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《長編小説》全身女優モエコ 高校生編 第十話:地区予選

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 財閥の御曹司の絵描きが背景を手伝うようになって後顧の憂いを断ち切るとモエコは安心して全てを集中して稽古に取り組んだ。稽古で彼女はカルメンそのままに情熱的に叫び転げ回った。他の部員たちもそんなモエコの演技に負けじと必死になって熱演していた。彼らはモエコの相手をする時などまさに命を削って彼女扮するカルメンに必死で食らいついていた。特に最もモエコと共演するホセ役の生徒の成長は著しいものがあった。

 ホセ役はモエコ扮するカルメンの相手役なので、必然的にモエコと肌を触れ合う機会が多くなる。だから他の生徒はよく彼に向かってあのグラマラスな体のモエコに触れるなんて羨ましいと言っていたが、内情はそれどころではなかった。彼はモエコの鬼のような指導で毎日彼は発狂しそうなほど追い詰められ、体重も激減していかにもカルメンによって追い詰められついにカルメンを殺めてしまったホセそっくりになっていった。

 モエコたち役者陣が地区大会に向けていよいよ舞台の総まとめにかかっている時、背景も完成に近づいてきた。背景のアイデアはモエコと御曹司が相談して決めたものだが、その際御曹司はモエコの性格をよく知っていたので彼女の気にいるようにやたら舞台をゴージャスに飾り立てた下絵を出してみた。そしたらその通り彼女は喜びのあまり立ち上がり、「これよ!これが私の望んでいたカルメンよ!」と叫ぶと下書きを持ち出してその場にいた皆に見せて周ったのである。

 そうして背景のデザインが決まると早速大道具係と、あとは役者陣の中でも多少絵心のある者も手伝って早速背景の制作に取り掛かった。モエコも張り切って、「カルメン役の私が背景を手伝わないでどうするの!」と筆を持って割り込んで来たが、皆彼女の絵のド下手くそさは知っているので、慌てて彼女を宥めて止めた。

 御曹司は部員の後ろに立って指導していたが、絵画教室の講師をやっているだけあってその指導は非常に的確だった。ハンサムガイである彼は特に女子部員に人気でよく「おじさん、ちょっとこっち来て!」と呼ばれていた。彼は不服そうに「まだ四十にもなってないのにおじさんはねえだろ!」と文句を言ったが、女子部員が「三十超えたらみんなおじさんよ!」と言い返してきたのでタジタジになった。そうして皆で背景の制作に取り掛かっていたある日、モエコのいる前で御曹司に女子部員の一人がこんな質問をした。

「ねえ、おじさん。おじさんは普段何してるの?」

「ちっ、相変わらずおじさん扱いかよ。俺は売れない絵描きだから、絵画教室の講師とか、後は映画の看板描きの手伝いやってる。この間やってた神崎雄介の映画のリバイバル上映の看板。あれ俺も描いてんだぜ」

「えっ、すご~い!」

 モエコは彼が神崎雄介の看板を描いたと聞いて映画館に貼り付けられていた神崎の看板を思い出すと身を乗り出して彼に聞いた。

「えっ、あの看板あなたが描いたの?」

「ああそうだよ」

 神崎雄介の名前を聞いてモエコはあのロケのときに神崎を思い浮かべた。あの映画はもう完成したのだろうか。そして神崎は今どうしているのだろうか。彼と出会ったあの日を思い出しているうちに、モエコは自分も頑張れねばと思い、早速稽古に疲れ果てダウンしていたホセ役の生徒を無理やり引きずって稽古を再開したのであった。


 教頭は御曹司が来てから毎日のように部室に現れた。そして御曹司の背景の下絵を見てわざとらしく褒め、さらに稽古しているモエコの演技を褒めちぎった。彼はやはり不安であったのだ。このフーテン男の御曹司にもエコが誑かされないだろうか。しかしそれをモエコに気取られるわけにはいかない。だから彼はもうモエコを応援するためと自分さえごまかしながら、モエコの徹底した監視をすることに決めたのだ。御曹司もまんざらでもない調子で教頭と絵について語っていた。

 モエコは教頭と御曹司が話し合っているのを見て、これだったら二人に向かって共通のお友達が自分であることを教えても安心だと思った。彼女は自分のお友達を全員集めてティーパーティをしたくなった。午後のひとときをお友達みんな集めて紅茶を飲むなんてなんて素敵なことだろう。私と御曹司と教頭と、後は地主の息子。きっと彼らはすぐに友達になるはずよ。ああ!この演劇大会が終わったら早速お友達に提案しよう。みんな、お友達を紹介してあげるって!


 地区予選の三日前になってやっと背景が仕上がった。早速体育館のステージに背景を掲げたが、その場にいた一同は完成した背景の素晴らしさに驚いた。顧問と部長は昨年の貧弱な背景とまるで違うのに驚き、部員はただただ感嘆し、教頭は大げさに褒め上げ、御曹司はその無茶褒めぶりに苦笑を浮かべた。そしてモエコも新しく出来た背景をみたが、彼女はその見事な出来栄えに感激して涙まで流した。ああ!なんてこと!このゴージャスな舞台でカルメンを演じることが出来るなんて!もう死んでもいいわ!とモエコは叫んだ。そのモエコに向かってその場にいたみんなが、おいおいまだ死ぬとこじゃないだろ!舞台はまだだぜ!と言って囃し立てていた。

 教頭は背景が出来たのを確認して、これでやっと御曹司がいなくなるとホッとした。これでやっとモエコを独占できると思った。彼は一瞬どっかでモエコと御曹司が密会しているんじゃないかと考えたが、すぐに思いっきり頭を振って忘れようとした。彼はモエコに近づいて声をかけた。

「これでやっとカルメンが出来るな」

「ええ……」

 とまだ歓喜にむせんでいるモエコが潤んだ目で答えた。教頭は今すぐにでもそのモエコを抱きしめてやりたかった。しかしそれはあくまで演劇大会が終わった後だ。自分はそこで彼女に対して愛を告白するだろう。そして彼女は涙を流しながら彼の告白を受け入れてその白い肌を見せるだろう。ああ!私はモエコが小学校の時に初めて出会ってからずっと勉強を教え続けきたのだ。いわば私はモエコのあしながおじさんだ。ジーン・ウェブスターの原作のあしながおじさんは主人公の少女と結婚してめでたくハッピーエンドを迎える。私とモエコもそうならなければならない。彼はそこに多くの人がいるのも忘れて熱い目でモエコを見つめた。


 モエコと御曹司は校門から少し歩いた場所で別れの挨拶をした。

「これでしばしのお別れだね。モエちゃん」

「うん、どうもいろいろありがとね」

 御曹司はモエコの言葉にニヤリと笑って答え、それから首をヌッと近づけて彼女に囁いた。

「モエちゃん、約束は忘れてないよね。演劇大会が終わったら……」

「しつこいわね。私言ったじゃない!あなたの芸術のためだったら裸になるなんて平気だって!」

「そうだよ、これはいやらしいことじゃなくてあくまで芸術のためなんだ。僕の燃え上がる画家魂が君のヌードを書けって言ってるのさ!」

「わかったわ。じゃあ演劇大会が終わるまでしばらく会いにいかないからね!しばらくこっちにも来ないでね!」

 モエコが御曹司を見送ってさて校舎に入ろうとして後ろを振り返ると、何故かそこに教頭がいた。彼女は驚いてしばらく立ち止まったが、しかし教頭があまりにも切ない目をしているのがかわいそうになって一緒に校舎に入ることにした。


 稽古が終わりモエコはまっすぐ家に帰ったが、玄関の前までゆくと両親と地主のバカ息子の喋り声が聞こえて来たので立ち止まった。

「ホントですかい?あっしらにこんな一等地に土地貸してくれるって!」

「飲み屋をやるんだったらここが一番いいところブヒよ!」

「あなた凄いじゃない!あっという間に夢が叶うなんて!」

「ありがてえ!金までくれてさらに店の土地まで貸してくれるなんてよ!アンタはもしかして大福神の生まれ変わりかい?」

「ブヒブヒブヒ!これもモエコちゃんのためブヒよ!」

「モエコかい?しっかしモエコの野郎、アンタがこんなにモエコのために尽くしてやってるのに、アイツと来たらアンタを肥溜めに落とす真似なんかしてよ!モエコの野郎何考えてんだ!」

「じゃあ僕チンは早速手続き取る準備をするから今日は帰るブヒ!」

 地主のバカ息子がそう喋ってる声が聞こえてまもなく玄関の戸が開きその前にいたモエコと地主のバカ息子は鉢合わせになった。モエコが早速さっきの話のことを彼に問いただすと彼は慌てたようにモエコに向かって「これはモエコちゃんのためにやったんだブヒ!みんなが幸せになるためにやったブヒ!」と言い残してさっさと乗用車で逃げてしまった。モエコは去りゆく地主のバカ息子の乗用車を見ながら何か悪い予感が頭をもたげて来るのを感じた。


 地区大会でモエコたちの舞台『カルメン』は審査員達の大絶賛を受けて最優秀賞に選ばれて、めでたく県大会へ出場することになった。審査員達は豪華なセットと演技者達、特にモエコの情熱的な演技を、台本と演出の無味乾燥さをカバーするどころか命まで与えたと大絶賛していた。顧問はこの結果に自分の処分は免れたと安心し、部長は自分の脚本と演出がなにげに酷評されていることに傷ついたが、素直にモエコと仲間たちを褒めた。モエコはこの結果に当たり前だとわざと余裕ぶっていたが、結局は大泣きしてしてしまった。

 こうして舞台は県大会に進むのだが、同時に悲劇へと進むことになる。スポットライトはいつまでも輝かない。ふと電源が落ち一瞬にして暗闇になることもある。まるで人生のように。





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