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全員マスク! 第2話:マスク女の再登場

 安息日は終わり、株式市場が一週間の始まりを告げる。その数時間前、ジョニーはふとんから目覚めた。しかし目覚めても土曜日に受けた『パンチドランク・ラブ』のショックは消えない。思考は完全にパンチなラブショックで停止している。

 あのマスク女は何者なんだ。あの女にパンチを受けたせいで日曜日はブルーにこんがらがってしまった。ブルー、もしくはブルー、グラン・ブルー、ジョニ・ミッチェルの『ブルー』。女は戦争の顔はしていない。恋の顔をしているんだ。だからブルー。あのマスク女にもう一度会いたい。今日は会社に行く気になんてとてもなれない。

 だが行かねばならない。社会は戦場、俺たちはウォーリアー。ジョニーはオン用のイーロン・マスクファッションに着替えてMASKProjectのマスクをつけると、いつものように神棚のイーロン・マスク大明神を拝んで会社へと向かった。

 ジョニーの勤める企業は日本最大の広告代理店だ。官公庁や大企業の広告は全てこの会社が引き受けている。そんな会社に三流大卒でろくにコネもなかったジョニーが入れたのは奇跡的だ。採用が決まった時、これもイーロン・マスク大明神のおかげと神棚にマスク百枚とお稲荷さんを捧げた。

 オフィスのある巨大なビルに入ったジョニーは周りに集まっている連中の雰囲気から今日はビッグイベントがあるかもしれないと予感した。エレベーターが登るごとにその予感は深まり、オフィスに入った時には予感は的中した事を確信した。

 コカインを限界まで吸い込んだような感覚で、全身の神経を針のように立たせろ。今日のイベントはなんだ。戦争の勃発、混乱する株式市場、シリコンバレーの再来、火星への着陸計画、雪でも決して止まらぬテスラの電気自動車。さあ俺に世界の秘密を教えてくれ!

「沢村!何いつまで手を広げて立ってるんだ!さっさと席に座れ!今日は大事な発表があるんだぞ!」

 注意されたジョニーは我に返ると慌てて自分の席に座った。あたりは物々しい雰囲気が漂いまくってる。皆固唾を飲んでプロジェクトの発表を待っていた。幹部連中がゾロゾロ集まってくる。そして皆が登場して一礼してから進行役が説明を開始した。

「今日は急遽決まった厚生省肝入りのプロジェクト『全員マスク!』の説明をする。このコロナ禍で我々のライフスタイルは根底から変化してしまった。そこで厚生省と我々はマスク必須の意識を高めるプロジェクト『全員マスク!』を立ち上げた。我々は国民全員にマスクを義務づけるためにあらゆるメディアで広告活動をする事になる。そこで我々はそのプロジェクトチームのリーダーとして最も適任な人物を選んだ。彼女はアメリカの広告会社を渡り歩き数々のプロジェクトを成功させた優秀な人間だ。その実績を買った我が社は三顧の礼を持ってプロジェクトチームのリーダーとしてもらったのだ。では紹介する。遥カオリ君だ!」

 スタンディングオベーションの渦とともにその女は現れる。黒い不繊維マスクをつけた赤い服を着た女。ジョニーは女を見た瞬間ハッと息を止める。『息もできない』って韓国映画(※この映画も見たことありません。なんかのパニック映画何でしょうか?)じゃないがホントに息ができない。『パンチドランク・ラブ』の衝撃はまだ消えない。遥カオリ、渋谷のスクランブルで俺を殴って説教かましてきた女。キャリーバック、カンフーチョップ、キル・ビル、ユナ・サーマン、ルッキズム、フェミニズム、そしてファーストラブ。やめてくれ、頭が痛くなりそうだ。

「ご紹介に預かりました。私が本プロジェクトのチームリーダーを務めさせていただく遥カオリでございます。先ほどミスターカニザキが三顧の礼を迎えて私をスカウトしたとおっしゃっていましたが、まさかアメリカで三国志のコスプレして私を三度も勧誘してくるとは思いませんでした。劉備と関羽と張飛の格好をして不審に思った近所のアメリカ人に銃を向けられても、それでも土下座を続けて私にリーダーになってくれるよう説得してくれました。私に孔明の服までいただきまして、こんなに私を必要としてくれるなら是非この日本一の広告会社の新プロジェクトのリーダーをやらせて頂きたく思いリーダーへの就任を決意しました。若いゆえに経験がなく、また海外経験が長いため日本の広告事情に疎い私ですが力を尽くしてこのプロジェクトを成功させるよう全力を尽くします!」

 カオリ……キャロライン。ジョニーは自分を殴ったこのさほど自分と歳の変わらぬ女が、こうして巨大プロジェクトのリーダーを任されたことにショックを受けた。パンチドランク・ラブどころの衝撃じゃない。ウォール街、大不況、株価暴落、物価高騰、世界大戦の前触れ。なんてこったい。俺がイーロン・マスク気取りで女を口説いている間にこの女はそんな地位にまで上り詰めたのか。

 挨拶を終えた遥カオリに司会が感謝を述べて席に戻るように言う。遥カオリは指示に従って歩き出す。しかし彼女は突如一点を見つめて足を止める。

 ジョニーは遥カオリが突如自分のもとに寄ってくるのに動揺して動けない。キャロライン……。ジョニーは頭の中で何度もそう呟く。キャロラインはジョニーのそばに寄ると、ポケットのアルコール消毒液で自分の手を清めてから握手を求めた。

「一昨日ぶりね、ナンパ師さん。お怪我は治りましたか?」

 まるで心が『タイタニック』。恋の豪華客船はその重さのあまり沈没しまった。パンチドランク・ラブ、沈む豪華客船。ジョニーは遥カオリことキャロラインに完全に落ちた。


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