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旅立ち 〜心にうどんを抱きしめて

 四国の山中にあるとある駅。そこから今私は旅立とうとしている。行先は東京だ。東京に進学するのは私の夢だったけど、旅立つ時になって急に家が恋しくなった。東京にいったらみんなとは会えなくなる。確かに電話やLINEはあるけど会ってみんなの顔を見る事はできない。そして何よりも日本で一番美味しいうちのかけうどんが食べられなくなる。だけどこれは私自身が決めたこと。そのために両親に何度も説得してようやく許可をもらったこと。そのせいでお父さんはいまも口を聞いてくれない。私が話しかけても厨房でうどんを捏ねているばかりで無反応だった。そうしてわだかまりを抱えたまま時は流れとうとう旅立ちの時が来てしまった。

 馴染みの廃線寸前のボロ駅で私は村のみんなとお別れをしていた。お母さん、おばあちゃん、叔父さん、叔母さん、友達、そして地元のみんな。だけどお父さんだけは来なかった。家で出発するって言った時もお父さんはうどんをこねたまま無反応だった。その時はお母さんもさすがにお父さんを叱ったけど、それでもお父さんは私を無視してうどんをこねていた。私は駅員さんがもう少しで電車が来ると声をかけてくれた時、もうあきらめようと改札口に入ろうとした。だけどその時だった。「お~い、待ってくれ」の掛け声とともにリヤカーを曳いたお父さんが私たちの所にかけてきたのだった。

 お父さんは息を切らせてしばらく屈んでハアハアと落ち着かせると、リヤカーから出来立ての天かす生姜醤油全部入りうどんが入ったどんぶりを持って私に差し出した。

「今まで無視してごめんな。これが俺の餞別だ」

「こ、これ天かす生姜醤油全部入りうどんじゃない!わざわざ私のために作ってくれたの?」

「そうだよ、このお前が子供の頃、うどんにまとわりついた天かすは龍の衣のようでホント綺麗。汁に浮かんだ生姜はまるで琥珀みたいに輝いて見える。そして醤油は五回まわしの天国への道みたい。ああ!最高!そしてこれを食べるとまるで陶淵明が夢見た桃源郷にいるような気分になるのよ。もう最高!これほどのうどんはどこの世界にもないわ!と言ってくれたものをそのまま作ったんだ」

 私は父の思わぬプレゼントに泣き、そしてすぐに天かす生姜醤油全部入りうどんを食べた。私は食べながら泣き、泣きながら食べた。ああ!なんておいしいのだろう!こんなうどんをしばらく食べられないなんて切なすぎる!私は子供みたいにこのうどんから離れたくないと叫んだ。しかし父はその私を宥めて実は東京でも天かす生姜醤油全部入りうどんが食べられるようにたくさん作ったんだ。と言ってリヤカーを指した。見ると父が曳いていたリヤカーは百台ぐらいあり、そこに天かす生姜醤油全部入りうどんセットが山と積まれているのだった。

「これを全部持って行きなさい。平穏保存できるように殺菌パックに入れてあるから安心なさい」

「でもこんなに持って行けるかしら」

「大丈夫さ、電車にギリギリ積み込めば運べる。そこの駅員さんたちに東京まで運んで行ってもらうようにしてもらうからさ」

 私は父のやさしさに感動してさっき泣いたのにまた泣いた。そして駅員さんを奴隷のようにこき使ってうどんセットを全て電車に積み込ませて東京へと旅立って行った。

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