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「魂の格理論」概論

 新日本魂の格アドバイザーの納豆です。今回は皆様に魂の格を向上させるための活動に携わっていただきたく思い、このようなノートを執筆することにした。魂の格と言われて一体お前は何を言ってるんだ、落ちそうな阪大ロー入試前に気でも狂ったのかと思われそうなので先に弁明しておくが、この理論は私が幼い頃から持っていた、金とは対になる職業への憧れ、上昇思想の根源でもある。そもそも、最近の世の中では何でもカネカネカネカネうるさく、金を稼ぐというのはスポーツや音楽、勉強以上に才能や資質、経済状況にも影響されるし何より親が自営業だと有利だ。そこで、資本主義において敗北が確定した皆様のために、土俵をずらして精神的に勝利するエッジ術を提供しよう。

そもそも、魂の格とは

 魂の格とは何なのだろう。それは金とは別の高尚さ、大衆からの崇拝、尊敬、畏敬、伝統、ブランドその他具体的状況に照らして社会的に相当と認められる憧れの根源である。いきなり、言われてもわからないと思うので具体例を示してみよう。例えば、東大非医vs医学部というのはX界隈を年がら年中賑わすある種の神事と言えるが、このようなイベントの帰結はだいたいこうだ。「東大は確かに日本で一番はいるのは難しいけど、その先の進学先は公務員や地銀がボリュームゾーンで、東京に残れなかった人は大学時代が頂点で最後には地元の役所に勤務するよね。確かに、一番上はゴールドマンサックスやらマッキンゼーもいるけど、下を見出したらそもそも非正規や生活保護、フリーター、塾講師などなどとてもじゃないが同窓会に出席できないような職業についているものも多いよね。それに比べて医学部に進学すれば最低でも平均1200万円ぐらいは確保されるし、社会不適合者にとっては安泰だよね。」
まあXの東大下げ医学部上げ言説を要約するとだいたいこんなもんでしょう。ここで、一つの疑問が浮かぶ。それは、大学受験時に日本最難関の大学を受験せずに金に走るのは魂の格が低くないか?という疑問だ。安定や金のためにたかだかセンター8割で受かるような地方国立医に滑り込んで、QアシやらQB回して麻雀して酒飲んで田舎に幽閉される生活、こんな自堕落な生活を送り日本最強の岩盤規制団体医師会に手厚く保護されたみなし公務員事医学部生をXでわざわざ勝ち組と持ち上げて何になるのか。こんな状況では日本の優秀な学生たちが東大を目指す気をなくしてしまうし、何より東大のブランド価値や東大生の名誉は更に既存されてしまう。そこでどこでもとりあえず滑り込めばもらえる医師免許より、日本全国の精鋭が集う東大生のほうが年収は低くとも魂の格は高くないのかと。
 同じことは様々な事例で見受けられる。例えばあなたが県トップの進学高卒だったとしよう。その場合、その県内に二番手三番手の公立高校はもちろん、そんな一番手の公立の受け皿になる滑り止め私立が存在するだろう。そこから、あなたの地元で一番頭がいいとされる国立大学に進学した先で、入学当初のオリエンテーションなどで3番手滑り止め校のやつに話しかけられ、同じ大学になれて良かったと、当時同じコウリッチューでコッペパンをパンパン鳴らした380の野球部がいたとしよう。そこであなたは内なる「違和感」を覚えるはずだ。俺は公立中学時代460で県内トップの高校に進学し、県内で一番とされる国立大学にも余裕で合格した。しかし、合格した先に中学時代当時とてもじゃないが同じ成績とは思えないかつての同期がいた。3番手高校で高一からシス単丸暗記してマグレで県内トップ大学に滑り込んできたお前と俺では、歩んできた人生における魂の格が違うと。

魂の格の活用

 魂の格という概念は極めて汎用性が高く、他者と自分が同じステージにいた場合、大体のXでのスカッとジャパン的な話では低学歴側が高学歴側に対してそんなに勉強したのに結局私と同じ会社なんですか?と煽り怒りに燃えるパターンだ。だが、このような事例も魂の格を用いれば容易に乗り越えられる。つまりは、今同じ会社にいたとしても東大の俺と慶応の俺では文字通り魂の格が違うのだと。
 もっとも、魂の格の使用には上昇志向の低下や明らかに下の社会的立場、例えば東大卒ウーバーや東大卒行政書士のような立場からマーチ卒公認会計士をバカにするような例も発生するだろう。しかしながら、魂の各理論の使い手は魂の格の勝負を持ち出すときは魂の格以外の補集合が全体的に「負けてる」ことを薄々気づいている場合も多く、そのような傲慢で弱者からの酸っぱい葡萄になることは少ない。

人間の原始的な動機は魂の格なはずだ

 外資系投資銀行や外資系コンサルが収入が高いという理由で志望ランキング上位になりだしたのはここ最近のことだ。あなたの小学中学時代を思い返してほしい。二分の一成人式で「私は将来ゴールドマン・サックスに新卒で入社して出産前には日系のアセマネに転職してそこからはPEファンドでホワイトにキャリー貰いながら働くのが夢です。」「私の将来の夢はボストンキャリアフォーラム経由でBCGに入社してベンチャー会社CXOの座を共同経営者に貰ってIPO目指すことです。」こんなこと言ってるガキがいたら正直怖い。そうではなく、あの四季報も読んでおらず、主要な情報源は相棒かリーガルハイか白い巨塔しかなく、公立中学の社会科の授業中に話される最強の成り上がり先官僚や命を救うお医者さん、史上最難関の文系資格試験と言われた旧司法試験を目指すために東大や京大の法学部を志望した人間は多いはずだ。特にこのノートの読者には。

魂の格を上げる方法

 魂の格を上げる方法は唯一つ。魂の格が高いと思われる職業や大学に入学し、難関試験を受けることである。もちろん最初の方で私が例示した地方医学部というのは本当に医師免許のためだけの自動車学校のような大学を指し旧帝医などは含まれない。何故なら、旧帝国大学時代からの掻き消せない魂の格がそこには溜まっているからだ。また、世間の流れに騙されないことも重要だ。常に公立中学や地元の人がどう思うかを行動指針に、魂の格の高い選択を続けていただければいつかあなたの魂も磨かれて向上する。

私が弁護士及び官僚を目指した理由

 私は幼少期から弁護士を目指していた。その理由は弁護士という甘美な響きや文系最高峰で歴史ある職業に魂の格を感じていたからだろう。公立小学校から公立中学校に進学し、社会科の授業で官僚という存在を教わった。どうやら日本の中心の霞が関という場所で日夜寝食を削りながらこの国のために命をかけて働いている生粋のエリートを指すらしい。私は弁護士や官僚になる方法を親や先生に尋ねた。そんなの彼らは知っているはずもないが、彼らなりに読んだ小説やドラマを元に私に対して東大法学部に進学すればなれるらしいよと言った。そこから私は魂の格の虜になり文系界隈魂の格最高峰大学の東大法学部を目指し、そしてその先にある弁護士や官僚への熱い想いを抱くようになった。驚くかもしれないがこのときの私には金稼ぎなどという俗的な思想は一切なく、ただ無心に魂の格の高い文系職を志していたのだ。
 しかし、残念ながら学力も足りず勇気も足りず、東大法学部へ進学する夢は高3で手放してしまった。その結果、関西圏では一応は魂の格が日本で二番目に高いことにされている京都大学の法学部に入学した。私は小中高と弁護士を志し、旧司法試験時代の地獄のようなエピソードや指にタコが出来るまで起案し続け一日20時間ガリ勉し何浪するのも当たり前な最難関凶悪試験を受けるステージまで18歳にしてようやく上り詰めたと思った。しかし、そんな私を待ち受けていたのは旧司法試験が10数年前に終焉していたという悲しい事実だった。聞くところによると弁護士は司法制度改革という私達が小学生の頃に行われた謎の改革によって司法試験の制度もろとも大きな変化を遂げ、今では合格率50%の試験に成り下がり、弁護士の給与も大幅に下落し、何より東大や京大の最優秀層は外資系という聞いたこともないようなナンジャモンジャみたいな会社に就職するらしい。
 このとき、大学一年生にして私の中の何かが壊れた。弁護士という職業、それに至るまでの地獄のような道、血反吐を吐くような努力と鍛錬、努力だけでは乗り越えられない才能と運と精神力、少しでもいい環境を手に入れようと魂の格の高い大学に入学したが、問題の司法試験側の魂の格が驚くほど下がってしまっていた。これではとてもじゃないが14歳のワタシに顔向けすることはできない。何故なら幼き私の目には官僚や弁護士を志す熱い想いだけで構成されたダイヤモンドのような眼差しが入っていたからだ。
 そんなこんなで司法試験というものの魂の格自体が、尊敬される職業から平均年収を理由に民間就職した人間にも蔑まれるレベルに低下していることに衝撃を受け立ち直るのに時間がかかった。
 弁護士の格の低下に衝撃を受けた私はもう一つの夢だった官僚を検討した。しかし、官僚も官僚でいまや東大法学部の大多数は目指すこともなく、財務省事務次官を一心不乱に椅子取りするバトルロワイヤルは20年前に終了していることを知る。すべての情報源が20年遅かったのだ。というか公立中学で私が2014年ぐらいに教師から聞かされた話は当たり前だが伝聞に次ぐ伝聞が続き、尾びれも背びれも翼も尻尾もついていた。多感な時期に形成された官僚への絶大な憧れと、それに対する現在の官僚の格の低下。東大生の多くは目指さず就活に失敗したマーチがボリュームゾーンと化した悲しい現実。この日本の文系エリートは一体どうなってしまうんだ。

ジェネリック旧司法試験

 そんな絶望の中に唯一灯る希望があった。それが現代日本に返り咲いた旧司法試験こと「予備試験」である。今や弁護士の平均年収は600万ほどと言われ様々な文系人からも冷笑されている。しかし、予備試験を通過した弁護士は魂の格が違うのだそう。というのを大学一年の夏ぐらいに知った。それまでの人生で予備試験という言葉を聞いたことも見たこともなかったし、どうやら調べてみると司法試験を受ける権利が得られる試験らしい。つまりは予備試験にさえ受かってしまえば学部はどこからでも弁護士になれるといことだった。これを知った私は更に絶望した。私は文系科目よりも理系科目が得意で、担任や家族からも理系に進学するのが向いていると言われていた。しかし、私は東大法学部という一つの魂の格だけを目指して、理系への進学を諦めた。思えばこのときどこかで予備試験というものの存在を知っていれば私の人生はもう少しマシなもんになっただろう。
 予備試験というのは現代日本最強最難関資格試験である。受ける人間の多くは東大や京大や早慶の大学生及び卒業生、年間の合格者は450人で合格率は4%。10000人以上が受けて450人しか受からないそのえげつなさに私は心を奪われた。もしかしたら、もう受けられない旧司法試験のリベンジをこのジェネリック品で晴らせるかもしれない。東大受験から逃げた私でも、この試験に受かれば中学時代の、東京大学法学部をただ一筋に目指していたかつての少年だった私に後ろめたさを感じなくていいのかもしれない。
 リサーチを進めていくとどうやら予備試験というものに合格すると初任給は1000万を貰えるらしい。今の弁護士の平均年収が600万程度なことを考えると破格な値段であるし、何より難関試験を乗り越えた先に「1000万円」という分かりやすいインパクトある目標があることは我々多くの高学歴の競争心を焚き付ける。そう、かつての旧司法試験、かつての官僚、かつての財務省のように、今ではこの予備試験に合格し、四大という東京のキラキラしたオフィスでパソコンをカタカタすることが魂の格が高いとされているのか。そう決意した私は長い長い戦いに沈み込んでいく。

幼き日から見た違和感

 だが、よくよく考えてみた。私が高学歴になりたい理由は最難関試験と言われた旧司法試験に合格し、魂の格の高い弁護士になることであった。その時の弁護士のイメージというのはどうも企業法務やらエムアンドエーではない。当たり前だ。田舎の公立中の学生がDDやファイナンスなんて用語すらしているはずもない。では果たしてそんなかつての自分が抱いた「情景」と異なる存在をかつての旧司法試験に重ね合わせ、追い求めるのは、あの日の自分への背信行為、冒涜行為に当たるのではないだろうか。そんなことに気づいたあたりからどうにも四大への妄想的な執着心が消え、いつしかいつか弁護士資格ゲットできればいいやという浅はかな考えに沈み込むことになる。

国総一次合格という心肺蘇生

 幼い頃から弁護士だけを夢見ていた私は、三年時の就活もうまく行かず全落ちし、このままだと留年すると絶望していた。成績発表前の夏休みは常に憂鬱でゆっくり眠れない日々も続いた。司法試験どころか期末試験ですら躓くこの有様。思いと憧れだけは強いものの、法律適性だけは人一倍ない悲しき成り上がり高学歴。仮に卒業できてもロースクールを目指してフリーターでもするんだろうかと思ってた矢先、突然気が向いて国家総合職教養区分を受ける事になった。正直この試験を受ける前は官僚なんてもはやオワコンだと思っていたし、周囲の友人も官僚など目もくれなかった。塾も入ってなかったし対策もしておらず人生に絶望しながら無勉で受けた試験だった。会場は私が夢見ていたようなthe官僚というタイプの受験生はおらず均質化した覇気のないそれでいて真面目そうな学生が集っていた。官僚への熱意もとっくに消え失せ、人生に絶望するままとりあえず目の前の問題だけを解くことに専念した。その結果何故か運良く一次に通った。まあ今の時代官僚なんて人気もないし俺ですら通るわなと思っていた。しかし、親に国葬一次通ったよと報告すると何故か祭りが起こった。
 そう、官僚の「魂の格」は死んでいなかったのだ。我が家からもしかしたら官僚が出るかもしれないと聞いた母親と父親は何故か大喜びをした。民間就活や法曹の就活を志す私からすると公務員というのはもはやどこにも就職できなかったやつがなる最後の受け皿だと思っていたが、大衆目線ではそうではなかったのだ。
 かつて私は同窓会基準論というものを構築したことがある。これは社会の縮図である公立中学から構成された同窓会で反応がいい事象こそ真の意味で社会的価値があるという指標である。
 その理論を更に拡張し、一部のもの好き高学歴を除外した一般大衆の中で賛美される職業、憧れ、資格それらの高低を決める指標が魂の格である。
 つまりだ、国家公務員の実質と、その外形的な評価には大きく乖離があり公立中学の大衆及び親などの一般人はそんなことに気づくこともないまま一生を終えるのだ。そう、かつて官僚に熱望を抱いたあのときの納豆少年のように。この出来事はあらゆる面で私の考え方をある種「昔」に戻した。金やらワークライフバランスやら転職スキルやら何も知らなかった、ただただ魂の格だけを一心不乱に追い求めていたあの頃の私が少し帰ってきた気がした。もちろん、これは官僚だけではない、弁護士だってそうだ。散々オワコンと言われる弁護士でも魂の格はまだまだ社会全体から考えたら高いほうだろう。一次試験受かったぐらいで何をそんなにイキってんだお前と言いたくなる気持ちはわかるし、私だって一次試験ぐらいなんの価値もないと思っていたし思っている。しかし、大衆からするとその小さな一歩が国の中枢へ登る大きな一歩に見えるのだ。

t出身と魂の格の衝突

 魂の格という概念は往々にして資本主義、拝金主義と衝突する。金儲けだけが得意な日大卒の中小企業経営者と東大法学部卒の年収1000万弁護士どちらになりたいかと言われれば後者を選ぶ人が多いだろう。つまりだ、世の中は金か魂の格かそのどちらか一方を選ばないと行けない日が来るということだ。そして、そのどちらかを選んだものはもう一方を酷く羨む人生をおくることになるだろう。だがしかしそれが人生だ、何かを選ぶということは何かを選ばないということなんだ。生まれや出自の高尚さという観点で言えば公立中卒やら田舎出身の魂の格はどうなんだという疑問も湧くと思うが基本的に彼らは自らの魂の格を高めようと考えて県内トップの高校を目指すために公立中学や場合によっては中学受験を行っている。低い状態から高い状態に魂の格を上昇させようとする努力は何よりも美しいと言えるだろう。

まとめ

 以上、魂の格の概論を終了する。後半部分は主に私の過去の体験や実体験を多く語ったと思うがどこか共感する方が湧いてくれればこれ以上の喜びはない。ぜひ皆さんも魂の格を高める人生を送りましょう。それでは。

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