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キャリー・ザット・ウェイト

 ビートルズの『アビーロード』が爆音でかかる中、男と女が重い荷物を持って歩いていた。二人はかつて夫婦であったが、昨日役所に離婚届を出して正式に別れた。でも二人の表情はすべてを吹っ切ったようにさわやかだ。それぞれの未来へ旅立つ二人を後押しするように『アビーロード』からは「カム・トゥギャザー」や「サムシング」や「ビコーズ」や「オクトパス・ガーデン」等の珠玉の名曲たちが流れ、十一月に吹く季節外れの春風もまた二人の結婚からの卒業を祝うように爽やかに吹いている。

 二人共にビートルズファンだった。出会ったのもビートルズがきっかけだった。男はポールが好きで女は何故かリンゴが好きだった。リンゴは目出ものじゃなくて食べるもの。女は男によくそんな冗談を言っていた。今日は別れの日。二人は住み慣れたアパートを出てそれぞれの新天地へと向かう。もう少ししたら自分たちはさようならだ。だけどさよならはさよならじゃない。この人生が続く限り、どこかで二人は再会するだろう。男は役所に離婚届を出した後で女にそう語った。女は男の言葉に固くうなづいた。お別れだけど、別れじゃない。きっとどこか別の形で私たちは会うんだ。

「私たちは結局十年も続かなかったけど、だけど結婚って時間じゃないよね。濃密に過ごした記憶だよね。だってビートルズだって十年の続かなかったのに、あれほど、ポールのような天才がその過去から逃れられないように、そして私の好きなリンゴがアップルのCMでアッポーといっていたように私たちの過ごした時間は一生記憶に残る」

「君の言う通りだ。確かに俺たちは十年も続かなかった。だけど俺たちの過ごした時間はジョンとポールとおまけのジョージがビートルズとして生きてきた時間のように偉大な物なんだ」

「ちょっと、あなたどうしていつもリンゴを抜くの?あなたが椎名林檎が嫌いなのは知ってるけど、リンゴまで嫌わなくてもいいじゃない」

「ゴメン、こんな意固地な僕だから君は一緒に暮らしていけないと思ったんだね。でもしょうがないよ。ぼくは確かにジョンとポールのように意固地で子供みたいなやつなんだから」

「ねえ、あなたビートルズの新曲買う?」

「勿論買うさ。だって僕らのビートルズの、そしてずっとビートルズを背負ってきたポールと……ドラマーの僕らビートルズファンへの最後の贈り物なんだから」

「私たちもポールとリンゴのように、再び元に戻れるかな?」

「将来のことはわからないよ。とにかく今はこの荷物を背負って自分の道を行かなきゃいけないんだから」

「そうね、この重すぎる荷物を立った一人で持っていくのは辛いけど、だけど行かなきゃいけないんだよね」

 その時二人のとりあえずのエンディングを飾るように『キャリー・ザット・ウェイト』が流れた。「君はその重荷を背負っていくんだ。これからの長い人生をずっと」もう行かなくちゃいけないと男は自分の荷物が全て入った中サイズのビニール袋を軽く上げて見た。そして女のリヤカーと後に続くトラック三台に乗せた荷物を見て言った。

「あの、どう見ても俺の荷物の方が少ないんだけど……。っていうか俺明日からどうやって暮らしたらいいわけ?」

「うるさい!決まった事を今更蒸し返すな!私は女なのよ!今の不景気にたやすく就職口なんて見つからないんだから慰謝料代わりにくれって言ったのに同意しただろうが!そういう所が大嫌いなんだよ!椎名林檎が嫌いだからってリンゴも嫌うようなひたすらちっさい男!何がポールが好きだ。ちっこいボールとバットしか持ってないくせに!」

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