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平凡寺連続殺人事件 〜史上最凶の挑戦者

 WEBサイト『ミステリー・サークル』で政所半蔵の新作『平凡寺殺人事件 〜史上最凶の挑戦者』の連載が始まるとのニュースが流れた時各ニュースサイトやSNSでとんでもない盛り上がりを見せた。それもそのはず今回の新作は政所半蔵初のWEB連載だからである。

 政所半蔵といえば誰もが知る超人気の本格ミステリー作家である。だから彼が各媒体でミステリー・サークルに連載を始めると発表すると政所の愛読書や推理小説ファンは政所の小説を読もうとすぐさまミステリー・サークルに入会した。1話300円×24話のぼったくりに近い価格であり、しかも連載はwebで完結させず、結末は後日発売される単行本まで持ち越しという完全に二重取りの状態であるにも拘らずである。

 こんな酷い売り方であるが何一つ文句が一つも出なかったのは、ひとえに作家政所半蔵に対する絶対的な信頼があったからだ。彼はデビューするなりあらゆる文学賞を総なめしついには識者に本格ミステリーは政所半蔵一人で十分だと言わしめるほどの地位を獲得した。政所半蔵は名声に慢心することなく超絶的なトリックを次から次へと編み出して読書を驚嘆させていた。

 その政所半蔵の新作『平凡寺連続殺人事件』は先日大絶賛のうちにweb連載を終了し、後は結末が書かれた単行本の発売を待つのみとなった。

 この小説は明治時代の有名な奇人三田平凡寺が集めた珍品を巡る連続殺人事件を書いたものだが、政所の代名詞である奇抜すぎるトリックの数々とストーリーのどんでん返しっぷりは普段から政所作品に親しんでいる読者さえも衝撃を受けた。連載は主人公である本郷大学の大学院生日真粒四郎が推理を重ねてとうとう連続殺人事件の犯人を突き止めるが、その犯人と目された人物が日真粒の目の前で突如現れた平凡寺の珍品で殺される所で終わってしまう。読者はこのラストに大衝撃を受け、早く単行本を出せと政所半蔵のSNSにコメントを書き込んだ。読者は待ちきれぬあまりそれぞれ自分で犯人の推理を始めた。犯人はかつて三田平凡寺主催していた我楽多会の会員の末裔か。いや、もしかしたら平凡寺に騙されて二束三文で家の遺品を手放した者たちの末裔が平凡寺の名を貶めんと犯行を企ているのか。犯人はもしかしたら複数かもしれない。よく考えてみればあの複雑極まるトリックは一人で仕掛けられるはずがない。読者は各々真犯人が誰か推理しヤキモキしながら単行本の発売を待った。


 その騒ぎの中、当の政所半蔵は朝一で某メンタルクリニックの前に立っていた。彼は入り口の前でキョロキョロあたりを見回して誰もいない事を確認するとそっと入り口の扉を開けた。

 彼は長い作家活動でかなり神経がやられていた。本格ミステリー作家としてデビューしてからずっと彼は読者から常に驚くべきトリックと大どんでん返しを書くことを期待され続けてきた。次はもっと凄いのを、その次はさらに凄いのをと書き続けていくうちに読者のトリックと大どんでん返しへの期待はドラゴンボールのごとくインフレ化してしまった。それでも政所はプレッシャーに悩まされながらも作家政所半蔵として読者に責任を果たすためになんとか書き続けた。しかし読者の一部からトリックが以前使ったものとそっくりという指摘や、期待したほど大どんでん返しじゃなかったという軽い失望の感想が徐々に出始めていた。

 真面目な気質の政所はもっと力を入れないと政所半蔵はすぐにどこにでも二流のミステリー作家になってしまうと身を引き締め、そうならないようにと無理矢理自分を奮い立たせて小説を書いていたが、そうして書いているうちに激しい神経症になってしまっていたのだ。それでも政所は耐えて書いていたが、平凡寺のweb連載を終えた所でとうとう限界が来てしまった。政所から神経症を拗らせて続きが書けなくなったと告白された編集者は、彼を治療させようと作家やミュージシャンなどがよく通っている某メンタルクリニックを紹介した。政所は編集者からそのクリニックを紹介されると、早速クリニックのサイトで予約の受付をしてその日を待った。

 政所が受付を済ませると医師からの呼び出しがかかるまで近くのソファーに座って待つことにした。クリニックの中は彼一人である。他には誰もいない。彼はこれを見て朝一に予約が取れたことに喜び、そして自分がここから出るまで誰も来ないことを祈った。部屋には全体的に白っぽく極端に物がないように見えた。何かトリックでもありそうだ。人気のないクリニック。無数に張り巡らされた釣り糸。外にいる犯人が遠隔操作で釣り糸を引いたらドアは開きたちまち平凡寺の珍品が被害者を襲う。

 ああ!やめろ!今は小説のことなんか忘れるんだ!彼は妄想から逃れようと頭を叩き我に帰ると改めてクリニックの中を見渡した。やはり何もない部屋だ。近くに本や雑誌を納めた二段のBOXだけがポツンとある。政所は雑誌でも読んで気を紛らわそうとBOXに近づいたが、その上段にある本を見た瞬間政所は再びソファーに戻り、その場でガックリと腰を落として項垂れてしまった。なんと上段に自分の小説がズラリと並んでいたのである。デビュー作の『猿山の殺人妊娠』『全身女優連続殺人事件』『人違い ~同じ名前の歌手』『指揮棒のトリック』など代表作で埋め尽くされていた。彼は先程の妄想が再びもたげてくるのを感じた。しかしその時看護師がマイクで自分の本名を呼んだのではっとして妄想など何処かに吹き飛んでしまった。

 彼は震える手を押さえてドアを開けた。医師は彼に向かってどうぞここにお座りくださいと椅子をすすめてくる。医師は若くて綺麗な女性であった。政所は精神科には陰気なジジイしかいないと偏見を抱いていたからこの意外さに少しホッとした。

 政所が椅子に座ると女性医師はにこやかに挨拶をして自己紹介して早速問診を始めた。

「では木村さん、これからいくつかご質問させていただきますので差し支えない範囲内で答えてください」


 一通り問診を終えた医師は怪訝な顔で政所と問診票を見比べた。政所は医師の態度を見て待合室のBOXに並べられた自分の本を思い出して自分が情けなくなった。医者は今病み切った自分を見てあの政所半蔵がまさか神経症になっていたなんて。あの超絶的なトリックで常に読者を驚嘆させる作家がまさか心を病んでいたなんてって思っているはずだ。ああ!全く自分が嫌になる!早く小説の続きを書かなきゃいけないのに、こんなことになるなんて!医師は相変わらず彼と問診票を見比べていた。政所はその彼女の表情に見られたくないものを見られたような気がして思わず俯く。しばらくしてから医師は彼に向き直りいかにも言いにくそうな表情で彼に話しかけた。

「あの木村さん、ご不快に思われるかもしれませんが一つ聞かせてください。あなたはいつから自分を作家の政所半蔵だと思いこんでしまうようになったのですか?」

 このあまりに馬鹿げた問いに政所は腹が立つどころか呆れ返ってしまい思わずはぁ?と声をあげてしまった。しかし医師は表情を変えずに話を続けた。

「不愉快な思いをさせて申し訳ありません。私は木村さんの話をお聞きして、もしかしてあなたは神経症でなく妄想性パーソナリティ障害の可能性があるのではないかと診断したのです。ですからそれをはっきりと証明するためにこうして質問をしているわけです。もし答えたくなければ答えなくて結構です。ただ私としましては原因が掴めないことには治療のしようがありません。出来るなら全てを私に打ち明けてくれませんか?」

 政所は医師のこのあまりに頓珍漢な診断ぶりに呆れを通り越して彼女との断絶を感じだ。彼はこのヤブ蚊医者と話をしても無駄。下駄の鼻が切れるほど無駄なだけと判断して部屋から出ようと思った。

 しかし彼はすぐに冷静になりこう考えた。確かにここから出ていくのはいい。しかしそうしたらこのヤブ蚊のバカ女は自分を一生政所半蔵と思い込んでいるメンヘラだと記憶するだろう。確かにこのヤブ蚊女が後で自分が本物の政所半蔵だと気づく時が来るかもしれない。だが自分の性格からすると今このクリニックから飛び出したら、二度とくることはないだろう事は確実だし、そうなると自分はこのバカ女があれは妄想性障害のメンヘラではなく本物の政所半蔵だと気づいた事が確認できないのだ。それはヤブ蚊女が自分を政所半蔵だと気付かずにいる事と同じ事だ。

 やはり今ここでヤブ蚊女に向かって自分がメンヘラではなく政所半蔵本人だと証明しなければならない。しかしどうやって証明するのだ。自分は名刺を作らない主義で当然政所半蔵の名刺なんか一つも持っていない。いや持っていたとして名刺を見せたらこのヤブ蚊女はそこまでして政所に成り切るかと憐れむだけだろう。免許証、マイナンバー、保険証。今身分を証明できる書類をあげても当然木村吾作の名義のものしかない。こうなったらヤブ蚊女に徹底的に説明してわからせてやるしかない。

 政所はそう考えてあえて医者の頼みを聞き入れる事にした。政所は正直に自分が政所半蔵のペンネームを考えたのは二十数年前の学生の頃文学賞の応募した時につけた事を話した。医師は政所の話に相槌を打ちながら素早く話の要点を書き留めてゆく。そうして政所の話が終わると医師はゆっくりと顔を上げ、ありがとうございますと礼を言ってから一つお聞きしたい事があるのですがと、また政所がいつから小説を書き出したのか聞いてきたので彼は確か中学生の時からだと答えた。すると医師はなるほどと相槌を打ち政所を露骨に哀れんだ表情でまるで何かの宣告でもするかのような調子で語り出した。

「なるほど、あなたは中学時代からずっと小説を書いていたのですね。多分あなたは小説を書きながら自分こそ一流の小説家となるべき人間だと思っていたのだと思います。しかし大学生の時に自分と同世代の天才作家政所半蔵が出てきてしまった。あなたは彼の存在が気になってつい彼のデビュー作『猿山の妊娠殺人』を読んでしまったのです。あなたは政所半蔵の才能に圧倒されて自分を見失ってしまったのです。彼の小説に比べたら今まで自分が書いてきた小説はなんだったのだろう。こんなはずはない。これは現実ではない。本来なら僕が彼の立場であるべきなんだ。あなたは絶望し全てを疑いながら崩壊した自我を取り戻すためにある方法を思いついた。それはあなたが今やっている自分を政所半蔵だと思い込む事です」

「ち、違う!そんな事があるもんか!」

 政所はそう思わず立ち上がって叫んだ。実際に全くどっからこんな空想が出るのかってぐらいの出鱈目な想像だが、医師の声の調子が妙に真実味を帯びていたので思わず取り乱してしまった。まるで自分が容疑者になってしまったみたいだった。一瞬本当に自分が政所半蔵を自称しているただの無職木村吾作ではないかと疑った。彼は自分に向かって俺は政所半蔵だよなと何度も確認した。バカバカしい事だがそうしないとこの医師のせいで自我が揺らいで崩れてしまうような気がしたのだ。医師は冷静に政所に向かって座るように言い再び話を始めた。その姿はまるで彼の小説の主人公の名探偵日真粒四郎そのままだった。

「あなたは今私の言葉に酷く動揺しましたね?それは私の言葉が正しかったことの証明です。てまはさらにあなたという人間の本質を言い当てましょう。あなたははっきり言って自我が果てしなく弱いのです。だから政所半蔵という天才作家のペルソナに頼らなくては生きていけなかったのです。でもいつまでも天才作家政所半蔵を演じ切れるものじゃない。いずれメッキが剥がれてただの二流作家、いやただの一般人になってしまう恐怖にあなたは取り憑かれている」

 この医師の言葉は完全に明後日の方向から発せられたものだが、奇妙なことに政所半蔵という人間の本質をついていた。彼女の言う通り、政所半蔵というものがなかったら自分は木村吾作というただの田舎者でしかない。自分が都内の一等地の高級マンションに住んでいられるのはみんな政所半蔵のおかげなのだ。政所半蔵が数々の小説を書いてくれなかったら今の自分はなかった。だが今その己の中の政所半蔵が死にかけている。医師はここで政所をキッと見据えて言った。

「そんなに政所半蔵を演じるのが苦しいならいっそ自分の中から彼を捨ててしまいなさい。そうして本当のあなたに戻るのです。さっきあなたは小説のラストが書けなくて神経症になってしまったと言いましたね?」

「はい」

 政所は驚くほど素直に返事をした。そして先程までとは打って変わって医師の話に聞き入った。

「それはきっとあなたが政所半蔵として書いているからです。あなたは政所半蔵でないくせに政所半蔵の気になってこんなの書いたら読者からつまんないと思われるとか、こんなの政所半蔵らしくないとか思っているからです。もっと自分に素直になって書きなさい。ちなみにあなたは小説のラストをどう書こうとしているんですか?」

 政所は言われるがままに今まで連載していた平凡寺連続殺人のざっくりしたあらすじを話し、それから頭の中で考えていたラストをできる限り詳しく語った。政所の考えていた小説のラストはこんなような話だ。

 連続殺人事件の犯人は主人公の日真粒四郎が入っている大学寮の給食担当の女性山口久恵である。彼女は小説の冒頭からちょくちょく出ていたが、容姿がまるで描写されていないのに加え、二言三言しか離さないので全く印象に残らない人物であった。しかし彼女は実は日頃から天才探偵と呼ばれている日真粒四郎を憎んでいた。彼女が連続殺人事件を起こしたのは日真粒への妬みが原因だ。成績優秀にもかかわらず家の貧しさが原因で自分は大学にも行けなかったのに、大学院でお気楽に探偵ごっこをしている日真粒が妬ましたかったのだ。彼女は名探偵日真粒四郎は実はただの平凡な人間に過ぎないことを証明するために彼が所属している本郷大学院の史料課から三田平凡寺が集めた珍品を盗み出して犯行に及んだ。すべての真相を知って日真粒は山口が自分への恨みのためだけに連続殺人を犯したことに震撼する。ただそんなことのためにこんな恐ろし事を!政所は小説のラストを皮肉な調子でこう締めた。「平凡こそが一番恐ろしい」

 医師は政所が語る小説のラストを聞いて目を輝かせた。そして彼の手を取って言った。

「凄い小説じゃないですか!政所半蔵だってこんなラスト書いたことないですよ!木村さん、自分を信じてくださいよ!あなたはきっと政所半蔵を乗り越えられますよ!私これからはあなたの担当になりますね。医院長にもそう言っておきますから。それでは次の来院日いつにしますか?小説の進捗状況はその時にまた聞かせてくださいね!」


 政所半蔵は嘘のように晴れ渡った気持ちでクリニックを出た。全く入った時のあの陰鬱さはなんだったのだろうか。今彼はまっさらな気持ちで小説に取り組めると思った。思えば自分は今まで政所半蔵というブランドに縛られてしたような気がする。ブランドに傷がつくことを心配していつの間にかみんなの期待する小説しか書けなくなっていた。これからは自由に思った通り小説を書こう。とりあえず今は彼女が褒めてくれたラストを書き上げて平凡寺を終わらせよう。きっと彼女は政所半蔵の新作を読んでびっくりするだろう。あの患者さん本当に政所半蔵だったのかと。彼はそんな風に未来のことをいろいろ思い浮かべながら駅まで歩いた。

 さて、それからしばらく経った時である。ラストを書いて出稿した政所半蔵のところに担当編集者から電話があった。電話に出ると編集者は慌てた調子で小説のラストがネットで漏れていると報告してきたのである。編集者は部外者に原稿は見られなかったか聞いてきた。しかし彼には当然心当たりなどない。確かに先日メンタルクリニックで女性の医師にラストを全部話した。しかし彼女は僕を政所半蔵ではなく妄想性パーソナリティ障害の木村さんだと思っていたはずだ。彼は電話を終えるとすぐにネットで検索した。ラストの漏れの出所はすぐ見つかった。『メンタルドクター0子の推理日記』とかいう個人サイトであった。この個人サイトは主に推理小説のラストを予測する記事を書いており、個人サイトとしてはあり得ないぐらいの人気で一日百万ぐらいの閲覧者があった。その人気サイトに彼が書いたラストとほぼ同じストーリーが0子の推理として書かれていたのである。『平凡寺のラストは100%これでくるはず。もし変わったらまた報告するから』と0子とかいう奴は書いていた。

 彼はこのサイトを見て慌てて編集者に電話をしラストを書き換えることを伝えた。そしてラストの構想を頭の中で一から組み立てるとまたあのメンタルクリニックへと向かった。そしてあの女性医師に自分のラストが何者かに盗まれたことを正直に話し、この妄想性パーソナリティー障害の木村さんを憐れむ医者の前で新しく作ったラストを語り始めたのである。


 このお話はこれで終わりだが、最後に人気ミステリー作家の政所半蔵こと木村吾作という人間について一言書いておきたい。この政所半蔵という男はあれほど複雑な構成と奇天烈なトリックを書くのに本人自身は異様に単純でよく詐欺に騙される人間である。この間彼が天才詐欺師に騙されて百万振り込んでしまった。この政所半蔵を騙すなんてとんでもない奴だと言って我々にとあるメールを見せたが、それはあなたのPCはウィルスに感染したので治してほしければ百万振り込めというどっから見ても騙されようのないただのスパムメールであった。

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