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根暗な私でも人付き合いが苦ではなくなったわけ①

現在農業を始めて3年目。昨年は香川県で正社員で勤めていた農家さんを休職させてもらい、4ヶ月北海道石狩市の農家さんに住み込みで働きに行っていました。

また現在も香川県でシェアハウス生活をしており、それも気づけば約2年くらい。
ここ2年くらいで人からよく言われるようになったのは「行動力がある」、「人見知りしないんだね」等の系統の言葉です。確かにシェアハウス生活、知らない地域に行って住み込みで働く。ここだけを切り取ってしまえば超外向的なタイプに聞こえなくもない。

でも、実際私は120%内向的なタイプで、小、中学生時代1日誰とも話さず帰宅することも当たり前でした。絵を描いたり、本の世界で現実逃避して毎日やり過ごしていました。多分現代の言葉を使うと完璧なHSC(敏感すぎる子どもたち)。担任のイライラしている雰囲気とか子ども同士のしょうもない仲間外れ。

こういう風景を見ることが多分相当なストレスだったのかなと思います。(子ども時代の楽しくない事は忘れてしまったのであまり覚えていませんが。)

でも正真正銘の根暗なタイプだった私でも20代で外向的に見られているのだから、きっかけさえあれば誰でも変われるのだと思います。
私のきっかけが役に立つかはわかりませんが、今回少し紹介してみます。

〇高校時代の寮生活、部活動
もう10年も前の話なのであまり鮮明ではないのですが、ここがまず最初の転機だったと思います。
高校は北海道帯広農業高等学校。銀の匙で有名な十勝の農業高校です。ここに馬術部があったので入学を決めました。(中3で家族と3年限定で北海道に移住し、家族は先に帰ってしまいました。ここを説明するとややこしくなるので省略。)寮生活がどういうものかわからず入学を決めた農業高校生活。

でもこの最初の決断が今の私の現在地を決めたんだなと今では思います。寮生活は2人で1部屋。先輩と一緒な期間もあります。小、中まで友人もいない根暗キャラがやっていけるわけがなかったのですが、ここが農業高校というところに助けられました。

北海道帯広農業高等学校の寮生はほぼ北海道の各地から来た酪農や農業の後継者。何故だか説明はできないのですが、皆優しいんです。私が今まで、香川県で通っていた学校とは明らかに雰囲気が違いました。道民性もあるのかもしれませんが、私にはこの穏やかな空気感がとても合っていました。

そして寮生活なので寝ても起きても周りには同級生や先輩がいる。喋らないわけにはいきません。このような強制的に喋らないと生活が成り立たないという環境に放り込まれたのも強くなれたきっかけだと思います。
また、馬が大好きだったので馬術部に入部。部員はみんな馬好き。こんなマニアックな話を同じテンションで出来る友人が初めて出来たのも大きかったと思います。

ここで気づいたことは環境を変えることさえ出来れば、自分に合うコミュニティというのは存在するということ。香川県にあのまま留まっていれば、多分私は人間関係を作るのにもっと時間がかかっていたと思います。絶対どこかに素の自分で付き合っていける人たちっています。

私はそれが香川県から1800Km離れた北海道でした。現在もここで出来た友人関係というのは続いていてしょっちゅう連絡も取るし、香川に来てくれたりします。
ここでの経験は本当に大きかったのですが、まだ当時は自分の本当に近くにいる人たちとしかコミュニケーションはとれていなかった気がします。自分と違うタイプの同級生や先輩と話す時はやっぱり自分の感情は抑えていました。

次にきっかけになったのが転職してたどり着いた農業を始めてから。ここまでの道のりが本当に長かった。(ここまでくる数年は本当に人生のどん底を経験しました。これもまた面白くネタに出来ればと思っています。)

次回の記事では農家さんに正社員で勤め、そこで東南アジアの人たちに揉まれながら奮闘した経験を書きたいと思います。ここで出会えたタイ、ラオス、カンボジアの人たちも本当に人生を這い上がれた恩人たちです。(こうやって文章にまとめてみるとなかなか奇想天外な人生なようで面白い。)

つづく🐎


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