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全身女優モエコ 第三部 第七回:大乱闘

 三日月エリカがドアを開けて登場した途端、さっきまでモエコとともに稽古に熱をあげていた役者陣は、すぐさま稽古を放り投げて直立不動になってしまった。それぐらい三日月エリカのインパクトは凄まじいものだった。先ほど三日月エリカの悪口を言っていたベテラン役者など緊張のあまり足まで攣って痛いと言って屈み込んでしまった。のんびり屋の真理子などはこの事態にどうしていいか分からずただアタフタするだけだ。彼女はその一同を前にして先程の挨拶をしたのである。三日月はその傲岸不遜な態度で役者陣を見渡した。役者陣も我々もその場にいたものは彼女の周りを圧するような美貌と、その類い稀なる血統そのままのお嬢様ぶりに皆挨拶すら出来なかった。

 モエコもまた皆と同じように彼女の存在感に圧倒されていた。いや彼女が一番三日月エリカの登場に激しい衝撃を受けていた。彼女は本物のお嬢様である三日月を目の当たりにして急に自分が惨めになった。あれほど芸能界に憧れて必死になって舞台に打ち込んでいた自分は何だったのだろうか。今モエコの目の前にいる三日月は圧倒的に光り輝いていた。あの小学校の文化祭のシンデレラ、高校時代の演劇大会のカルメン。彼女が全身全霊で打ち込んできたあの栄光の舞台の日々が三日月の登場とともに急にカビの生えた貧乏くさいものになってしまった。ああ!なんておぞましい!あんな貧乏ったらしいお遊戯に百万以上も費やしていたなんて!モエコは手に持っていたバッグから焼け爛れたシンデレラのドレスと絵本を引きちぎって投げ捨てたくなった。こんなボロっちいものを毎日よく拝んでいたものだわ!モエコは完全に三日月に打ちのめされ、やっとのことで立っている状態だった。

 三日月エリカはモエコが夢見ていたものを全て持っていた。有り余る財産、女優としての名声、そして悔しいことに認めざるを得ない自分に匹敵する美貌。モエコは美人の真理子でさえ自分より格下に見ていたが、三日月エリカの美貌だけは涙を呑んで認めざるを得なかった。モエコは悔しさに心の中で号泣した。ああ!どうして神様は有り余るお金と名声をこの心の清いモエコじゃなくて彼女みたいな性格の果てしなく醜い人間に与えたの?本当ならモエコがもらうはずだったのに!


 すると三日月の後ろからハエみたいな男が現れて手をスリスリしながら挨拶をしてきた。

「皆さん初めまして。私が田平ゴリザです。今回蜂川先生の代わりにシンデレラの演出を務めさせていただく事になりました。こんな大作の演出を務めさせていただくのは初めてですが、皆さんと一緒に三日月さんの初舞台を支えるために全身全霊を尽くします!」

 ああ!何という権力への媚びへつらいぶりか!権力の公然たる犬である田山ゴリザは挨拶を終えるといきなり三日月エリカに向かって拍手を始め、さらにスタジオにいたものに対して「さぁ主演の三日月エリカさんに心からの拍手を!」と言って拍手する事を強要したのだ。すると役者陣はさっきまでの態度とは打って変わって一斉に拍手し始めた。ああ!これも生きるためにはしょうがないことなのだ。人間真っ正直には生きていけない。だから私も拍手し真理子とモエコに拍手する様に促した。真理子は私の態度に見てとるとすぐさま空気を読んで拍手をしたが、モエコの奴は三日月を睨みつけたまま微動だにしなかった。私はこの事態に慌てふためきモエコに近づいてみんなと同じように拍手をしろと怒鳴りつけようとしたが、その時三日月エリカが喋り出したので足を止めた。

「ああ!皆さんありがとうございます!エリカを快く迎え入れてくれて!エリカ感謝感激ですわ!エリカ正直に言ってすごく不安でしたの。あんなわがまま女優なんかに舞台なんかできるわけがない。たかが二世女優が蜂川先生をクビにして何様のつもりだ。美人すぎるからって調子にのるな。なんて皆さんエリカのことを嫌っているかもしれないなんて思ってましたの。だけどそれはエリカの誤解だったようですわ。拍手をしてくれなかった人も、きっと心の中でエリカを喜んで迎え入れてくれたと信じていますわ!」

 こう三日月エリカは言い終えると天を仰いで腕を広げさらなる喝采を求めた。役者陣と私と真理子は三日月により大きな拍手を浴びせた。しかしモエコは相変わらず棒立ちのまま三日月エリカを見つめたままだった。私は憮然とした表情で三日月をにらみつけるモエコを見て心臓が凍るような思いだった。先ほど三日月にイヤミを言われたのにかかわらず、またしても拍手を拒否するとは。三日月を怒らせたらモエコは勿論、真理子と私も叩き出されるかもしれない。そうしたら私は事務所の連中に東京湾に沈められてしまう。今、三日月エリカはハッキリとモエコを見た。ああ!終わりだ!

 しかし不思議なことに三日月はモエコをしばらく見つめたあと、まるで何事もなかったかのように役者陣に向かって稽古を始めましょうと声をかけた。


 シンデレラの初の読み合わせの稽古は田平ゴリザの指導で行われたが、完全に三日月エリカありきの稽古だった。三日月がこのセリフ気に入らないから削除してと文句を言ったらゴリザはすぐさま台本を直し始めた。そして三日月エリカ可愛らしいポーズを披露するとゴリザはわざとらしく驚いて早速舞台に取り入れましょうとか言いだした。

 役者陣は三日月とゴリザのこのやりとりに流石に呆れ果てた表情をしていた。しかし誰も何も言えない。彼らは身に染みてわかっているのだ。この舞台が自分たちの舞台ではなくて三日月の舞台であることを。この舞台はシンデレラを演じる三日月エリカの実質的な一人舞台であった。その舞台では姉役や魔法使いは勿論、王子様役さえただの添え物であった。三日月エリカはひたすら可愛らしいシンデレラを演じ、その三日月をいぢめる姉さえも遠慮がちに、まるで壊れやすいガラスに触れるかのように彼女に相対する。真理子もそうだった。彼女は人がいいのでいぢめ役などあまり得意ではない。しかも今回の相手はあの三日月エリカなのだ。いぢめようにもいぢめられないではないか。逆に自分がいぢめられそうなほどだ。真理子は若干声を震わせながらエリカ扮するシンデレラを責めた。すると三日月は媚びたような眼差しを真理子に向けると、正面に向き直ってコケティッシュな身振りをブリブリに周りにみせつけながらシンデレラのセリフを言った。

「ああ!お姉さまはどうしてこのシンデレラをいぢめなさるの?お姉さまはそんなにシンデレラがお嫌いなの?」

 その稽古をモエコはさっきと変わらぬ姿勢で見ていた。彼女は稽古を見ながら怒りで震えていた。舞台をバカにするにも程があると思った。さっき自分とやった読み合わせであれほど生き生きとした演技を見せた役者陣や真理子はまるでチュールで釣られた猫のようにおとなしくなってしまっていた。ああ!こんなものが大劇場で演じられるなんて呆れるわ!モエコはこんなものをやるために東京にきたわけじゃない!これだったら小学校の時のシンデレラの王子様役やホセ役のほうがマシよ!だって彼らは舞台に一生懸命だったじゃない!必死で役を演じるために台本まで食べたじゃない!あのブサイクなシンデレラの姉役だって舞台の中で本気になって演じていたわ。演じていたどころじゃなくて本気でモエコを殺そうとまでしたもの。ああ!そんな彼らに引き換えコイツラは何をやっているのよ!実力があるくせにこんなあばずれ女にヘイコラして文句の一つも言えないなんて!。モエコはバックを見つめ、中に眠っているシンデレラのドレスと絵本に謝った。ああ!あなたたちを捨てたいなんて言ってごめんね。あなた達はボロっちくなんかない!紛れもない本物よ!こんな上っ面だけの中身なんかなにもない連中なんかよりずっと輝いているわ!モエコはたまらず床を思いっきり踏み鳴らした。ものすごい轟音がスタジオ中に響き渡る。その場にいたものは何事かと驚いてあたりを見渡した。私はモエコを見てその表情にゾッとした。怒りに震えもはや誰にも止められぬ火山のようだった。

「アンタたち何やってるのよ!それが舞台なの?それがシンデレラの舞台なの?こんなのただのお遊戯じゃない!こんなお遊戯見せられたらシンデレラだって泣くわ!」

 モエコの地響きのような叫びに一同騒然となった。三日月の付き人たちが一斉にモエコのもとに駆け寄った。なんだこいつは!なんで部外者がここにいるんだ!さっさと誰かさっさとつまみだぜ!と口々に叫ぶ。モエコは彼らに対して、「やかましい!私は真理子と一緒にこの舞台に出るためにここにきたのよ!何が部外者よ!アンタたちこそ部外者じゃない!出ていきなさいよ!ここは役者しか入れないのよ!」と怒鳴った。それを聞いて私はもう終わりだと思った。やっぱりモエコなんか連れてくるんじゃなかった、いや東京駅でモエコを拾うんじゃなかったと自らを悔いた。真理子はモエコに向かって後の人気漫才コンビの片割れみたいに「よしなさい、よしなさい」とモエコをなだめるが今のモエコにとっては焼け石に水だった。

「真理子!なんで止めるのよ!悪いのはコイツじゃない!このビッチは自分だけええカッコシイ舞台をやりたいだけよ!アンタたちのことなんか何一つ考えていないんだから!」

「おだまりなさい!」

 突然思わず肩をすくめる様な冷たい怒鳴り声がスタジオに響いた。皆ギョッとして目を見開く。皆、その声を誰の発したのか検討もつかない。凍りついたように立ち止まった皆の前を三日月エリカが悠然と歩いてモエコのそばに立った。

「あなた、何者なの?随分偉そうな事を言ってくれるけど……。私を誰だと思ってるの?私は三日月エリカなのよ。あなた達のようなゴミみたいな人間とは訳が違うのよ!分かったらさっさとここから出ておゆきなさい。そして出てゆく前に土下座なさい!今すぐ私の前に這いつくばりなさい!」

 スタジオの空気は異様なまでに張り詰めていた。モエコと三日月エリカはにらみ合いそのまま互いに一歩も引かなかった。その場にいた者たちは全員固唾を呑んで二人を見守る。私はこの沈黙が終わったら大変な事が起こる予感がした。モエコとエリカはしばらく無言で睨み合っていたが突如沈黙が断ち切られた。

「相変わらずね三日月エリカ。あなたはまだそうやって威張り散らしているのね。そう言えばモエコに殴られた傷は治ったの?歯は折れなかったの?あんなにクリーンヒットしたんだから歯の二三本は折れてるはずなのに!」

「あ……あなたはまさか!あの映画の撮影で無理やり連れて行かされた火山地帯のど田舎の村にいた野獣の雌じゃない!どうりで見た顔だと思ったわ!ああ!あのときのことは忘れるはずもない!あの後どれだけエリカが苦しんだか!だけどあのど田舎は今噴火でマグマの下敷きになっているはず!……だけど何故!何故あなたは東京なんかにいるのよ!」

「モエコは女優になるためにあの大噴火をくぐり抜けて東京にきたのよ!だからあなたにここを出て行けなんて言われても出ていかないわ!そしてあなたみたいな人間のクズには死んでも土下座なんかしないわ!」

「あなたなんかマグマに溶けて死ねばよかったのに。このエリカにあんな屈辱を浴びせてまとも生きているなんて恥知らずにも程があるわ!エリカに屈辱を浴びせたやつにはみんな天罰が下るのよ!エリカを騙してあんなど田舎に連れてきた小島監督も、エリカに対していけ好かない態度をとった神崎雄介も、あなたのど田舎の火山の麓がロケ地がだったせいで映画が上映中止になっててんてこ舞いだっていうのに、一番天罰を受けるべきあなたがどうして死なずに東京にいるの?死になさいよ!今すぐあのど田舎に戻ってマグマ飛び込んでしまいなさいよ!」

 この三日月エリカの大暴言にモエコは怒髪天をついた。彼女は絶叫し三日月に飛びかかった。三日月も死ねと言わんばかりにモエコを殴りつける。もはやスタジオは稽古どころではなかった。阿鼻叫喚が轟くなか私はこの最悪一直線の事態に愕然となって動けず、真理子はモエちゃんやめてとか遠くから呼びかけていた。




 


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