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1995年生まれを受け入れること


先日、わたしと、40代の方々と、20代前半の方々の、計5人でお話しする機会があった。

カッコいいひとたちだった。

とても楽しい時間だったのだが、
ふと、生きてきた世代について考えてしまう自分がいた。

"年齢"を意識するのはあまり好きではない。しかし、好きではないと言っているからこそとても意識しているのかもしれない。

と思い、書いてみる。

わたしはいわゆるミレニアル世代だ。

20代前半の2人はZ世代。

ここには割と大きな隔たりがある、とある人に言われた。

「キミたちはどうしようもない世代だね。」と。

終わってるわ〜とまで言われそうな勢いだった。

この言葉を言われたとき、怒りが込み上げて来たし、「わたしたちのせいではないよね」とも正直思った。

でも、わたしたちのせいではない、こともない。

自分の人生をどう生きるのか。ということを世代のせいだけにするのはどうかな、とも思う。

どうやら私たちはとても中途半端な時期に生まれたらしい。

小さいころにインターネットが流行し始め、
思春期あたりからスマートフォンが出現し、急速に世界の、生活の中の、"IT化"が進んだ。

そう言った機器の危険性も分からず、むやみやたらと使い続け、
イマイチ武器となるような使い方も出来ていない。

(もちろん出来ている人もたくさんいるけれどネ。)

"これからは個人として生きる時代だ!"といったムードにも悩まされている、人が多いように思う。

「エーッ、いきなりそんなこと言われても!?
好きなことってナニ。」

という言葉もよく聞く。

実際わたしもそんな感じで悩みながらも時間は過ぎて行き、なんかよくわかんない、って足踏みしている。

もっと電子機器を巧みに操れるようにならなきゃ、とか、
足踏みしてちゃダメだ時間がもったいない好きなこと!とか、
いっぱい考えてきた。

けど、最近、

こんな中途半端な時代に生まれてきて、"どうしようもない世代"でも、いっか。

って思う。

それは諦めではなくって、
まるごと受け入れてしまおう、ということだ。

受け入れてしまった方が、
表面的な"個人として生きること"を探さなくていいし、自分より若い世代の人たちがやっていることを素晴らしいな、とは思ってもそれが正解、とは思わなくなる。

自分に置かれた大きな環境と小さな環境を受け入れて、
自分の持っている力量を知り、それをヒトのために精一杯使い、

楽しく、笑って

やりたいと思った小さなことを行動に移していくこと。
そうやって、生きていけばいいんじゃないだろうか。

ってワタクシ思いますけど、ミナサン、ドーデスか。

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