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倒産ブランドを着こなす

 特にファッションに興味は持ってないのに昔から人によくオシャレだねって言われる。着ている服もGUみたいなロープライスのものなんだけど人はそんな服を着ている私を見てどこのブランドなんだと聞いてくる。それはやっぱり両親が縫製業をやっていたせいだろうか。だから家にはたくさんの生地と服があった。私は子供の頃から毎日生地と服を見てきたので自然にファッション感覚が身についたのかもしれない。だけど私は上に書いたように今までファッションとは無縁に生きている。

 両親も服の縫製なんかやっていたくせに私と同じようにファッションとは無縁だった。ただ仕事の取引先からサンプルの服を貰うことがよくあって両親はそれらのサンプル品を人にあげたり、気に入ったものは部屋に飾ったりしていた。そういう環境にいたからだろうか私はどうやら自然にファッションセンスを身につけていたようだ。

 そんな両親だけどもう縫製はやっていない。縫製業の方はとっくの昔に廃業して父は普通の会社員に、母は専業主婦として暮らしている。縫製業を廃業したのは一番の取引先のブランド会社が潰れたからだ。そのブランドはそんなに有名ではないけどなかなか質の良い服を作っていた所でよく百貨店なんかに服を卸していた。ブランドの倒産の理由はここでは特に語らないが、結局うちはその煽りを受けて廃業せざるを得なかった。父はブランドの経営状態が危ない事をすでに察していたようでブランドが倒産する前からすでに縫製業を廃業する事を考えていたようだ。元々人付き合いのいい父は知り合いからとある会社を紹介されたので廃業する時もさほど損害はなかった。勿論借金はできたけど私たちの生活が脅かされるほどのものではなかった。そうして完全にファッションの世界から縁が切れても両親は部屋にサンプル品を飾り続けていた。私はお茶の間の壁にぶら下げられている服たちを見るたびにいつも二度と戻れない過去への郷愁と切なさが入り混じって溢れ出すのを感じていた。

 先週末私は実家に帰った。特に理由はない。なんとなく顔を見せておこうと思っただけだ。両親は会うたびに老けていくような気がするけど、それは気がするじゃなくて実際に老けているのだ。私たちに残された時間は短い。老けていく両親を見て私は二人の年齢と日本人の平均寿命を並べてあと何年両親と会うことができるのかと考えることがある。人生は短い。そして人に出来ることは限られている。私は実家に行く時はよくこんな事を考える。

 実家についてドアのベルを鳴らすと両親が出てきた。相変わらずの二人だったけどまた老けたようだ。両親は私に早く家に上がるようにいい、私は上がるとすぐに早速茶の間へ連れて行かれた。茶の間につくと私は敷かれた座布団に座ろうとしたのだが、ふと周りを見てそこにいつもぶら下げてあったあの倒産したブランドの服がない事に気づいた。私は父と母に向かって服はどうしたのかと尋ねた。すると父はなんだかしみじみとした口調でこう答えた。

「いや、うちの工場を畳んでもう長いだろ?いつまでもあれをぶら下げておくのもなんだと思ってさ。それに」

 と父はここで母に向かって軽く頷いてから続けた。

「俺たちもそろそろ年だろ?そろそろいわゆる終活ってのを考えなきゃって思いはじめてね。だからお母さんと相談していらないものを処分し始めてるんだ」

「ちょ、ちょっとお父さんもお母さんもまだ終活なんて考える年じゃないでしょ!お父さんまだ定年じゃないじゃない!」

 父の言葉はかなり衝撃的だった。彼は私が朧げに想像しその度に打ち消していた。さほど遠くはない未来のことについて語っていた。日本人の平均寿命からみれば父と母はまだ全然大丈夫だ。だけど人間は誰しもが平均寿命に達せられるわけではない。短い寿命もあり長い寿命もある。日本人の平均寿命はその平均なのだ。なんだか当たり前のことだけどやっぱりそうなんだ。両親がこの先どうなるか私にはわからない。いや未来なんて私にはわかるわけがない。

 父は私の動揺ぶりに驚いたのか慌てて謝ってきた。

「いや、すまんすまん終活って言葉ちょっと使って見たかっただけだ。でもいろいろ処分をするのは本当だよ。最近家が妙に窮屈に感じ出してね。それでいっそ不用なものを処分しようと考えたのさ。たしかに捨てるには忍びない昔の思い出の品はある。だけど、いい思い出ばかりじゃないからね。そうだ。あのミシンも隣の奥さんに幾らかで譲ろうと思ってる。あの人うちのミシンずっと欲しがっていたからね。まぁ最近は全然使っていないしどうせなら欲しがっている人にあげようと思ってさ」

「じゃあ、服はもう捨てちゃったわけ?」

 服が処分されると聞いてこんなに動揺するなんて思わなかった。たしかに実家に帰ってお茶の間にぶら下げてある服を見るたびに時折廃業をした時のことを思い出して暗い気分になる事はある。だけどあの頃から時を経た今同時に懐かしさも感じていたのだ。それを処分するなんて。

「いや、まだ捨てちゃいないよ。でも近所の人にあげようにも型が古くて誰も貰ってくれないだろうな。やっぱり惜しいけど処分しようと思うんだよ」

「あ、あの。お父さんお母さんいい?まだあるんだったらその服私にくれない?」

「はぁ?あの服は男ものだぞ。あげてもいいけど着れないぞ」

「いいよ。ミシン貸してくれたら私がサイズ調整するから」

 自分でも喋りながら何言ってるんだろうなって思った。ミシンなんか中学の家庭科の授業以来まるで使った事ないのに。家には勿論ミシンはあったけど、私は工業用のミシンの音と振動が嫌でずっと工場には近づかなかったんだ。

「お前突然何言い出すんだ?大体お前うちのミシンなんか一回も触った事ないじゃないか」

「そうよあなた。うちのミシンはご家庭で使うミシンと全然違うのよ。下手したら大怪我するわよ」

 両親が止めるのは当然だったけど妙な興奮状態になっていた私は両親の言葉に聞く耳を持たず、いいから服をだしてとせかした。すると父が急に険しい顔になって私に言った。

「あのな、素人が簡単に服の縫製なんてするもんじゃない。確かに形だけはそれなりのものは出来るかもしれないけど、中身がしっかりしてなきゃ服なんかすぐにボロボロになる。そんなに服直したいなら俺がやる。お前みたいな素人にはとても任せられん」

 そう言った父の厳しい顔は縫製業をやっていた頃の父そのままだった。私はハッとして我に返って父に謝った。そこに母が声をかけてきた。

「あの、なんかサイズのわかる服持ってない?服のサイズ直すんだったらどうしても必要でしょ?」

 私は両親に全てを任せる事にした。父はシャツぐらいだったらすぐに出来るからと言ってくれた。そして時間はかかるがジャケットの方もやるか?と聞いてきた。私はそう聞いてくる父の顔が妙に生き生きとしてきたように見え、やっぱり彼はずっと縫製が好きだったのだなと思った。母も同じように生き生きとしている。その二人の顔を見ているとなんだか昔に帰ったようは気がした。

 工場だった部屋にはミシンが一台だけがポツンと置かれていた。昔はミシンが後二台、それに糸切り機や服のプレス機などもあった。部屋の隅には布の切れ端や服のパーツの型取りなどが丁寧に並べられて置かれていた。まず母が私が渡したシャツのサイズを測り始めた。さすがに手慣れていた。それから彼女は押し入れにしまっていた、あのお茶の間に飾っていたシャツを取り出して定規を当てて赤鉛筆で印をつけていった。私は両親がシャツを作っているところをちゃんと見るのは初めてだ。緊張さえしてくる。その間父はミシンの蓋を開いて糸を通していた。うちのミシンは足踏み式のもので高さは人の腰ぐらいまである。足踏みすると部屋の外まで騒音と振動が響き渡る。それが子供の頃は耐えられなかったけど今は無性に聴きたくなる。

 父は母から印のつけられたシャツを渡されるとミシン台の上でハサミでシャツの印の部分をザックザックと切っていった。これには少し慌てたが、だけど服の縫製に関しては両親の方がずっと上なのだ。父はシャツを切り終えるとそれをミシンにセットした。するとミシンが昔と全く同じようにあの音と振動を出し始めた。

 このミシンの音と振動に私は子供の頃から嫌悪感を覚えていた。中学時代は本当に嫌で工場に近寄らなくなったものだ。だけどミシンは高校に入ってしばらくしてから頃からだんだん音を鳴らさなくなり、そして高校三年になった頃全く鳴らなくなった。ミシンの代わりに聞こえてきたのは両親のこれからどうするという話し声だけだった。

 今この音を聞くとどうしようもなく懐かしさを覚える。二度とは帰ってこないあの日々。確かに嫌な音であったけど、この音は私の人生の一部だったんだ。なんだか目頭が熱くなってきた。思わず泣きそうになった時、父が私に声をかけてきた。

「シャツのタグ何にする?あの昔は有名なブランドの縫製してたからタグならたくさんあるぞ。グッチなんかも展示会の出し物で作ったからタグは持ってるんだよ。それでどうだ?」

「それって偽造じゃん。倒産したブランドの奴でいいよ。それが正しいんだし」

「おいおい、あんな縁起の悪いものでいいのかい?」

「縁起が悪いってお父さんはそれをずっと作っていたんじゃない。それでいいよ」

「そういうならそうするよ。だけどグッチとかアルマーニとか派手なものがいいと思うけどなぁ」

「いいからそれで」

 縫製を一通り終えた父がシャツを手にミシン台から立ちあがろうとした瞬間少しよろけてしまった。私と母は慌てて父を支えた。

「大丈夫?腰とか痛くない?」

 父は私に向かって大丈夫だと手を振った。

「久しぶりにミシン使ったから少し疲れただけだ。シャツはとりあえず完成したぞ。あとジャケットだけどコイツは手間がかかるから今日中なんて無理だぞ。最低でも一週間はかかるからな」

「いいよジャケットは。シャツだけで十分だよ」

「いややる。頼むから縫製させてくれよ」

 父の表情は全く昔そのままだった。

 三人で工場からお茶の間に戻ろうとした時、母が私に出来立てのシャツを着るようにせがんだ。私もすぐに着たかったので早速自分の部屋に行って着替えることにした。こうして久しぶりに実家の自分の部屋に入るといろんな思い出が浮かんでくる。私は手にしているシャツを見て遠い昔を思い出した。今私はシャツに腕を通した。初めて着るこの倒産ブランドのシャツは自分の体に異様にフィットした。私はあまりにも自然にシャツが馴染んでいることに感動した。

 シャツを身につけた私はお茶の間の両親の元に戻った。両親はシャツを着た私を見て偉くびっくりしていた。両親は似合うねえとかこれだったらもう少し早くあげるべきだったとか口々に言ったが、私は父が最後に言った言葉に不覚にも涙を流してしまった。

「いや、大人になったねぇ〜」


 月曜日は父が作ってくれたシャツを来て出勤した。同僚たちは早速私の着ているシャツに注目してカッコいいとかそれどこのブランドとか矢継ぎ早に聞いてきた。私は同僚たちに向かって正直にこう言った。

「これ、倒産したブランドのシャツなの。先週実家に帰った時両親に私用に作り直してもらったんだ」

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