもね」と、思えるようなお話がしたいです。

「綺麗ごと」が、やさしさへのハードルを生む事実

これまでは、どちらかと言うと「他者のために」忍耐しましょうとか、やさしさを育てましょうなどとお伝えしてきたので、やはりどうしても綺麗ごとのように聞こえてしまう気がします。

もちろん、他者のために行う「建設的で意図的な自己犠牲」はとても大切なことだと思っているので、ここを変えるつもりは毛頭ないのですが、正直なところ、「自分のことで精一杯だよ」とか「他者のことまで考える余裕がない」という事情があるかたもいらっしゃると思います。

だから今回は、ちょっぴり視点を変えて「自分のために」できることを考えていこうと思います。つまり、他者のためでもあるし、自分のためでもあるというお話をしたいということです。

「ぐっとこらえる忍耐力」を発揮するための動機になり得る、「過程に目を向けること」や「納得感を得ること」の大切さについて、前回の記事でお伝えしたのですが、まさにこの営みこそが「視点を増やそう!想像力」のお話につながっていきます。

上記を踏まえて、とても大切なポイントである「無理やりガマンと、理解からくる譲歩のちがい」を振り返りましょう。

「納得したい」という結果を目指してがんばっても心が追いつかないことはありますが、理解については「理解しよう」と思う気持ちがあれば取り組める、いわば「現実的な成果が得られやすい感情論」だと思っています。

つまり、積極的に想像力を働かせることで理解の幅が拡がり、その結果として「現実的な成果」として実感しやすい「納得する機会」が増えるということでした。これが「理解からくる譲歩」の、本質の部分です。

ここでようやっと、忍耐や想像することの恩恵のお話に移行します。

結論から申し上げますと、一見、面倒で骨の折れる営みのように感じる「理解からくる譲歩」を目指すことと言うのは、「自分が楽になる」という恩恵がもたらされると思っています。だから私は、全面的に、納得感を得るための「想像するちから」を身に着けることをオススメしたいのです。

こちらを選択することで、他者にやさしくなれるだけではなく自分自身の気持ちも楽になるという特典が付きますから、むしろ、「自分が楽になりたいから、やさしさを身に着ける」という、特典目当てで実践するのも個人的にはアリだと思います。

自然に湧いてくるものを無理やりに抑え込むのは自然に逆らうかたちになり、たくさんの体力を使うことになります。歯を食いしばり、ぐっと手を握り締めて、ちからを込めて耐えねばならないのは疲れてしまいますよね。だから、自然なかたちで「なるほどね」と思えると、ふっとちからが抜けて楽になるのです。

綺麗ごとを言うと、本当は「心を込めて」とか「他者を想って」などと付け加える方が素敵な印象を残せるのですが、格好つけたばかりに取り組むためのハードルが高くなってしまっては本末転倒です。繰り返しになりますが、イヤイヤ行動するのはあまり建設的ではありません。

また、結局のところ「想像する」という作業を入れることで、おのずと物の見方が増えるため、無理やりやさしくなろうとしなくても「なるほどね」の数が増えて、勝手にやさしい物の見方ができるようになると考えています。そのため、特典目当てでもいいと思っているのです。
(やさしいものの見方をするには「想像する方向性が大切」という重要な部分を含むため、機会があれば改めて執筆します)

要点を整理すると、つまり、ある程度は「無理やりガマン」をすることは避けられません。しかし、想像力を働かせることによってその割合を減らすことが可能になるということなのです。

100%を求めないことで得られる納得感=理解の感覚=やさしい視点

100%の納得感が得られることは難しいかもしれませんが、それでも「なるほどね」が多ければ多いほど、スッと詰まりが流れていく感覚を味わえるはずです。そのため、たくさん想像すればするほど、楽になっていくと考えています。(がんばって取り組んでいることだから、きっと、そうなると思いたいですね)

このように、わからないものをわかろうとする過程を地道に踏んでいくことで、「腑に落ちる納得感」が自然体で得られやすくなるのではないでしょうか。繰り返し繰り返し、染みつくほどに取り組むから、それが「クセ」になり、気づけば定着しているものです。

「想像力」という、あらゆる可能性を探索するちから。これは、忍耐の先で取り入れられるものでもあるし、想像することで忍耐できるベースができるとも言えそうです。そのため、同時進行で育むほうが効果を感じやすいかもしれません。

なんでも、無理は長く続かないものです。いくら、やさしい気持ちが根底にあったとしても、他者のためにぐっとこらえ続けるのは苦しいです。このような苦しみを抱えているかたを慮った結果、自己犠牲を良しとしない考えが生まれたような気がします。感覚的に感じることなので、本当のところはわかりませんが。

持続的にやさしさを贈り合うためには、なるべく自分にとって無理のないものを選ぶことが大切です。あらゆる可能性を探索して、「わからないものをわかろうとすること」を当たり前にすることによって、おのずとやさしくなれるし、楽に続けやすいのではないでしょうか。

「不快感をぐっとこらえて、他者のためにガマンすること」もやさしさだし、「他者の気持ちや状況を想像して納得し、合わせることができる」のもやさしさです。しかし、両者は性質が違います。

後者を選択する方がお互いにとって、つまり、「自分にとっても」やさしいと思いませんか?だから、「理解からくる譲歩」を選択して実践するほうが、やさしさの質が高いように思います。

ここでのポイントは、「どこで、しんどい想いをするか?」ではないでしょうか。できればしんどいことなんて考えたくないと思いますが、これが「綺麗ごとを本物にする」ために必要なことであると考えています。お部屋を掃除するという手間をかけるから、綺麗になって住みやすくなるのと同じです。(忙しいとなかなか隅々まで磨けない…という事情や、正直、面倒だな…という気持ちも考慮のうえです)

面倒を引きうけてコツコツ取り組むしんどさ、面倒を回避したことで衝突したりイライラするしんどさ。いろいろあると思いますが、同じしんどさを味わうのなら、手間や労力がかかったとしても「建設的な方向性で、意図的に」自らしんどいことに着手する方が実りが多いように思います。

やさしさの質と、しんどさの質

他者にやさしさを表現したのなら、想いがなかなか伝わらないもどかしさを感じるよりも、「ありがとう」と受け取ってもらえる方がうれしいはずです。また、どうせしんどさを味わうのなら、不毛なやり取りで傷つけあって疲れ果ててしまうよりも、未来のある建設的な方法を選べる方が、やりがいがあるはずです。

だから、私やあなたのやさしさが、まっすぐに受け取られるような創意工夫をしたいですし、そのために、なるべく報われるやり方を考えたいのです。

忍耐力や想像力は、いわば基礎体力や筋力の部分だと思っています。何事も土台を築くことは大切ですが、そのうえで「創意工夫」について考えていくことは、より質の高いやさしさを贈り合うことにつながるでしょう。自分や他者を笑顔にするために、まずは、それを「あえて」選び取ろうとすることが大切ではないでしょうか。

次回以降は、こういった「質」の部分について深めていきますね。
よろしければ続きもお付き合いください。

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