見出し画像

ロックンロール・スーサイド

 若者たちに絶大な人気を誇る四人組ロックバンドRain dropsのメンバーは昨夜からマネージャーを交えてぶっ続けにミーティングをしていた。しかしそこにバンドの顔である照山の姿はなかった。メンバーは空の椅子を見ながら照山のことを思った。アイツには電話はもちろん、散々メールやLINEを送っているのに返事さえ送ってこないのはどういうことなんだろうか。アイツの決意はそれほど硬いということなんだろうか。

「こんなんじゃ何もできゃしねえ!あいつバンドをなんだと思っているんだ!」

 とうとうRain dropsのメンバーがキレ出した。照山がメンバーに脱退の意思を告げたのは三日前である。あの衝撃的な東京ドーム公演の後、照山の裏切りがすべて白日のもとにさらされ、ネットで事件を知ったファン達は阿鼻叫喚の叫びをあげ、マスコミも照山が起こした事件をセンセーショナルに取り上げ、もはや今までRain dropsが築きあげてきた栄光は足元から崩れ落ちようとしていた。そんな中行方不明の照山がメンバーに脱退の意志を告げるメールを送ってきたのだ。

『俺はもうRain dropsを続けることは出来ない。俺の裏切りがみんなに知られてしまった今、俺はRain dropsの曲を歌うなんて出来ない。いやその資格さえない。だけど信じて欲しい!俺は騙すつもりなんてなかったんだ!だけどありきたりだけどバンドのフロントマンとしてのプレッシャーがいつの間にか俺を追い詰めていたんだ。このままじゃ俺はダメになるという恐怖にずっと苛まれていた。気分をかえたり、いろんなことを試してみたけど、なんの効果もなかった。追い詰められた俺は最後の手段としてあれに手を出してしまった。許してくれ!と言っても許してくれないことはわかっている。俺のせいでバンドの十周年をめちゃくちゃにしてしまったんだから!もう俺は歌わないし、曲も作らない。俺は音楽から足を洗って田舎に帰って農業でもしながら暮らすさ。俺の曲はいつでも使っていいぜ!今の俺なんかよりオマエらの方がはるかに心迫るような歌を歌えるはずさ』

「バカヤロー!」とベースの草生が叫んだ。メンバーがハッと彼を見ると、草生は目を真っ赤にしていた。

「なんでこうなる前に俺たちに一言相談してくれなかったんだ!たった一言相談してくれたらこうなる事はいくらでも避けられたじゃねえか!」

 メンバーは沈黙してしまった。確かに照山がメンバーに相談していればあの事件は避けられたかもしれない。彼を休ませて世間から守ることだってできたかもしれない。だが事件が起こってしまった今、もう何を言っても無駄なのだ。もはやバンドに未来はなかった。バンドメンバーとファンを裏切った照山を無理矢理呼び戻したところでファンは戻ってこないだろう。しかしバンドのフロントマンであり、Jロックの救世主とまで呼ばれている、日本ロック界のカリスマの照山がいなければRain dropsは成り立たないのだ。昨夜からのミーティング中ずっと黙っていたマネージャーが初めて口を開いた。

「もう解散しよう……。あれだけのことをしでかしたんだ。もうファンは戻ってこないよ。汚れて惨めになる前に解散しようぜ。それがオマエらにとってもあいつにと最善の道なんだ」

 マネージャーの言葉にメンバーは俯き黙ってしまった。デビュー十周年を迎えますます弾けるかと思われたRain dropsだったが、しかし思わぬスキャンダルのせいで一瞬にして蒸発してしまったのだ。

「だけど、だけどだよ」と、沈黙を破ってドラムの家山が喋り出した。

「照山ってこんなに世間から非難されるようなことしたかよ!誰にも迷惑かけてねえじゃん!」

 それを聞いた途端ギターの有神が立ち上がり、テーブルをガンと叩きながら叫んだ。

「バカヤロー!誰かに迷惑かけたとかそういう問題じゃねえんだよ!アイツは俺たちを、そして俺たちを支えてくれたファンを裏切ったんだ!しかも何年も!あんなにボロボロになるまで隠してやがったんだ!それを許せってのか!俺は絶対にアイツを許さない!俺たちをあれだけ騙しといてメールひとつでサヨナラか!何がJロックの救世主だ!何が最高のカリスマだ!何が21世紀のカート・コバーンだ!あんなインチキ野郎をよくここまで信じてこれたぜ!」

 有神の怒りは本物だった。彼はずっと一緒に夢を追ってきた人間に裏切られた絶望に拳を震わせた。照山が東京へ上京してまもない頃、彼の才能を最初に認め一緒にバンドを組もうと呼びかけたのはこの有神であった.。彼は照山にバンドの結成を持ちかけた時こう言ったのだ。「俺たちで奇跡を起こそうぜ!」そして照山もこう答えたのだ。「天気雨の雨粒のようにオーディエンスを頭から光り輝かせることができたらいいな」奇跡は確かに起こった。しかしその奇跡がこんな手酷い裏切りで終わるとは……。


 Rain dropsがシングル『セブンティーン』でメジャーデビューしたのは2010年の4月1日である。彼らの登場は日本のロック界に大衝撃を与えた。ロック雑誌はこぞって彼らを取り上げて『日本ロックの救世主あらわる!』と書き立てた。特にボーカル&ギターの照山のミスチルやパンプをさらに純化したような圧倒的な少年性と、そのデビュー曲の切なさを極めたようなメロディは当時のリスナーにかなりの衝撃を与えた。彼らは完璧であった。しかし、彼ら自身はこのデビュー曲をあまり高く評価していなかった。彼らによればこの曲はレコード会社の担当者にせっかくのメジャーデビューなんだから売れるものを作れと言われて無理矢理作った曲らだそうだ。そう言われて聞いて見ると確かに後の彼らからすればこの曲はJPOPの範疇に収まる曲であり、みずみずしいギターのカッティングなど昔懐かしのスウェディッシュポップさえ思わせるほどだ。しかし花売り娘に裏切られた純情を歌った照山作詞の歌詞はすでに独自のものがあり、照山の透き通るハイトーンボイスで歌われるサビの「あの子は毎日がエイプリルフール!裏切られ、裏切られ尽くされた僕。花売り娘花売り娘、君は残酷な花売り娘!」というフレーズなどはエモロックを遥かに超えた狂気を感じさせるものであった。

 それから彼らRain dropsは順調にシングルとアルバムを出していたが、デビュー三年目にして伝説のシングル『少年だった』を作ってしまった。このシングルは完全に日本のロックを変えてしまった。照山のひたすら少年性を剥き出しにした歌詞はここでひとつの頂点に達した。曲もそれまでのJPOP的な甘さはすっかり消えて、ディープな切なさとハードコアものけぞるような激しさを前面に出したのだ。照山の弾くマイナーコードのアルペジオのイントロから始まり、そこに有神のギターの引き裂くようなリフが現れる。そしてリズム隊が彼らをあとを必死でついてくる。その陰鬱なメロディーに乗せて透き通るハイトーンボイスで照山はこう歌う「夕焼けの空、膝を抱えて、沈み込む、僕は少年!十五歳の少年!」。そしてサビですべてから開放されたかのように全楽器が大爆発する。ツインギターは言葉にならぬ叫びとなり、リズム隊は地響きとなる。その大音響をつんざいて照山は叫びとも泣き声ともつかぬ声でこう歌うのだ。「僕は少年だった!少年だったぁ!」このフレーズは当時のJロック好きの十代の少女ならみんな知っているはずだ。私の友達も他の学校の子もみんな学校帰りに口ずさんでいた。

 『少年だった』を発売以降Rain dropsは一気にブレイクし、はじめての東京ドーム公演などたった十分でソールドアウトしてしまった。しかしその人気の過熱ぶりは照山を苦しめ、そのプレッシャーに苦しんで妙に重苦しい歌詞と曲を書くようになってしまった。歌詞は喪失のテーマが頻繁に登場し、この時期の代表曲『流れる糸』ではこんなことを歌っている「毎日僕は何かを失っていく。失うことすら忘れるほどに」そのB面におさめられている『草の方舟』ではこんなことまで歌っている「君は黒い草となって、暗い下水道へと吸い込まれていく。ボクが頭を叩きながら必死で君を引き止めようとしているのに」そんな曲ばかり立て続けに出されたファンは照山が自殺してしまうと思い、照山に自殺しないでと一斉メッセージを送った。それが功を奏したのか、それ以降照山の書く歌詞は若干明るさを取り戻してきた。『裸』というビックリするタイトルの曲ではこんなことを歌っている。「裸の僕を見つめて欲しい。僕がどんな醜い化け物でも逃げないで欲しい」この曲を聴いたファンは勿論、照山君私逃げない!私は照山君がどんなに醜くても抱きしめてあげる。私のことをこんなに深くわかってくれるのは照山君だけだものとこのシングルを大歓迎したのであった。そしてバンドは沈滞期をへて再びブレイクし始めた。

 幾多の波乱を乗り越えRain dropsも十年も活動を続けていた。もうベテランバンドと言ってもいいだろう。しかし彼らは相変わらず純化された少年性を歌い、メンバーは相変わらずデビュー当時のままの少年の純粋さを守っていた。彼らはバンド結成十周年の元旦、ホームページの年頭のメッセージに『十年、されど十年。初心忘れるべからずの精神で頑張ります。』と書いた。そしてその下にデビュー十周年記念東京ドームライブの告知を載せたのである。ファンは大騒ぎし、ツィッターはRain drops関係のタグで埋め尽くされた。まもなくチケットが販売されたが、今度は五分でソールドアウトとなった。

 ライブは大成功だった。メンバーが甘口過ぎると評価していなかった『セブンティーン』も今の彼らの磨き抜かれた切なさ全開の演奏で最高の名曲となった。『少年だった』は勿論素晴らしく激しさに今のRain dropsでしか出せない優しさが加わりこの名曲はその切なさを更新したと言っていい。中期の暗い曲達も優しさが加味され、暗さは仄暗い切なさへと変貌しこれも新しく蘇った。そして素晴らしい新曲『僕は太陽』だ。こんな希望に満ちた曲が今までの彼らにあっただろうか。特に素晴らしいのはやはり照山の書く歌詞である。「僕は光る事は出来ないけど、太陽の光を君に届けることはできる。僕のそばにおいでよ。僕は太陽」ああ!Rain dropsは幾多の困難を経て、この絶望の果ての希望という境地にまでたどり着いたのだ。照山のボーカルは透明さの極地にまで達し、その照山のボーカルを響かせるためにギターも、ベースも、ドラムも轟音を鳴らし続けた。観客は号泣し絶叫し照山照山と何度も照山の名を呼び、ライブは大熱狂のうちに幕を閉じた。

 事件はその直後に起こった。Rain dropsは3回目のアンコールに登場して二度目の『少年だった』を演奏したが、演奏後に照山が興奮してギターを上に放り投げたのだ。それは照山がライブの終わりにときたまやる事だったしファンも照山のそのパフォーマンスを見たくてライブに来ているところがあった。

 ギターを放り投けた瞬間、照山は頭に急激な寒気を感じた。だが興奮のおさまらぬ彼はそんなことは気にせずにメンバーや客たちにピースフルな笑顔を送っていた。が、メンバーも観客も何故か呆然とした表情でそんな照山を見つめているのだ。照山はその皆の目線を見て頭が凍った。

 照山は突然頭に冷えを感じて、ああ!と叫び、自分の頭を触って確かめた。いつも朝ボンドで付けてたカツラはなく、ただそこにはもはや掻き毟れない髪がポツポツと淋しくあるだけだった。ああ!全部バレてしまった!どうしたらいいのだ俺は!あの『少年だった』が売れてから俺の髪はプレッシャーで急激にハゲてしまったんだ!髪はハゲ散らかしてもうどうしようもないぐらいボロボロだ!ハゲた照山を見て観客は絶望のあまり絶叫し、メンバーは早くバックステージに戻れと照山をけしかける。ハゲ散らかした照山はスポットライトの真下に立ち尽くし、その彼のカツラは彼が投げ捨てたギターのネックに被さっていた。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?