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全身女優モエコ 第四部 第二十八回:生意気女優VS大女優

 モエコがいくら叱りつけたこの大御所俳優の海老島権三郎、バカアイドルの南狭一、知性派俳優の蟹谷のこの芸能界の三匹の子豚が共が簡単に諦めるはずがなかった。彼らは人間であっても本性は豚であるから当然犬猫のように反省などしない。三人は反省するどころかかえって奮起しモエコを我が物にせんとあらゆる策を講じた。

 昨日のスタジオの大暴れと土下座踏みつけ事件の翌日、私とモエコは今日も『海辺のバイブル』の収録のためにスタジオに入った。私は楽屋で着替えを済ませたモエコと共に収録スタジオに入ったのだが、スタジオは前日とはまるで違う物々しい雰囲気に包まれていた。大勢のテレビ局の幹部連中やスポンサーの上層部と思わしき者たちまでもセットの前に詰めかけていた。現場のスタッフと関係者は完全に追い出されたようで、遠巻きに首を伸ばしてセットを眺めていた。モエコは誰も自分を出迎えないのに激怒して「この女優の火山モエコさんを出迎えないなんてどういうことなのよ!」と怒鳴り散らしたが、それを聞いたスタッフの一人が慌てた顔でこちらにやってきて口に指を当ててシー!と制してきた。モエコはこれにブチ切れてスタッフに殴りかかった。私はモエコを止めようと彼女とスタッフの間に入ったが、そのモエコは邪魔をするなと私に殴りかかってきた。幸いにも近くにいたスタッフがモエコにボコボコにされた私をかばって土下座までしてくれたので、ようやく事は収まったのだが、私の顔はモエコの暴行で破裂寸前のすももみたいになってしまった。

 しかしスタジオの連中はそんな私たちの騒ぎなど全く無関心で皆セットのあまりに異様な人だかりの方に視線を向けたままだった。モエコと私はスタッフに用意された椅子まで案内されたが、その時私はピンと背を伸ばして座っている三添薫を見た。私は三添の姿を見とめて同じく収録に参加する三日月エリカを探したが、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。三日月はまだスタジオに入っていないのか、それともこの騒ぎに呆れてスタジオから去ったのか、それはわからない。

 皆が自分に注目してくれない苛立ちですっかりプンプン状態になっていたモエコは腹立ち紛れに思いっきり音を立てて自分の椅子に座った。するとやっと彼女の存在に気づいたのか、セットにいた人間が人一斉に彼女の方を向いた。モエコはこれに対して「みんなやっとこの火山モエコさんに気づいたのね。ほら挨拶なさいよ」と高飛車に言い放った。すると皆急にモエコに向かって頭を下げてきた。それからも彼らは度々モエコを見ていた。その態度を見て私は昨日のスタジオでの海老島たちとの大乱闘と、その後の楽屋前での土下座事件を思い出して震えた。このテレビ局の幹部とスポンサーの上層部が詰めている中で何が話されているのか。それが気が気でならなくなった私はセットの方に顔を向けて聞き耳を立てた。

 テレビ局の幹部とスポンサーの上層部が囲む中、海老島と南と蟹谷の例の子豚三人が椅子に座っている白髪混じりの中年男を取り囲んでいた。海老島と南と蟹谷は憤然とした顔で中年男を取り囲んで口々に小声で何かを喋っていた。その傍にプロデューサーも膝を折った姿勢で中年男に向かって何度もお辞儀しながら声をかけていた。この白髪混じりの中年男はこのドラマの脚本を書いている脚本家の山川正二であった。山川は当時からすでに大物扱いされていたが、その彼が、今海老島たち三匹の子豚に取り囲まれて冷や汗をかいていた。

 海老島は腰をかがめて山川にガンを飛ばしながらその耳元で何かを囁いている。南は山川の座っているパイプ椅子を掴んで「先生お願いだよ!この通りだよ!」とか腰をフリフリしながら手を合わせて必死に懇願している。蟹谷は山川の目の前に台本を突き出してこの通りに書き直せと喋っている。役者の我儘なんてありふれた事だし私も何度かこういった場面に出くわしている。だが、今の状況はあまりにも異常だった。大俳優二人と人気アイドルが目を血走らせながら脚本家に向かって必死に何かを懇願しているのだ。しかもここに詰めかけているテレビ局の幹部とスポンサーの上層部の連中は三豚が何を懇願しているか知っているようなのだ。

 私はこの三豚が何を懇願しているのかわかりすぎるほどわかっていた。。ああ!この豚どもは昨日モエコに殴られ土下座させられたにもかかわらずま~だ諦めてなかったのだ。私は一昨日の夜モエコが演じたベッドシーンを思い出し、ぞっとしてモエコを見た。おそらくこの豚どもはあれほどボコボコにされて頭を踏みつけられたにも関わらず、自分とのベッドシーンを追加せよと懇願しているのだ。豚どもはもう脅迫まがいというか、脅迫そのものの顔で山川に懇願していた。山川はこの三豚の懇願という名の脅迫に耐えきれず、頭を抱え絶叫した。

「もう台本を変えるなんて不可能だ!これ以上台本に手を加えたら俺のドラマは無茶苦茶になる!いい加減にしてくれよ!何が火山モエコとベッドシーンやりたいだ!何が彼女と自分と絡ませろだ!大の大人が若い娘に鼻伸ばしてんじぇねぇ!」

 この山川の絶叫にスタジオは凍りついた。山川によって叫ばれた火山モエコなる若い女が誰なのか皆わかっていたのだ。スタジオ中の目線がモエコをに集まった。皆が注目する中モエコは椅子から静かに立ち上がった。ああ!その姿はまさに噴火寸前の桜島であった。彼女は九州女の熱きマグマを煮え立たせ怒りの炎を激しく燃え立たせていた。ああ!また暴行沙汰だ、膀胱からおしっこが溢れ出すぐらいの大惨事だ。こんなお偉方が詰めかける中でモエコに暴れさせたら今度こそもう終わりだ。私はモエコを止めようとその手を掴んだが、モエコは表情を変えずに思いっきり手を振って私をスタジオの彼方に吹き飛ばした。ああ!モエコはもう誰にも止められない!もうすべては終わりだとめり込んだ壁の中で思ったその時、今まで口を閉じていた三添薫が椅子に座ったままその静かな顔から想像もつかないほどのドスの聞いた声で三豚を怒鳴りつけた。

「お前さんたち、こんなお偉方まで連れてきて何事かとおもったらそんなくだらねえことで揉めていたのかい?いい加減におし!あたしら役者は台本通りきっちり演じればいいんだよ!なのにこんな小娘と本番でいたしたいからって脚本家まで呼んで台本まで変えようとするなんてどういうつもりだい!おい海老島の親父!アンタ童貞じゃないだろ?女の味は人一倍知り尽くしているじゃないか!蟹谷のおっさん、アンタみたいな助兵衛爺がいくら気を引こうとしても女は絶対に近寄ってこないよ!アンタのムッツリぶりはもう透けて見えるんだよ!そして南の坊ちゃん!アンタ、女を散々犯しといて今更純情ぶってんじゃないよ!あたしゃもう耐えられない!もう帰らせてもらうからね!」

 この凄まじい大喝にスタジオの人間は一斉に黙った。三豚も、テレビ局の幹部やスポンサーの上層部の連中も、その周りに追い出されていた現場の連中も、ついでに壁にめり込んだ私も、そしてあのモエコでさえも。三添は沈黙スタジオの中を足音も立てずに去っていった。彼女は立ち去るとき一瞬だけモエコに一瞥をくれたが、私はその凄みのある目を見て震えた。

 スタジオの人間は三添薫という大女優の凄みを目のあたりにして震えが止まらなかっただろう。あの海老島でさえ一黙らせるほどの凄み。それは三日三晩ではとても体得できないものだ。三添はあの暴れ火山のモエコのマグマでさえ冷却させただの石ころに変えてしまった。私はこれを見てもしかしたら三添の一喝であの三豚が改心したのかと思った。いや、そんなことはなくても少なくとも三添がいる限りあの三豚がモエコにベッドシーンの危害を加えることはあるまいと希望を持った。

 三添がスタジオから去った後、監督から一旦解散だと告げられた。仕切り直しのため二時間ぐらいスタジオを閉めるとのことだった。私はさっきの騒動を見て本当に二時間で全てが収まるのかと疑問に思った。解散と聞いて自分の椅子に座っている役者たちはゾロゾロと出口の方へと向かって行った。テレビ局の幹部やスポンサーの上層部もあからさまに浮かない顔でモエコをチラ見しながら出口へと向かった。そしてあの三豚も互いに顔も合わせたくないのか、一人ずつスタジオから出てゆく。三豚ともひたすらモエコから目を逸らした。やはりさっき三添に叱られて後ろめたくなったのだろうか。私はこの三豚の態度を見て心底ホッとした。これでモエコは救われる。


 いつの間にかスタジオはスタッフしかいなくなっていた。スタッフ以外で残っているのはモエコだけだ。彼女はさっき立ち上がって歩きかけた場所に立って……いや、その場に止まっていた。私はモエコに気づいてもらおうと彼女の目の前で手を振った。しかしモエコは気付いてないどころか口を開けたまま硬直しきってなんの反応もなかった。私はモエコを目覚めさせようと彼女に向かって大声で呼びかけた。するとモエコは金縛りから解けたように我に返り、そして誰もいなくなったセットに向かって駆け出した。

「この豚ども!昨日あれほど言いつけておいたのにまだ懲りずにモエコにいんぐりもんぐりしようとするか!許せない!今度という今度はぼろっかすになるまでボコボコにしてやるわ!……って、いつの間にか豚どもが消えているじゃない!どういうことよ!」

 と叫んだモエコは私のところにUターンで突っ込んできて私の首を絞めてきた。

「アンタあの豚どもはどこに行ったのよ!ああ!今度という今度こそとっちめてやろうと思ったのに!」

「お前……もしかして記憶が飛んでるのか?あの後三添さんが海老島さんたちをお叱りになってその後で事情はわかんないけどしばらく解散ってことになったんだぞ。というわけで、さっ俺たちも楽屋に戻るぞ!」

「何が楽屋に戻るぞよ!三添のババア余計な事をして!ああ!モエコのこの体の芯からあふれる怒りはどこにぶつけたらいいの!アンタもわかってるでしょ?あの三豚はこの田舎の天然水で育った純情可憐な乙女にそれはそれはもう口に出して言えない、二度も三度もヴァージンを奪うような酷いことをしようとしたのよ!」

「いや、全部口にしちゃってるんですが……」

「うるさい!ああ!もう腹が立つ!ほら、いつまで何ぼぅ~と突っ立ってんのよ!さっさと楽屋に帰るわよ!」

 情緒が果てしなく意味不明のモエコはそう言い放つとさっとクルッと足先を出口の方にむけて歩き始めた。ああ!だがどんなに怒ってもモエコは女優。隙は見せてならぬと足と女優のプライドを見せびらかしまくりのキャットウォークで出口まで練り歩く。しかし打ち合わせやらなんやらで忙しいスタッフはモエコに気づかず、また気付いても通りいっぺんの挨拶しかしなかった。モエコはこのスタッフの仕打ちに激しく激怒して叫んだ。

「この女優の火山モエコさんが楽屋に帰るのに挨拶もできないの?あなたたち一体どういう教育受けているのよ!」

 私は当然即スタッフたちに平身低頭して謝ったが、モエコはその私を無視してさっさと楽屋に行ってしまった。


 私はモエコについて楽屋まで歩いていたが、先に見える楽屋の入り口で人がいるのを見て足を止めた。モエコも誰かがいるのに気付いたらしい。私たちは揃って目を凝らして見たが、私はすぐに楽屋の前にいる人間が誰であるかに気づいて震えた。その人は先程海老島たち三豚を怒鳴りつけ彼らを黙らせてしまった三添薫であった。私は早足で三添の前に進み出て深く頭を下げて丁重に挨拶した。

「あら、どういたしまして。で、モエコさんは?私彼女とお話ししたくてこちらに参りましたの」

 三添はそう微笑みを見せながら私に声をかけてきた。私は三添を見て彼女が明らかに激怒しているのを察した。この大女優はその笑みの中に激しい怒りを隠していた。いや、そのように誰もが気取るように見せていた。全くシークレットブーツなしで背が五センチ伸びそうなほどの怖さだった。私がこの三添の態度の前に二の句が告げずにいると、後ろからモエコが出てきて三添を無視して楽屋に入ろうとした。

「あら、人が訪ねてきたのに挨拶もないのね。いいご身分だわ」

「おばあちゃん、モエコ今すっごい不機嫌なの。あなたと呑気に茶飲み話なんかしている暇なんてないのよ。さっ、とっととあっち行って!シッ、シッ!」

 三添はこのモエコの殺人的なまでに無礼な言葉にも全く表情を崩さなかった。彼女は笑顔のまま重ねて言った。

「それで挨拶は?あなた、もしかして挨拶のやりかたもご存じないの?」

 異様すぎるにもほどがある沈黙が流れた。私は大女優に無礼を働きまくるこのバカモエコを怒鳴りつけてその頭を地面に押し付けて頭を下げさせたかったが、今の私にはこの火山状態のモエコを抑えられるだけの力はなかった。なのでとりあえずは三添に何度も深く頭を下げて謝るしかなかった。しかし私が誤ったところで当然三添はモエコの無礼を許すはずもなく、ただ頭を下げまくっている私に氷のような視線を向けてこう言うだけだった。

「あなたに謝られても仕様がないわ。とりあえず私を楽屋の中に入れてくださらない?私はこの子と話がしたいの」

 私はすぐさま三添のために楽屋のドアを開けた。これで外には音は漏れない。モエコが三添薫に暴行を振るおうとしたら怪我を三添に負わせないように私が三添を死ぬ気で守るし、ありえない事だが、三添がモエコに暴行を振るおうとしたら、モエコが怒って三添を殴り返して怪我を負わせないようにやっぱり三添を死ぬ気で守る。それがマネージャーとしての務めだと私は腹を括った。だが私がこれほどの決意をしているのにモエコのバカ私を罵ってくるではないか!

「アンタ、何やってんのよ!どうしてこんなババアをモエコの聖域に入れるのよ!ホラ、ババアが入ったせいで楽屋のお肌にシワが入っちゃったじゃない!ああ!どうすんのよ!楽屋が急激に老けていくわ!」

「黙れ!お前もさっさと楽屋に入らんか!」

 私は三添と、その後からモエコが不機嫌丸出しの顔で楽屋に入ってきたのを確認すると、すぐさま鍵を閉めた。こうすれば周りに声は響かなない。とにかく騒ぎを広めないことが優先だった。モエコのバカがこれ以上暴れ出して無駄な敵を作らないためにダメージを最小限にしたかった。

 楽屋に入った途端、三添の表情が変わった。そこにはもはや笑顔はなくただ険しい表情がそこにあった。

「ねえ、おばあちゃん。モエコとお話がしたいんじゃないの?楽屋まで押しかけてきてさ。話したいんだったら耳ぐらいは傾けてあげるからさっさと喋りなさいよ」

 モエコがこうせっついても三添は口を開かなかった。それどころか一層険しい表情でモエコを見据えた。この無言の三添に沸点の低すぎるモエコはブチ切れた。

「ババア、いい加減にしなさいよ!モエコは老人介護なんてする気はないんだから!ああ!このクソババア!もう老人虐待だなんていわれても構わない!さっさと道端にでも叩き出してやるわ!」

 そしてモエコは有言実行とばかりに三添を叩きだそうとしたその時、急に表情を変えてその場に立ち尽くした。モエコは口を閉じ、ただまっすぐに三添を見据えた。異様な緊張感が楽屋内に立ち込めた。まるで二人は威嚇し合うしなやかな獣のようであった。

 今、私の目の前で二人の女優が全てを剝きだして対峙していた。三添の無言の圧は先ほどのベラんべえ口調などより遥かに恐ろしい。だがモエコも負けじとこの激しい風のような圧の中、カッと目を見開いて三添を見る。私はモエコと三添のこの睨み合いを見て震えた。そして私は気付いたのだ。これがただの争いではなく、女優としてのプライドをかけた戦いである事に。もはや私の入る隙はなかった。この二人の目線のドラマに部外者はシャットアウトされていた。ただ私に許されたのはこの対決の行く末を見守るだけだった。モエコと三添はこの睨み合いの中で相手に何を見たのだろうか。険しい顔に僅かの動揺を見せる三添。その三添に必死で喰らいつくモエコ。きっと二人の間で無数の会話が飛び交ったに違いない。女優同士の目の会話。しかし何という事だろうか。たかが十七歳のこの間まで田舎の女子高生だった子供が戦後の映画界を代表する女優を相手にして一歩も怯まないとは。だがその時突然三添が笑い出した。

「あらあら、ごめんなさい。あなたに聞きたい事があったんだけど、顔見ていたら忘れてしまいましたわ」

「はっ?忘れた?」

「だってあなた物凄い顔で睨んでくるんですもの。私怖くて怖くて。ほんとまあ、なんて子なんでしょ」

 モエコはこの三添の言葉を聞いて、呆気に取られ、突然緊張感から解放された安心感からか高揚して三添に捲し立てた。

「何なのよおばあちゃん!話したいことがあるっていきなり人のところに押しかけてきたのに、ずっと無言で人を睨みつけているんだから!その挙句に言いたいこと忘れた?ああ!いい加減にしてよ!モエコには時間がないのよ!」

「お騒がせさせちゃってごめんなさいね。でもホントに言いたいことはあったのよ。でもあなたの生意気な顔を見ていたら言葉が吹き飛んでしまったの。だけどあなたってホントに生意気ね」

 生意気と聞いてモエコはあっと声を上げた。恐らくこの間私から今目の前にいる大女優三添薫が自分を生意気だと誉めていたのを聞かされていたからだ。モエコは声を上げると満面の笑みを輝かせて三添に言った。

「あの、おばあちゃん!今モエコを生意気だって言ったわよね?」

「ええ、あなた生意気よ。とっても生意気よ。今ここでぶん殴ってやりたいくらいに」

 モエコはこの三添の言葉を聞いて天井を突き抜けるほど舞い上がってしまった。彼女は私と三添を前に手を広げてこう叫んだ。

「ああ!そうよ!モエコは生意気なのよ!生意気……いい言葉だわぁ!今から色紙に書いて楽屋中に貼り付けておくわ!『生意気女優火山モエコ』って!モエコは生意気女優で一生生きていくの!誰にも媚びず、誰にも負けず、ずっと生意気女優としてライトの下で輝いてやるわ!」

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