見出し画像

豊臣秀吉の逸話集 その1

 豊臣秀吉は尾張の山の中で生まれた。伝承によるとウキー!とよく鳴く元気いっぱいの毛だらけで全身真っ黒な赤ちゃんであったという。彼は山の中の大自然に成長していき、夏は山の果物を取り、冬は時たま温泉に浸かりながら暮らしていたが、ある日家族と一緒に果物を食べていたところ、猿の毛皮を取りに来た百姓に襲われて、家族と離れ離れになってしまった。彼はそれから独りでずっと山をさまよっていたが、空腹に耐えられず里まで降りてしまった。そして近くの農家に忍び込んで食い物を漁っていたところ、家のものに捕まってしまった。本来ならその場で殺されてもしょうがなかったが、農家の近所に蜂須賀小六というドラ息子がいて、彼が両親にこの猿を猿回しにしたいから助けてくんろと言って命乞いをしたのでどうにか助かった。しかし猿は小六の猛特訓に耐えられず、ある夜小六の家から逃げ出してしまった。

 それからしばらくの時が経った頃である。尾張の城下町に時折面白い猿がやってきて芸をしているという話が街に流れた。なんでもその猿は人いらずの猿回しであり、他の猿を使って猿回しの芸をするという話であった。猿たちが現れるとたちまちのうちに人だかりが出来て、ウキー!と鳴きながら芸をする猿を喝采した。その評判は城内にも伝わり、時の城主の織田信長もその猿を見たいと言って自ら猿の猿回しを見たのだった。猿回しを見た信長は人目で猿たちを操って猿回しをさせる猿を気に入ってしまった。そしてこんなに頭のいい奴はうちの家臣にいないことを口惜しんだ。当時信長の家臣は犬や牛レベルの人間しかいなかったからである。時代の常識にとらわれない信長は早速この毛だらけで全身真っ黒な猿を家臣にしようとしたが、やはり旧態依然とした家臣には猛反対された。猿など家臣にする、いやそもそも人間扱いすることなど狂気の沙汰だ。と家臣たちは口々に抗議した。しかし信長は家臣に向かって、貴様らはこの猿のように猿回しが出来るか?この者は猿なのに猿を操って猿回しが出来るのだぞ。悔しかったら貴様らも猿回しが出来るようになれ!と家臣に向かって説教をしたのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?