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愚鈍と聡明

 とある文芸雑誌の編集部の応接室で今編集長と副編集長は原稿用紙広げたテーブルの向かい側に足を組んで座っている老年の男の話に耳を傾けていた。老年の男はこのまるで下僕のような二人に向かって上機嫌に喋っていた。

「自分でもびっくりするぐらいさ。まさかこの僕が小説を書くなんてね。僕は文芸評論家として文学に携わっていながらいわゆる文学青年というのを軽蔑していたのだよ。いわゆる太宰治的な、あるいは三島由紀夫的なああいう肉体的にも知的にも運動神経の鈍そうな連中をね。僕は連中のように衝動のままに小説を書くには知的すぎる。僕は小説家になるには聡明すぎるんだと思っていたのさ。大学で仏文に入ってフローベールを学んでからその思いは一層強くなった。フローベールは徹底的に愚鈍であったからこそ『ボヴァリー夫人』や『ブヴァールとペキュシェ』のような真の傑作が書けた。僕はフローベールを研究していて思ったよ。自分はこんな愚鈍に何かを追求することはできないってね。不幸なことに、いや幸福というべきかもしれないが、僕は太宰や三島のような馬鹿ではないが、フローベールのように愚鈍でもない聡明な人間でしかないんだよ。僕は小説を書く資格があるのはノーベル文学賞の選考に一喜一憂する某よりもフローベールのように徹底的に愚鈍になれる人間だけだってね。そう僕は考えて今まで一度も小説を書こうとは思わなかった。なのに還暦すぎの退官間近の年になって突然小説が目の前に降りて来たんだ」

 この気取った老年の男は有名な文芸評論家であり、フローベールの研究家としでもよく知られている。彼の数々の著作は文学の世界では絶大な影響力を持ち、その独特の文体は若い評論家にさえ模倣されている。その文芸評論家が今日突然この文芸雑誌の編集部に現れて小説の原稿の持ち込みにきたのである。編集部は連絡もなしに来訪した高名な文芸評論家の登場にびっくりして一斉に出て文芸評論家を迎えた。文芸評論家は顔見知りらしき編集者と副編集長に向かって顎で応接室を示した。そして部屋の中に入っていきなり原稿用紙を突き出して「素晴らしい傑作を書いたから読みたまえ」と上機嫌な顔で言ったのだ。

 編集長と副編集長はこの気取り屋の普段見られない態度に完全に引いたが、だかこの文芸評論家を怒らせまいと大袈裟に相槌を打って盛り立てた。

「先生が私共のところにわざわざ原稿の持ち込みにいらしてくださるなんて!お電話を下さればすぐにご自宅に駆けつけたのに!ああなんと言ったらいいか!もう感謝の言葉もありませんよ!」

「本来ならそうすべきなのだろうがね。だが僕は早くこの傑作を人に読ませたくて仕方がなかったのだよ」

 文芸評論家は興奮した面持ちで言った。彼は喋っているうちにますます興奮しとうとう喋っている最中に編集長が持っている原稿用紙を指さしたりその束の中から一枚取り出したりしだした。

「僕は大学でずっと本部長やっていただろ?まぁ僕自身は嫌で嫌でたまらなかったけど、周りがどうしてもっていうから仕方なく本部長をやっていたんだが、それから君らも知っているように僕は同僚に大学を変えるのはお前しかいないと言われて学長選に立候補したんだけど、結果最下位で大敗北してしまった。小説が降りて来たのはその時さ。僕は一瞬だが、傲慢にも自分がフローベールになったような気がしたね。頭の中の言葉が透き通って見えるんだよ。これはフローベールや彼の後継者たるヌーヴォー・ロマンの作家達さえ書けなかった純粋なる小説なんだ。まるで透明な水晶のようだと言っていい。文章は光の差す角度で光が多彩な色を放つように読者の視点で思わぬ意味を生み出すんだよ。僕はこの傑作は世に広く知れ渡るべきだと思う。この傑作を君らの雑誌に掲載してほしいと思う。この傑作は僕が書いたものではない。僕の頭に降りて来たものだ。それは衝動などという愚かしく青臭いものではなくフローベールのように愚鈍に突き詰めた果てにあるような透明で純粋なものなのだ。この傑作が文芸雑誌に載って世に広まることは某が絶対に取れないであろうノーベル文学賞について騒ぐことよりずっと重要な事だ」

 とこんな調子で文芸評論家は語り尽くして編集部から出ていった。その後編集長をはじめとする編集者たちはテーブルの上に載った原稿用紙をまるで犬のフンを見るような目で見た。全員黙っていたが、編集者の一人がしばらくして編集長に聞いた。

「ひっでえ小説。編集長マジでこんなのうちに掲載するんですか?」

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