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再掲《長編小説》全身女優モエコ 第十五回:文化祭演目 舞台『シンデレラ』ボロボロのシンデレラ!

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 それから舞台は移り、今は舞踏会に出かけるために着飾ったお嬢様役の女子生徒たちが、「まぁ~可愛いわね~」「あなたも可愛いわ~」などと空々しい棒読みのセリフを吐きながら、シンデレラのモエコを残して次々と立ち去っていく場面だった。女子生徒はさっきの緊張感の極みのような芝居はどこへやら、今はもうすっかりいつものド下手くそな芝居に戻ってしまった。しかし女子生徒の一人が立ち去る寸前にシンデレラに向かって吐いたセリフだけは、先程の緊張感を思わせる見事な言い回しだった。生徒はシンデレラ役のモエコを上目遣いで見ながらこう言い放ったのだ。

「ああ!可愛そうなシンデレラ!舞踏会に行こうにもドレス一つないなんて!ギャハハハハハハ!」

 もはやシンデレラと一心同体になっていたモエコはこの女子生徒のセリフに心から傷つき誰もいない屋敷の中でで思いっきり泣き叫んだのだった。庭に立っている木の役の男子たちは特訓の成果を出すのは今だと言わんばかりに、木の役を伝授してくれたシンデレラ役のモエコの演技を助けようと口で寂しい風の音を吹き、さらに小枝を揺らして場面の悲しさを引き立たせた。

 この小学校の文化祭ではありえないような本格的な演劇に場内の観客は思わず見入ってしまった。特に若かりし頃に学生演劇をやっていたという校長などはわざわざ今は教員席にすわっている包帯姿の担任の席まで移動して「まさか小学校の文化祭でこんなレベルの高い舞台を見るとは思わなかったよ。君は生徒たちにスタニスラフスキーでも教えたのかね?」と質問してきたのだ。この校長からの思わぬ質問に、演劇知らずの担任は当然スタニスラフスキーなど知らないので、包帯姿で緊張して脂汗をかき、顔の包帯を汗で濡らしながら、「そうなんですよ!彼女たちにこれを仕込ませるには苦労しましたよ!演技もスポーツもまずはスタミナが大事ですからね!手取り足取り型から教えないと身につかなんですよ!」と適当なことを言って誤魔化した。どうやら彼はスタニスラフスキーをスキーなんかと勘違いしているようだった。

 モエコ扮するシンデレラは寂しい風が吹き付ける庭で自分の身の不幸を全身で嘆いていた。

「ああ!なぜシンデレラは不幸なの?お嬢さま達があんなに楽しそうに舞踏会に通っているのにシンデレラはいつも一人ぼっち!どうして、どうしてシンデレラはこんなに不幸なの?」

 舞台の上のシンデレラの悲痛な叫びに場内の観客はすっかり飲み込まれてしまった。モエコは今シンデレラを演じるというよりシンデレラを生きていた。今場内の人々が目にしているのは舞台の登場人物の衣装を来て台本の台詞をただ喋る腹話術の人形ではなく、そこにいて体温さえ感じられる人間そのものだった。ああ!モエコよ!彼女は今始めて与えられたこの舞台というプールを自由自在に泳ぎ回っていた。シンデレラそのものとなった彼女は全身で我が身の不幸を嘆き、そして十字を切って神に向かって願うのだった。

「神さまお願い!私を舞踏会に連れて行って!せめて、一目だけ、一目だけでもいい!この憐れなシンデレラに明るくて華やかな世界を見せて!」

 このモエコの演技を見て場内からは拍手と啜り泣きの声が聞こえてきた。モエコの全身を振り絞った演技は、こんな陳腐極まりない台詞さえ、悲劇的で崇高なものにしてしまう。ああ!なんて可愛そうなシンデレラ!この子を舞踏会に連れて行ってあげて!そんな観客の願いが届いたのか天からこんな声が聞こえてきたのだ。

「シンデレラよ。庭にいらっしゃい。お前の願い叶えてあげよう」

 その声が会場に響いた途端客席から安堵のため息がもれた。モエコ扮するシンデレラは声を聞いて驚き「誰なの?誰なの?」と誰もいない屋敷で叫びながらステージの袖へ駆けていった。

 観客はもはやこれが小学生の舞台であることを忘れ舞台に釘付けになった。彼らはもうこの舞台から目を離せなかった。しかしそんな観客の前で舞台は無常にも暗転し幕が下りた。第一幕が終わったのだ。


 生徒たちは幕が降りると第二幕の準備のためにステージの袖で待っていた。モエコは先程の興奮状態から抜け出せず、呆けたようにそのまま突っ立っていた。ステージの袖からモエコのシンデレラを食い入るように観ていた王子はそんなモエコを心配して、「大丈夫かいモエコちゃん?」と声をかけた。モエコはハッと我を取り戻してさっきまでの出来事を思い出した。シンデレラを演じる自分と、その自分が演じるシンデレラを食い入るように見つめる観客たち。自分は訳の分からぬ感情のままにシンデレラを演じ、観客たちはその自分が演じるシンデレラを食い入るように見つめていた。まさか舞台がこれほど素晴らしいものだなんて!モエコは興奮のあまり叫びたくなり、口を開きかけたその時だった。後ろからモエコを鉄製のモップでぶん殴ろうとしたお嬢様役の女子生徒が声をかけてきたのである。

「モエコ!第二幕は私が魔法使いをやるわ。ほんとは他の子が演るはずだったけど、あの子私にはこんな役出来ないって言って役を降りちゃったの。だから私にドレスとガラスの靴貸してくれない?私が第二幕ででシンデレラのあなたにプレゼントするわ!」

 この女子生徒の言葉にモエコは目頭が熱くなった。かつてあれほど美人の自分をいぢめていたブサイクな女たちが今はこの舞台を成功させるために一丸となっている。魔法使いの役から降りた女子生徒も、病気でシンデレラ役を降りた女子生徒もみんなこの舞台を成功させようと祈っているはず!ああ!魔法使いの役を降りた女子生徒も顔を横に降って私に謝っている!いいわモエコわかっている!あなた私を応援してくれてるのね!名前さえ覚えてなくてごめんなさい!でも頑張るわ!あなた達のためにも!このシンデレラを成功させて見せるわ!


 やがて第二幕が始まった。幕がゆっくりと上がり、モエコは声の主を探して庭を彷徨い始めた。どこ?あの声の主はいったいどこにいるの?

「シンデレラここだよ」

 シンデレラが再び聞こえたその声の方を向くと、ステージの袖に魔法使いの格好をした女子生徒が立っていて、その手にはモエコが大金出して買ったのシンデレラのドレスとガラスの靴を持っているではないか!魔法使いがステージの中央にいるモエコの所に歩み寄ってきた。そして魔法使いが言った。

「シンデレラや、これがお前のドレスとガラスの靴だよ。さあこれをお持ち」

「まあ!なんて素敵!こんなに素敵なドレスで舞踏会に行けるなんて!」

 モエコ扮するシンデレラが感激してドレスを持ってクルクル回ったその時だった。彼女は手にした自分のドレスを見て呆然とした。なんと自分が大金をはたいて買ったシルクのドレスは見るも無残な姿になっていたのだった。ドレスは焼け焦げてそこら中に穴が空いている。さらに所々変色までしていた。もうシンデレラどころじゃない有様だった。

 ああ!なんてことなの!この私がシンデレラのために買ったドレスが!ドレスが!彼女は何が起こったのか信じられず思わず魔法使いに扮する女子生徒を見た。ああ!その魔法使いの表情のなんと恐ろしかったことか!魔法使い役の女子生徒はは勝ち誇ったように大口を開けていた!

 ああ!どこまでもお人好しのモエコもようやく気づいたのだ。この女達は自分をこの晴れの舞台でいぢめるためにわざわざ駆けつけて来たということを!さっき自分をモップで叩きのめそうとしたのも演技ではなくて本気だったということを!ああ!なんてこと!私はバカだった!この心も顔も醜いブサイク共を信じるなんて!

モエコは女子生徒の余りに酷いいぢめに憤慨し思わず絶叫し女子生徒に飛びかかろうとした。だが、誰かが彼女にそんな事はやめて!と訴えているのが聞こえたのだ。それはシンデレラだった。シンデレラが今は演じることだけを考えるのよ!とモエコに訴えていたのだ。女子生徒はモエコの殺意すら覚えるほどの表情を見てゾッとして震えた。しかしモエコはそんな女子生徒の前で歓喜の表情でドレスを抱きしめ、シンデレラの台詞を喋ったのだ。

「まあ!素敵!こんなに素敵なドレスを着れるなんて!」






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