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vol.6 思いやりを精神論ではなく「スキル」で捉えてみる~やさしさを育むために必要な「4つのちから」~

本題に入る前に、執筆の意図や方向性、コンセプト記事をご覧くださいますと、より内容をお楽しみいただけるかと思います。

※以前に当記事の内容をご覧くださった方々へ
こちらのシリーズは、以前にアップしていた「やさしさを育むために必要な 4つのちから」とほぼ同じ内容ですが、読みやすさを考慮して分割したものになります。最終的にまとめ編として、以前の記事をそのまま再投稿する予定です。


前回までのまとめ

第1回 人の心を助けるやさしさとは?
第2回 自分にやさしくすると、他者にやさしくなれないのはなぜ?
第3回 矛盾だらけな気持ちに翻弄される私たち
第4回 忍耐しがたい事情と対応策
第5回 想像力を培うことの副産物

私が思うやさしさの本質とは、時に自分よりも他者を優先する思いやりであって、これを「建設的で意図的な、美しい自己犠牲」と呼んでいます。

「やさしくしようね」とか「思いやりを持とうね」と、幼いころからずっと言われ続けているにも関わらず、現実を見ると、様々な事情によって自分のことで精一杯になり、辛く当たってしまう人で溢れかえっているように思います。

自分のことばかりになってしまう人が増えると、知ってか知らずか心の傷を増やすことにもなりますので、精神論で語られたり個人の判断に任されがちな「思いやり」を見直す必要を感じているのですが、これを体系的にまとめてみると、やさしさを育むには「忍耐力・想像力・洞察力・包容力」を着実に身に着けていくことが必要であると考えました。

忍耐するには想像力を働かせることが有効であるし、たくさん想像するには忍耐力が必要なので、これらを繰り返し経験することでおのずと基礎のちからが身につくように思っています。詳細は第4回までの記事にまとめていますので、よろしければご覧になってくださいね。

今回以降は「スキル編」と銘打って、3つめのステップである「洞察力」の可能性について深めていきますが、このシリーズの中核をなす内容と言っても過言ではないため、少しずつ丁寧にお話しできればと思います。

理不尽な悔しさは「尊さ」の現れである

「忍耐力」や「想像力」を発揮することで、自他ともにやさしくなれる過程を歩むことができるというお話をしました。

コツコツとやさしさを育むことは、面倒や手間がかかるけれど長期的には実りが多く、嬉しい収穫が得られやすい建設的な営みであるということでしたね。

嬉しい収穫のひとつとして、ある程度は「理不尽なしんどさ」から遠ざかることも叶うように思います。「意味のあるしんどさに変わる」とも表現できそうです。

ところが、これはあくまでも「ある程度」ということであって、実際は残念ながら相変わらず理不尽な状況に晒されることがあります。様々な状況が考えられますが、ひとつの例として次のようなことがあるのではないでしょうか。

・他者のことをたくさん気にかけているのに、なかなか伝わらない
・やさしさを表現したばかりに、無理を押し付けられてしまった
・どうにか踏みとどまっていたのに、勢いに呑まれて自らも理不尽に戦わざるを得ない状況になった

もしこんな状況に晒されてしまったら、「一生懸命努力しているのに、どうして!」と、天を仰いで文句を言いたくなっても無理はありません。やさしくあろうとして傷ついてしまうのは、あまりにも理不尽で、悔しく、悲しいことだと思います。

しかし、どうか、ここで「ぐっとこらえて」ほしいのです。
そして、ここまでがんばってきたものや得てきたものを、自分でしっかりと守ってあげてください。ひとりで抱え込まずに、身近な協力者や、しんどい気持ちを吐き出せるサービスを頼って、やりきれない気持ちを受けとめ、ケアしてあげてください。

なぜなら、その苦しみを感じるのは「やさしさの種が、しっかりと根付いている証拠」なのですから。だから、自らの手で引っこ抜いたりしないでほしいのです。表面的にはなにも良いことがないように感じてしまっても、見えづらいところでは、確実に、とても尊いものが育っているのです。

真実を視るちから=苦しみを分解するちから

そうは言っても、このどうしようもないやりきれなさを一体どこへぶつけたらいいのでしょう。この時、三つ目のステップである「洞察力」が、苦しみを分解するためのちからを発揮してくれるのです。

辛い状況を深く理解し、「苦しいのはやさしさが育っているから」という意味を見出すことも「洞察力」のなせる業と言えます。一見するとわかりづらいことも、目を凝らして見ようとするからこそ真実を知ることにつながるのです。

まさに、この「真実を視るちから」について理解を深めていくことが、今感じているやりきれなさを昇華させるためのヒントになるはずです。

「洞察力」という、真実を視るちから。これは、たくさんたくさん想像し続けてきた結果得られる、まさに「血のにじむような努力の結晶」のようなものです。

なぜ、血のにじむような…と表現したかというと、自分の考えや感情を抱えながらも、他者の考えや感情を立体的に捉える努力をし続けるのは大変なことだからです。当然、その過程ではイヤな想いをしたりガマンすることもあるはずです。そのしんどさを超えて、あらゆる可能性を探ることを諦めなかったからこそ、起こっていることの「背景」や「傾向」をつかむことができ、表面的な事実のみに囚われることが減ってくるのです。

手間暇かけて手に入れる、うれしい収穫

だんだんと、「やさしさ」の核心に迫る内容になってきました。
今回のお話でも触れましたが、実は、「やさしくあろうとすればするほど、やさしさの質が高くなればなるほど、自らが苦しくなってしまう」という理不尽な現象が起こると、私は思っています。

だから、やさしさを日々、継続させるのが難しいと感じてしまうのかもしれません。身を守ることに必死になったり、楽なほうに流されてしまうのは人の性なのでしょう。

では、やさしくあるのを止めますか?
それでもあなたは、やさしさを求め続けますか?

「あなたは、やさしくされたいですか」

きっと、もし自分だったらやさしくされるほうが嬉しいと思いますし、そのほうが生きやすくなるのではないでしょうか。だから、各々が「自らが大切に育ててきた、やさしさの根っこ」を、大切に守り抜いてほしいと思っています。

事情があってやさしくなれない瞬間はあっても、本当はいつもいつも、安心して過ごしていたいと感じる「やさしい本能」があるはずです。この尊い本能をしっかり見てあげることが、あなたや私を笑顔にしてくれることでしょう。

「思いやりとは…」と難しく考えるのを一旦やめて、ただ、目の前のことにコツコツと着手することが、思いやりをスキルで捉え、現実化させることにつながるように思います。

次回以降は、具体的なケースを交えて、あらゆる視点で「洞察力」の可能性を深めていきますね。引き続き、よろしくお願いします。

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