見出し画像

《連載小説》BE MY BABY 第六話:美月の告白

第五話 目次 第七話

 店から出た二人は誰もいない深夜の街をあてどもなく歩いていた。美月が先立ってつかず離れずの距離でただ無言で歩いていた。その間照山はその美月にどう話していいかわからずただ見つめることしかできなかった。彼は今になって自分の恋愛経験のなさを悔やんだ。美月に話しかけようにもずっと少年のままに生きてきた彼にはどう話していいのかわからない。こうして歩いていてももどかしさばかりが募る。こんなことは初めてだった。彼は自分のファンの女の子とは平気で話ことが出来たのだ。インディーズ時代は、もちろんメンバーも含めてだが、ファンの子らと飲みにいったりして、彼女たちの相談にまで乗ってあげてたりしたのに。どうして美月を前にして口ごもってしまうのだろう。彼はそんな自分に腹が立ち思わず髪の毛をてっぺんから全部引き抜いてしまいたくなった。照山は我に返り再び目の前を歩く美月を見つめた。まだ酔いの醒めぬおぼつかない足取りで歩く彼女は本当に天使そのままだった。彼は美月の背中に羽が生えているような気すらしてきた。このまま放っておいたら飛んで行ってしまいそうだったし、現実的に車が現れたら惹かれるかもしれなかった。だけど彼には美月を抱きとめるどころか彼女の手を引いて注意を促す勇気さえなかった。照山は美月をただ見つめることしかできなかった。そして美月はホテルが立ち並ぶ通りの道で突然足を止めて照山のほうを向いた。

 照山は振り向いた美月の表情に思わず息を呑んだ。胸が張り裂けそうなほど高まってくる。美月はそんな照山を熱いまなざしで見つめて立ち止まっていた。二人の間に沈黙が流れる。照山はそんな彼女を目の前にしてどうしていいかわからなかった。彼女が何かを言いたげなのはわかっている。だが精神的に少年である彼には美月に尋ねることさえ出来なかった。ただみつめるだけ。それでよいのか彼は美月を見つめながら心の中で激しい自問自答を重ねた。その時とうとう美月が口を開いた。

「あのね、照山君。ちょっと聞いてほしいことがあるの。もう酔っぱらったついでに私のこと全部言っちゃいたいんだ。話していい?」

 美月の言葉を聞いて照山は来るべき時が来たと思った。もう逃げられはしない。もしかしたら僕の中の少年とさようならをしなくてはならない。だがそれでもいい。彼女と一緒にいられるなら全部捨てても。照山は美月に無言でうなずいた。

 美月は照山に向ってありがとうと言うと早速自分の半生を語り始めた。だがその話は精神的に少年である照山にとって耳をふさぎたくなるような話だった。中学時代に世間のことを何も知らない状態で芸能界に入った彼女は芸能人の沢山いる学校に転校させられ、たちまちのうちに芸能界の悪習に染まってしまった。中学三年の時に同級生の男性アイドルと初体験を済ませてからいろんな芸能人と付きあった。だがまじめで頭のよい彼女はそんな自堕落な生活にうんざりして大学に行ってちゃんと勉強をしようと決めて、猛烈に勉強をして某名門大学に入学した。しかしそこで彼女を待っていたのは果てしなき孤独であった。芸能人の彼女に誰も近づかず、たまに話しかけてきても芸能界のことを興味深々に聞いてくるだけだった。結局美月はせっかく入った大学も中退してしまった。芸能人になった中学時代から大学までずっと彼女にはお付き合い程度の友達はいたものの、真摯に何かを語り合える友達はなく、そのことでずっと苦しんでいた。そんな時に彼女はRain dropsに出会ったのだ。

「私大げさかもしれないけどRain dropsを聴いてやっと自分が救われたと思ったの。今までこんなに自分に寄り添ってくれる音楽今まで聴いたことなかったもの。特に『すべての悲しい女の子たちへ』はもうボロ泣きしながら聴いたよ」

 美月はそこで話を止めて一息ついた。そしてうるんだ目で照山をまっすぐ見つめて言った。

「私、きれいな女の子じゃないの。それでもいいかな?」

 照山は美月の言葉を聞いて無意識に子供の頃やっていたテレビゲームのセリフを口走っていた。

「魔女でもいいさ……」

 口走った瞬間照山はハッとして思わず口を閉じた。ああ!彼女は天使じゃなくて魔女だった。だけど彼はそれでもよかった。彼女と一緒に地獄まで落ちて行こう。彼は恐る恐る美月を見た。

 美月はびっくりした表情で照山を見ていたが、突然口を押えて笑い出した。

「いきなり何言いだすのよ!なんなの魔女って!私が化け物みたいじゃない!」

 照山は美月の言葉を聞いて恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になってしまった。そして彼も笑い出した。二人でそのまましばらく笑いあった後、美月が急に体が触れ合いそうなほどそばによってきてつぶやいた。

「でもありがとう。私こんなに人を好きになったのは初めてだよ」

 いま照山の前にいるのは、人気俳優の美月玲奈ではなく、ただ一人のか弱い女の子だった。彼は彼女を抱きしめようと腕を上げかけた。しかし彼はすぐに腕を止めた。このまま美月を抱けば自分も彼女も目の前にあるホテルに吸い込まれてしまうだろう。ほかの人間であったらこういう状況に置かれたらすぐに美月を連れてホテルに駆け込んだだろう。だが彼はあくまで少年だった。彼は自分の中の少年を裏切ることはできなかった。このまま美月と一夜を共にしたら自分は少年でなくなってしまう。あの純粋な少年ではなくなってしまう。彼は必死で自分の中の欲望に耐えた。


 あの時照山が美月玲奈と一夜を共にしたらどうなっていただろうか。そうなったらRain dropはあんな不幸な最期は遂げなかったのかもしれない。しかしRain dropsは確実に少年性をなくし普通の凡庸なバンドとなっていたに違いない。なぜなら照山の少年性こそがバンドのレーゾンテートルだったからだ。少年性を守り抜くことがどれほど彼を苦しめたのかは想像もつかない。しかし照山はそれを守り続けなければならなかった。バンドのために、そして自分のために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?