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アレフレッド・ノーマンの最期

 二十世紀最後の文豪アレフレッド・ノーマンは今最期の時を迎えていた。彼のかかりつけの医者は、ノーマンと関わりのあった作家や編集者が見守る中、必死に彼の魂を地上に呼び戻そうとしていた。アレフレッド・ノーマンは123才という高齢であり、もはや生きていることさえ奇跡的なのだが、それでも現代文学は彼を必要としていた。

 このヘミングウェイとナボコフと同年にスコットランドに生まれた作家は二十世紀モダニズムの生き証人であるばかりではなく、その体現者であった。彼は先に上げた二人のように世俗的な名声を生涯得ることはなかったが、その芸術は彼らを遥かに上回っていた。だがそれゆえに彼の文学は一般の読者を近寄りがたくし、彼をマイナー作家へと閉じ込めてしまう結果となった。彼の代表作『再生不可能な細胞と持つものとH2O+NaCl』などはヘミングウェイの『老人と海』と同じ題材を扱っているが、ノーマンの小説のほうがはるかに緻密であり、比較にならないほど前衛的だ。そのレントゲンのような異様な描写で終始描かれた小説は間違いなく現代小説の記念碑であろう。そしてもう一つの代表作『少女性愛者の脳みそを解体する』はナボコフの有名な『ロリータ』などより遥かに少女性愛者を徹底的に分析している。もう脳幹まで取り出してホルマリン漬けして晒しているような科学的な描写で少女性愛者を分解しているのだ。

 だが、アレフレッド・ノーマンの代表作は世間の注目を浴びりことはなく、またいつの間に前衛の時代は終わり、彼はまるでハイネの『流刑の神々』に出てくるゼウスのように時代遅れで滑稽な存在となってしまった。そう彼は誰にも相手にされず、ついに『流刑の神々』に出てくるゼウスのようにグリーンランドに引きこもってしまった。雪だらけの世界で彼のことなど知りもしない島の住人に変人とバカにされながらも彼は孤独に小説を書き続けた。テルケルのはるか先をゆく超前衛小説『成層圏』。もうココには物語などなく詩よりも遥かに純粋なる言葉の連なりだけがあるような小説である。しかし彼はある時からその超前衛スタイルを捨て赤裸々な私小説を書き始める。この時点で彼はもう90を超えていたからこの変化は一見老いゆえの後退と捉えられるかもしれない。だが、小説を読むとやはり変わらぬ前衛性がほとばしっているのだ。この時期の代表作『自転の終わり』には俗語卑語を使って小便を漏らした事を女の看護士に叱られ腹を立てて看護師を罵ったことを「ドブス!今度はお前におしっこしてやる!」と赤裸々に綴った。

 そのアレフレッド・ノーマンが今死のうとしている。ついこの間まで元気に小説を書いていたのにこんなに急に終焉が来るとは。いや、しかしノーマンは何度となくこんなピンチをくぐり抜けてきたではないか。ノーマン、ノーマン、オデュッセウス、それは俺の名だと言わんばかりに永遠とも思われる長い時間を文学の冒険に費やした男ではないか。まだ、終わるときではない。ノーマン立ち上がれ。その時だった。今まで閉じていたアレフレッド・ノーマンの目がパチリと開いたのだ。

 そしてアレフレッド・ノーマンは体を起こした。作家や編集者はこの奇跡に驚き神に祈りを捧げた。ノーマンはそのうちのひとりの編集者に向かって紙とペンを出せと言った。彼は今書かねばならぬものがあると言う。永遠の眠りに付く前にどうしてもこれだけは書かなくてはならぬのじゃ!とノーマンは言う。編集者は紙とペンを用意すると震える手でノーマンに差し出した。ノーマはもはや一刻の猶予もないと編集者から紙とペンをふんだくりそのまま一気呵成に書き出した。

 作家と編集者たちは最期の執筆をしているアレフレッド・ノーマンを見守った。二十世紀最大のモダニズム作家、ジョイスやプルーストを超え、文学のパンテオンの頂点に立つに最もふさわしい男。その男が今二十一世紀も四半世紀を迎えようとしているこのときに最期の小説を書いている。ああ!神よ!せめて偉大なるアレフレッド・ノーマンの命を執筆が終わるまで生かし給え!

 二十世紀最大のモダニズム作家アレフレッド・ノーマンが死んだのは2022年7月26日23時27分であった。作家や編集者は泣きじゃくり、そして見事小説を完成させてあの世に旅立ったアレフレッド・ノーマンを称えた。彼の書いた最期の小説は間違いなくその生涯における最高傑作だろう。原稿用紙にして100枚あまりの短い作品であるが、その内容はまるでダイヤモンドのように凝縮され輝いているはずだ。さあ、読ませてもらおうと作家と編集者たちがノーマンの遺作の原稿持っている編集者の方を向いた時、編集者は首を振ってみんなに言った。

「あの、これ波線しか書いてないですよ。タダの落書きじゃないですか」

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