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日本版アンカレ

 田坂家では何もかもが混乱していた。夫の田坂浩二は一昨日から家に帰らず、妻の栄子は居なくなった夫を心配するどころか友人と別荘に行く始末であった。残された子供たちはこれ幸いと勉強を放棄して外を遊び歩き、二人の家庭教師であるイギリス人はこの家の有様にオーマイゴッドと十字を切ってどうにか家庭が元に戻るようひたすら祈っていた。

 さてその田坂家の家計を支えている忠実な働き蜂たる田坂浩二は三日前からずっと泊まっている漫画喫茶のルームの布団から身を起こした。彼は昨夜見た夢を思い出してニンマリと笑うのだった。ああ!あの子は毎晩夢に出てくるなあ。見事なまでのナイスバディ、クリッとした目。本当に黒くてまるでリスのよう。あれは会社の帰りにたまたま週刊プレイボーイのグラビアを見た事がきっかけだ。すでにしこたま飲んでいた俺は酩酊状態のままグラビアを見たのだが、見ているうちに現実と妄想の境目がつかなくなったのだ。何故かグラビアのギャルがヨメに思えてきて、俺は酩酊状態でもう少しで家だ。ヨメに会えるとハリきって玄関のドアを開けた。しかしいたのは古雑巾のようななんだか使いすぎた顔を持った女ではないか。俺は何故か他人のうちに入って自分を出迎えているババアに向かって出て行けと怒鳴りつけてやった。その瞬間俺は急に我に返って青ざめた。だが遅かった。青筋立てている妻はいきなり俺を張り飛ばして出て行けと罵った。俺は折れた三本の歯を握りしめてその場を逃げた。

 その時浩二は床のスマホが鳴っている事に気づいた。妻かと思って見てみるとどうやら妹のカレー職人の妻となっている杏奈の愛人の部呂からだった。彼は妹を堕落させたこの男の声さえ聞きたくなかったが、何か悪い予感がして妹が心配になったので事情だけは聞いておこうと電話をとった。電話の向こうで部路は涙声で申し訳ありませんとか抜かしてやがる。まさか杏奈は!コイツのせいで!コイツのせいで杏奈は!お兄さんだと?何がお兄さんだ!杏奈が……杏奈が電車に。ハッキリ言え!杏奈がどうしたんだ!杏奈が……

「電車に向かって猛突進して電車を跳ね飛ばしてしまったんです!お陰で駅は大惨事。杏奈は大暴れで駅の構内を走り回り何人か赤い服を着た人たちが角に刺されて死んでいます。みんな私に弁償しろだの逮捕するだの言って喚いています。もう私には杏奈の面倒は見切れません!お兄さん早く杏奈を引き取って解体してあげてください!」

 だが浩二は冷酷に部路にこう言い放った。

「杏奈とはとっくの昔に縁を切った。頼るんだったら旦那のカレー職人に言い給え。自分の不始末は自分でつけろ。あの牛女にもそう言ってやれ」

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