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カリスマ指揮者現代音楽を振る!

 現代日本のクラシック界でダントツの実力と人気を誇るカリスマ若手指揮者大振拓人のレパートリーはロマン派が中心であり、その他はハイドンとモーツァルトやベートーヴェンやシューベルトのような古典派と、あるいはドビュッシーやラヴェルのようなロマン派の香りを濃厚に残す作曲家たちであった。バッハやヘンデルも演奏する事があるが、それはフルオーケストラで大胆にロマン派アレンジを施して上でのことであった。

 先の記事で書いたように大振は二十世紀以降の音楽が大嫌いで特にシェーンベルク等の新ウィーン楽派をルーツとする現代音楽など地球から完全に抹消したいほど嫌っていた。彼は音大時代に作曲家を志した事があり、マーラープラスチャイコフスキープラスラフマニノフプラスワーグナープラスベルリオーズプラスリストプラスシューマンプラスメンデルスゾーンプラスショパンプラスリストプラス……。要するにロマン派楽曲の全てを足したような、大振によれば不毛な二十世紀以降のクラシックに神の復活を告げるような、そんなフォルテシモなロマン派の交響曲や管弦楽曲を書いていたのだが、その楽曲の楽譜をとある大振りによると才能が一ミリ以下もないバカ現代音楽作曲家の教授に見せた所、教授から鼻笑いで全否定されてしまったのだ。この事件以降大振は完全に現代音楽を憎むようになった、

 そんな大振拓人が何故か現代音楽を振ることになってしまった。彼が指揮する楽曲は現代で今最も尖っていると言われるポーランドの作曲家ヤニカス・クソナキビッチの久しぶりのオーケストラ作品で今回日本で初演となる新作『ロマン派とオーケストラの終焉』であった。最初この依頼を受けた時大振はすぐさまこんなクラシックとロマン派をバカにしたようなタイトルの新曲を書いたアホバカ現代作曲家の新作など作曲家ごと東京湾に沈めてしまえまとフォルテシモに激昂してプロモーターをすぐさま事務所から叩き出したが、あくまでも興行を成功させたいプロモーターは事務所に裏からハニートラップなどのいろんな手を使って回して大振が断れぬように外堀を埋めていった。そんなわけで大振は泣く泣く無条件降伏のように依頼を受諾せざるを得ず、こうしてカリスマ指揮者大振拓人の初の現代音楽コンサートが開かれる事になった。

 真面目な人間であった大振はイヤイヤにも程があるぐらい嫌な態度で依頼を引き受けたが、しかし一旦依頼を引き受けたからには最後まで全うせねばとクソナキビッチの新曲の楽譜を必死に読み込んだ。しかし彼はあまりにも酷い楽譜腹が立ち何度も楽譜を破ろうと思った。しかしなんと訳の分からない代物であろうか。やたら複雑な音楽記号が所狭しとまるで落書きのように書かれている。同じ複雑極まりないマーラーの楽譜は作曲家の迷いや心の叫びまで感じて涙さえ出るほどのものであるのに、このクソナキビッチの楽譜は文字通りただの落書きでしかない。絶対音感を持っている大振はクソナキビッチの楽譜から響いてくる猛烈な騒音に耐えられず自宅のピアノ台の前で発狂して転がり回ってしまった。

 オーケストラとの稽古の初日に大振拓人はオーケストラを前にして正直に自分がこの曲を忌み嫌っている事と、この曲の楽譜を読み込んでる際、あまりの酷さに発狂して床に転がりまわった事を正直に話した。そして彼は普段の彼からはあり得ないことに自分はみんなと一緒になってこの曲をどう演奏するか考えていきたいと言ったのだ。この大振の発言にオーケストラの面々は驚愕した。普段あれほど傲慢で自分たちを虫ケラとしか見ていないような大振が自分たちに協力を求めるだなんて。彼らは自分たちを見つめる西城秀樹のような熱い眼差しを持った男に初めて親近感を持ち、彼より大分年嵩のオーケストラの団員は年長らしく一緒に頑張ろうぜと自分よりはるか年下の大振の肩を叩いて励ましたのだが、肩を叩いた瞬間大振はフォルテシモに大激怒し貴様ら俺の後ろにつくしか能のないアリンコ団員ごときが偉大なる指揮者の俺の肩を触るなと叫んでその団員を指揮棒で滅多打ちにしたので全然変わってねえじゃねえかと震え上がってしまった。

 さてコンサートはクラシックでしかも現代音楽のコンサートなのに何故か今回も武道館であった。スポンサーはいくらなんでもこれ客集まるのかと危惧したが、いざチケットが販売されるとあっという間に売り切れあさすが大振拓人は違うとみな安堵した。今回は完全にクラシックと現代音楽の異種格闘技戦であった。あのクラシックのロマン派しか振らいないと公言している大振拓人がどうやって現代音楽で一番前衛的であり、最凶に過激な音楽家でもある前衛作曲家ヤニカス・クソナキビッチの新曲を演奏するのか。現代音楽など全く知らない大振のファンは知らない作曲家の曲などどうでも良く久しぶりのフォルテシモを求め、現代音楽ファンは女子供向けのロマン派バカ指揮者が偉大なる前衛作曲家クソナキビッチの曲を演奏することに果てしなき軽蔑を込めて舌打ちしながらも、こうして武道館という華々しすぎる大舞台で自らが信奉する作曲家の曲が日本で注目される事を期待して皆チケットに飛びついた。

 そんな騒ぎの中、やはり今回も大振拓人は燕尾服を来て大勢のマスコミと共に前衛作曲家ヤニカス・クソナキビッチを羽田空港で待った。大振は演奏の依頼を受けてからこの作曲家についていろいろ調べたがやっぱりゴミカス作曲家でしかなかったので演奏することに深い自己嫌悪を抱いた。この作曲家はもうロマン派など鼻で笑い十九世紀以前の音楽を全て廃棄処分にしろとのたまう男であったのだ。こいつはとあるインタビューで我々にとっての古典はノーノやブーレーズやシュトックハウゼンだとのたまい、それ以前の音楽はゴミ以下と嘲笑っていた。彼は今回の新作に関するインタビューでもロマン派とオーケストラをいずれ消え去る人類にとってのジュラ紀の遺物とせせら笑い今回の新曲はそのロマン派とオーケストラの葬送曲だと言い放った。大振はこの発言をクソナキビッチを迎えに行く当日に知ってフォルテシモに憤激しロマン派やオーケストラをバカにして許せん今すぐ貴様を刺殺してやると包丁を包んで家を出かけたが、やはり自分は音楽家であって人殺しではないと思い直し、音楽家としてクソナキビッチにフォルテシモに一矢報いる方法を考えた。

 やがてヤニカス・クソナキビッチがジーンズにTシャツのラフな格好で現れた。彼は東洋人の中に一人だけ燕尾服を着た背の高い大振を見て「Ohアニメボーイ」などとふざけた事を言い出した。このアメリカかぶれのカムカムエヴリバディ野郎め!それでもヨーロッパ人か!貴様の性根をこの指揮棒で叩き直してやる!と思ったが、彼はクソナキビッチの元に近づくと本心をひた隠しあえて礼儀正しくお辞儀して彼を迎えたのである。

 いつものように翌日羽田空港のホテルで作曲家ヤニカス・クソナキビッチと指揮者の大振拓人が揃っての記者会見が開かれた。しかしこの記者会見は大振の記者会見にはおなじみのトラブルなど唖然とするほど何もなかった。大振は借りてきた猫のように指揮棒を傾けてなれない現代音楽ですが一生懸命頑張りますと小学生みたいな事を言うだけであった。唯一事件があったとすればインタビューに対して作曲家が半笑いでこの曲はクラシックとオーケストラへの葬送曲だと答えたのに対して、大振がクソ真面目にクラシックとオーケストラは永遠に死なないと反論したぐらいである。だがその発言でさえ会場に微かな笑いを呼び起こしただけであった。

 ヤニカス・クソナキビッチはそれから演奏会までの間に何度か稽古場にやってきて大振とオーケストラの練習を見にきた。オーケストラと練習をしている大振は慣れない現代音楽の指揮に戸惑っているのか時折顔を歪めて耳を押さえたりしでいた。それを見たクソナキビッチはあのアニメボーイにまともに曲が演奏できるのかねと大振を嘲笑しこれも想定された事態の一つと言って演奏会が大失敗に終わることさえアートとして歓迎するような事を言っていた。それから大振たちは武道館で実際リハーサルを行ったが、まだ事態は改善されていなかった。大振は相変わらずこの現代音楽の最先端の曲になれないのか、もう両手で耳を押さえてうめき声まで出す始末でこれを見た関係者はここまで来てこんな状態じゃ演奏会は大失敗に終わると青ざめた。しかし作曲家のクソナキビッチは心配するどころか自分の曲が指揮者を苦しめている事を歓迎しこう宣った。

「ハッハッハ!これならいっそBUDOKANでコンピューター版のマスターテープを最大ボリュームでかけてあのアニメボーイをいぢめてやるか!」

 しかし大振はそんなクソナキビッチの嘲笑を完全に無視してリハーサルに全集中していた。このありとあらゆるノイズをフォルテシモにかき集めた曲に自分はどう対応すればよいのか。答えはすでにわかっていた。あとは本番に向けて感覚を磨くだけだった。

 そしてとうとう大振拓人指揮による武道館でヤニカス・クソナキビッチ『ロマン派とオーケストラの終焉』の初演の日がやってきた。会場は九割を占める大振拓人ファンと一割のヤニカス・クソナキビッチのファンとでトラブルが続出した。クソナキビッチファンは大振ファン用のペンライトを売っていた店にそんなアイドルのコンサートみたいなもの売るなと突撃し、逆に大振ファンはクソナキビッチのCDを販売していた店にそんな騒音まみれの曲なんか流さないでとCDを叩き割った。しかし開場のアナウンスが聞こえると双方のファンは一旦停戦とばかりに自分たちがぶち壊した店に背中を向け、双方の店員たちの泣き叫ぶ声をBGMにしながら会場へと向かったのである。

 会場だけでなくSNSや動画サイトでも双方のファンは盛り上がっていた。ノイズだらけの曲を演奏させられる大振拓人に同情する大振ファン。女子供向けのバカなロマン派指揮者に演奏させられるヤニカス・クソナキビッチに同情する現代音楽ファン。会場でもネットでも双方のファンは演奏会が始まるまで互いを果てしなく罵倒しまくった。しかしアナウンスが演奏開始を告げると皆一斉に黙り込んだ。いよいよコンサートが始まるのだ。

 演奏が始まった途端観客は一斉にざわめきだした。大振はこのノイズだらけの曲を楽譜通りに演奏しはじめた。しかしである。大振はそこにこんなゴミみたいな曲を演奏させられる自分の姿を熱く表現したのである。耳を押さえてその乱れた長髪を振り乱して被りをふる大振。クソナキビッチがクソらしく最悪なロマン派のパロディをやった部分など涙を流して絶叫までした。彼は曲の間何度もフォルテシモと言いかけたが言葉がまるで出なかった。この曲のあまりの酷さが彼のフォルテシモを妨げるのだ。フォルテシモを言えぬ大振の苦悩する姿は言いたいことが言えなくてポイズンな我々の言葉なき叫びだった。今ステージでのたうちまわっている長髪の大振拓人は大好きなフォルテシモを妨げられありとあらゆるノイズの只中に生きる我々そのものであった。大振ファンは悶え苦しむ彼を助けようと叫ぶ。「もうやめて大振さん、そんなゴミみたいな曲今すぐやめて!出ないとあなたは死んでしまうわ!」現代音楽ファンもまた大振の指揮に感動していた。彼らは今まで自分たちが彼をコケ脅しの女子供向けの指揮者だとバカにしていた事を恥じた。ここまで現代を体現できる表現者であったとは。彼の指揮はこの現代音楽の世界を可視化し生々しく我々に見せていた。彼らはここまで現代音楽を表現してくれた大振に感謝した。作曲家もまた同じであった。ヤニカス・クソナキビッチは大振の現代の苦悩を丸ごと背負ったような指揮ぶりに感動し自分の曲が二十一世紀の『春の祭典』になった事を確信した。大振は曲を演奏し終えると全力でフォルテシモを決めた。その彼のフォルテシモを讃えるために観客は一斉に立ち上がってブラボーを送った。

 コンサートはあまりにも衝撃的であった。今まで大舞台で失敗続きだった大振拓人はこのコンサートで見事汚名を挽回した。大振の指揮者としての評判はさらに高まり現代音楽まで征服した大振に太刀打ちできるものは世界を含めて同世代には誰もいなくなった。作曲家ヤニカス・クソナキビッチもまた二十一世紀のストラヴィンスキーと讃えられ、実際にマスコミにそのように言われたクソナキビッチは「春の祭典はストラヴィンスキーの唯一の傑作だからねぇ〜。僕は素直に嬉しいよ」と完全に舞い上がっていた。彼は舞い上がりついでにこの曲のCDを自らの指揮で録音し熱狂冷めやらぬうちに販売した。しかし評価は唖然とするほどボロッカスでAmazonのレビューでこんな一つ星レビューが載る始末だった。

『大振拓人の感動的なこの曲の初演を観てこのCD買ったのに、何これ?ただのゴミ曲じゃん。皆さん騙されないように。この曲が感動的だって思えたのは大振拓人の指揮がよかっただけだから」

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