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『プリンシプル』があって、『ルール』ができる。

安西さんの新しい記事、たいへん興味深く拝読しました。

きっかけは、日経新聞のコメンテーター・中山淳史さんのコチラの記事でしたね。

ここでいいたいのは、決まりごと(ルール)が秘める潜在力や可能性だ。過去は変えられないが、未来は変えられる。決まりごとをつくることで、未来を意図した方向へ近づけられるかもしれない。

最初にそこに気づいたのは、欧州の人々だった可能性がある。欧州各国の政府や企業、スポーツ界は伝統的にルールをつくることが大好きだ。何をするにも、まずはルールや規格を自分たちで決め、それを世界中に広げていこうとする。

誤解の無いように申し上げておきますと、じつはわたしは中山さんの記事の長年の大ファンです。日経新聞の切り抜きも、中山さんのものがとても多いです。(15年も自動車業界でバイヤーをやっておりましたので、特に! 笑)

さて、今回の記事を読んで率直に感じたことは……

日本語では、プリンシプル・・・・・・ルール・・・の区別がつきにくいのだ。

ということです。

「西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である」

これは白洲次郎さんが1969年に発表された、あるエッセイの言葉です。

「日本人と議論をしていると、その議論のプリンシプルはどこにあるのかがわからなくなることがしばしばある。(中略)こういう議論をいくらしても西洋人はピンとこないだろう」

ここなんですよね……。

『プリンシプルのない日本』と題したこの記事では、

・「プリンシプル基準」の考え方をすること
・「一番大切なこと」にふれること

の大切さを説かれると同時に、

・プリンシプルのない妥協は妥協でなくて、一時しのぎのごまかしに過ぎない

と断じていらっしゃるのです。

「すべては建築である」

そう言ったのは、 ウィーンの建築雑誌『バウ(Bau)』の編集長ハンス・ホラインさんでしたね。これが安西さんが仰るところの、

「欧州の人は確かに建築物を設計するような考えをするところはあります」

という感覚に近いと感じました。

たとえば「『最高の家』を作ろう!」という掛け声をかける場合、いつ、どこに、どんな人が住むのかを考えて、それに最適な<設計図>を引きます。それをすっ飛ばして<最高の建て方>なんてルールを決めても意味はないでしょう。

<世界観>というか、時空・・を超えた<宇宙視点>をもつリーダーが必要なのです。

All art is but imitation of nature. (人為は自然を模倣する) セネカ

例えば、GAFAM や Tesla がやっていることは、どれも<新・天地創造>です。ところが日本では、かれらが『創世記』をカタチを変えて再現しているのだという報道が、かなり少ないと感じます。

日本に、マイクロソフトの Windows の画面が『キリスト教の祭壇』に見えている人が、どのくらいいるのでしょうか。

フェイスブックがなぜ、仮想通貨に当初『Libra(リーブラ)』という名前をつけようとしたのか、なぜ会社名を『Meta』に、そして仮想現実空間に『Metaverse』という名前をつけるのか。なぜ『Horizon Worlds』なのか。

アマゾンがなぜ、『Blue Origin』という名前をつけるのか。『Day 1』とは何か。

これらは全て、かつてディズニーが『Fantasia』で魅せてくれた<世界観>とよく似ています。

西洋では、わかる人にはわかる。それが、日本的な文脈ではわからない。

「欧州にいる本人たちは、『道理は通そうと思うけどね、合理だけでは前に進めないよね』と言っている」

安西さんのこの言葉も、じつにローマ的ですね。

近代国家はすべて古代ローマの「法による支配」を礎にしています。古代ローマの叡智とはつまり、古代ギリシャ的な「行き過ぎた合理主義」は長続きしないということだったわけですから、

・いちばんはじめにしっかりと掴んでおくべきものはなにか
 (= Principle を大和言葉にするとこうなりますね)

ということと、

・それを実現するために、どのような決まり事が必要なのか
 (= Rule を大和言葉にするとこうなりますね 笑)

ということは、前後関係・・・・を逆にしてはいけないんですよね。
わたし自身、欧米の方たちと何年も働く中で、彼らのブレない軸の確かさにいつも驚かされてきたものです。

故・緒方貞子さんは、

ミッションのためにルールは変えればいいのよ

とおっしゃっていたわけですが、これと同じ感覚です。

大切なのは、<思考の順序>なのです。

中山さんは、「ルールをつくる力、物語を発信する力がカギ」と書かれていますが、かなめ<なんのため>を語ることです。何が一番大切なのか。それが<プリンシプル>です。そのために<ルール>をつくる。そういう順番です。

「価値観の醸成から攻めてくる点に最大の特徴がある」

そう、世界に売り込むべきは、<ルール>ではありません。
誰もが共感できる<世界観>なのではないでしょうか。

「押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか」

白洲次郎『プリンシプルのない日本』(新潮文庫)

ここでわたしは、欧州のEV政策が正しいなんて言いたいわけではありません。考えるべきは「なぜヨーロッパはEVシフトを決断せざるを得なかったのか」です。

ヨーロッパ人は、強硬な環境対策をやろうとした。フォルクスワーゲンは、ディーゼル・エンジンでそれを乗り切ろうとした。そして失敗した。「まさかあのフォルクスワーゲンが!」あの時、誰もがそう思ったはずです。

これが、ひとつの大きな契機になったのではないでしょうか。

責任は企業だけにあるのではない。行き過ぎた合理主義が、不正に走らせたのではないか。そう反省したリーダーが西欧にいたとしても、わたしは驚きません。かつて共に働いた欧州人たちは、部下の失敗を部下の責に帰することはしなかった。彼らはいつも、「部下の失敗は、上司の失敗。したがってわたしの判断ミスである」と語っていた。そして粛々と対策を打ち、事後処理をしていたからです。

これは、古代ローマの遺産だと感じました。

もうひとつ、忘れてはいけないことがあります。
日系メーカーは、いろんなことを、日本人だけでやりすぎたのです。

Thou shalt not glean thy vineyard, neither shalt thou gather every grape of thy vineyard; thou shalt leave them for the poor and stranger.

(Leviticus 19:10)

人間として、なにに<重き>を置くのか。
西洋のリーダーたち(政界でも財界でも)が地球規模・・・・のルールづくりを考えるとき、ただ単に「日本の牙城を崩してやろう」だなんて、そんなちっぽけな了見じゃあ動いていないと思います。

日本として、彼らよりいい提案ができるのならば、そうすればいい。
そのために<物語ストーリー>をつくる。
<ルール>ではなく、より良い未来の<価値観>をしめせば良いだけのことです。

そのためには<日の丸>根性じゃあダメです。日本人 vs. 世界じゃないんです。
そこは<コスモポリタン>でなくては。
世界中の人たちに共感され、巻き込めるストーリーづくりが必要なのです。

「戦略とは追いかける指標のことである」 

鈴木博毅『「超」入門 失敗の本質』

「ゲームのルールを変えた者だけが勝つ」

 (同)

パソコンも、スマートフォンも、日米半導体もそうでしたが──『アキレスと亀』のパラドックスとは、結局そういう話だったのではないかと思うのです。<自由意志>をもった亀が、明確なゴールの取り決めもなく、ハンディをもってまず先を歩む。アキレスに悟られないよう、少しずつ座標軸をズラす。相手が<真の狙い>を正確に見抜かない限り、亀はかならず優位に立てる。アキレスが気づく頃には、時すでに遅し、というわけです。

Colonies planted by commercial states require to be flourishing in order that the mother country shall have profitable relations with them. The parent country, knowing this, leaves the colonies to the guidance of persons advanced in political knowledge, who know how to adapt the institutions of the home government to the actual state of affairs in the new settlement: hence it has generally happened that civil liberty has developed more rapidly in commercial colonies than in the parent country itself. 

William Swinton『Outlines of the World's History』

1880年に<フェニキア人>について書かれたこの記述に思わずハッとしたのは、わたしだけなのでしょうか。

さて、わたしが自動車業界を離れるかどうか悩んでいる時、何度もなんども読み返した本があります。

これを読んで、何度も泣きました。でも、これがあるから決断できた。
日本の、たいせつな先人の知恵です。

変わるべきは、日本人の<世界観>なのです。

過去に起きたことは変えられない。でも、意味・・は変えられる

そう信じています。

なんてお恥ずかしながら、大したこと言える立場でもないのですが……

「義人なし、一人だになし」

(ロマ書 3:10)

日々是精進、無知の知。

これからもわたしなりに、今できることから歩みを進めたいと思います。


◆参考図書

◆最終更新
2022年12月13日(火) 3:25 PM

※記事は、ときどき推敲します。一期一会をお楽しみいただければ幸いです。

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