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発達凹凸の息子と、母である私 ②トラブルメーカーは救世主

書き始めた時は、やっぱりどこか、
息子の凹凸があることを理解してもらって、
彼が誤解されて悲しい思いをしないように、
というような思いがどこかあった。(誰かへの)
けれど、やっぱり、
息子のことを向き合えば向き合うほど、
けっきょく自分自身のことだったり、
見て見ぬ振りしてきた自分と
彼の課題だったんだなぁと気づく、、、。


書くことが私にとって本当に
セラピー的な役割(自分のため)があるから、
読んでくださって、
何か感じてくれる方がいるなら
ただただありがたいばかりです、、、。

子どもの頃からのパターンとして気づくけど、
自分のことって、みんな我慢できちゃうんですよね。
私は自分の父親との確執が幼い頃からあって、
自分がなに言われたり、
なにされても我慢したり
やり過ごせたけど(潜在意識に封印)、
大好きな母や姉に同じことをされると、
とてつもない怒りが湧いてきた。

子供が生まれてからは、子供に何かあると、
冷静さを失って動揺してしまう。

でも動揺、揺さぶりがあるからこそ、
地震が起きて、見えなかったことに
気づくように、
いろんな気づきがあるんだと改めて思いました。

で、けっきょく何がいいたいの?
というところなんですが。

とにかく息子くんは、
人が嫌がることばかり言う、やる、
いわゆるトラブルメーカー、問題児。

保育や教育の場では、やっぱりそれって
「人の注目を集めたい」という欲求の裏返し。
=注目が足りていない
=母親との愛着不足
=母の注目や愛が足りてない、
と見做されることが多い現実。

それについて、否定はしませんよ。
確かにその要因、場合によってはあると思う。
じっさい私と息子の場合も、
特に第2子、第3子出産後は
じゅうぶん当てはまるとも思うし、反省もある。

でもそれだけじゃない、と私は思ってて。

それは自分が子供を産む前に、
いろんな発達障害の子供たちと出会って、
彼らを「悪」とか「修正すべき何か」とはどうしても思えなかったから。

その頃、私は自然農にどっぷりハマって、
毎日毎日畑に通っていたけれど、
いわゆる害虫というものはなく、
害虫も益虫も、
病気も障害も意味があってそこにいるもの、
起こるものだ、
と身を以て体験していたし、
それらがすべてあるからこそ、
全体として良き調和に向かっている、
と感じていて。
それがどうして、
人間の世界には当てはまらないの??
不思議でたまらなかった。

同時にその頃は、
和みのヨーガのインストラクターもやっていて、
師匠のガンダーリ先生ともそんな話をしたことがあって。

そうしたら先生の答えがとても明るいもので、
すべてはバランスですからね〜♩
問題があると言われるお子さんが
とっても増えているのは、
みなさん(大人)がいろんなことを
とーーーっても我慢しすぎているので、
そのバランスを取るために
存在してくださっているんですよね〜〜♩」と
言っていて。

確かにね〜〜〜〜♩ととても腑に落ちたんです。

例えばアリも。

みんな一列になって、
同じように行動しているように見えるけど、
実は1割だか2割だか、
全く別の行動をするアリも存在するんだって。

それは万が一、大多数のアリが
とっている行動で、
そのほとんどが全滅してしまっても、
その1割か2割が残れば、
種の保存ができるための、自然の法則だという。

病気だって、病気になることによって、
色んな気づきや学びがあるわけだし、
アンパンマンだって
バイキンマンがいなければ活躍の場もなく
ただのアンパン男なわけだし。

世界がもし悪に汚染されていたとしても、
それは私たち個人個人が、
善なるものへとなるための機会を与えるために、
悪として存在していてくれるのかもしれない、とすら思う。

世界がもし完全に善や光だとしたら、
私たちの魂はいったい、
何を学びに
この地球に来たのでしょうか。。。。?

その観点で見ると、発達障害の子供たちの
存在意義はとても大きい。

前の投稿で、息子は生まれる前に神様と
「いいかい。お前はけっして。
大人のいうことを聞いてはいけないよ」

と約束してきたんじゃないか?!?!と
思ったと書いたけど、
それもあながち冗談じゃないかも、
とすら思う。

だって
私たち大人が正しいとは、限らない
じゃないですか。

私たちだって、
親とかもっと前の「大人」が、
「こうしなさい。これが正しい。こうすべきだ」
と言うことを踏襲してきただけで、
それが本当に正しいなんて、
どうして言えるんだろう?

それに従ってきたけど、
果たして世界は
より良くなっているのかどうか、、、、?!?


わたしは月星座が水瓶座なのも影響大ですが笑、
あらゆる
常識はもはや不要、じゃないですか?と思う。

それも産後にたくさん気づきました。

子育ての常識なんて年代変われば、
というか何年か経てば
あっさり覆されていく。

母乳よりミルクだの、いややっぱり母乳だの、
抱っこの仕方はこうするべきだの、
抱き癖は良くないだの、愛着が育たないだの、
添い寝はダメだの、離乳食は何歳からだの、
室温と湿度はどのくらいだの、
冷暖房はなるべく付けないだの
なんだのかんだの。

ぜーーーんぶいらねー笑

そんなの子供によっても
一人一人全然違うし、
母親によっても
全然違っていいんじゃないの。

常識とかこうあるべきとか、
本当にくだらないの極致だな、
と母になってつくづく思ったんですよね。

その母子にとって、
最も心地よく、最も幸せを感じるやり方で、
子育てをただただ楽しめればいいんじゃないの?って。

私たちは
外の基準にいつも
自分を合わせようとしているから、
無理してるから、
そうしない人、できない人が許せない。

日本を一歩出ると、
日本人がいかに
几帳面すぎるか、真面目すぎるか。
そんなことを大切にするあまり、
いかに自分を殺しているか、
自分を蔑(ないがし)ろにしているか、
そして他者に対して許容できないのか、が
つくづくわかりますよね。


日本人の自殺の多い原因は、私はもうこれに尽きる、と思ってます。

自分を殺しすぎているか、
自分を蔑ろにしすぎているか。

そんな世界はもう終わりにしたい。

そのための救世主が、
いわゆる発達障害と言われている子供たち、
インディゴチルドレン、とか
レインボーチルドレン、と言われる
子供たちの存在です。


彼らに、私たちの古い常識は通用しない。
もちろん、言うことも聞かない、、笑


特に、うちの息子も実は
診断されたわけじゃないんですけど、
いわゆるグレーゾーンと言われている子たちと、
その親が一番葛藤が多い気がします。


学童保育で働いている時も
「この子は支援クラスだから」と言う子は、
ある意味、逸脱したような行動も
先生たちにも子供たちにも
許容されていたけれど、
グレーの子たちは、叱られる。
子供たちにも理解されない。
いつも怒ってる子がいました。
「〇〇くんは何も言われないのに、
どうして私がやると先生たちは怒るの?!?」

そりゃそうですよね、
子供にはそんなこと理解できない。

大人の言い分はこうです。
「だって〇〇君は診断されているけれど、
あなたは病気じゃないでしょう?」
。。。。。。。。。。

理屈はわかるけど、私も
やっぱりふに落ちないですよね。

うつ病と病名がつけば休んでもいいけど、
つかなければただの怠け者ってこと?

そんなのおかしいじゃん。


病名がつけば救われる部分も
ある意味あることも理解できるけど、
そうじゃなくて、
みんながただその状態を、
ただそのまま
受け入れればいいんじゃないかなぁと。

もちろん、まったく注意しないとか
そう言うことじゃなくて、
古かろうが聞いてくれなかろうが笑、
私は自分の思いや考えを伝えるし、
でも、もしすぐ聞いてくれなくても、
それは彼が聞くか聞かないかは
判断すること、と受け容れる。
それが浸透しやすい子もいれば、
全く浸透しない子もいる。

休みたい時は、たとえ病気じゃなくても、休めばいいし。

ただそれだけのシンプルなこと。


私は発達凹凸なので、
こういうふうに対応してください。

私はHSPなので、
こういうふうに言ってください。

と世界に向けて、自分のトリセツを配って歩くわけにはいかない。


でももし、世界がみんなを、
ただありのまま受け容れてくれたら。
あなたや私の常識に当てはめようとせず、
ただただありのままを受け容れてくれたら。

どんなに凹凸があろうと、
傷つきやすい子だろうと、
生きていくことはできると思う。


新しい世界は、きっとそういう世界になると信じている。

だってただみんな一生懸命、生きてるだけだもん。

そのためにも、まずは私は、
自分が、それを受け容れられる大人でありたい。

ただそれだけ。


そのために、私は私の全てを許容し、受容する。
なぜなら、
私の中に
すべての善も悪も、光も闇も、
器用さも不器用さも、
優しさも残虐さも、美しさも醜さも、
怒りも悲しみも、
あると思うから。

そしてそれを導く役が、我が息子だった。

どこまでも自分の受容力を深めたい。
深く深く深めたい。

今回気づいたのは、けっきょく
ただそれだけだった。


そして最近大ヒット(死語?)してる、
息子の大好きな曲、
SEKAINO OWARIの「Habit」の歌詞が
もうまさにシンクロなので笑

記念に転載しておきます、、、笑
息子からの私へのメッセージとしても、、、、

====================

SEKAINO OWARI「Habit」

君たちったら何でもかんでも
分類、区別、ジャンル分けしたがる
ヒトはなぜか分類したがる
習性があるとかないとか
この世の中2種類の人間がいる
とか言う君たちが標的

持ってるヤツとモテないやつとか
ちゃんとやるヤツとヤッてないヤツとか

隠キャ陽キャ?
君らは分類しないとどうにも落ち着かない
気付かない本能の外側を
覗いていかない? 気分が乗らない?

つまり それは そんな シンプルじゃない
もっと 曖昧で 繊細で 不明瞭なナニカ

例えば持ってるのに出せないヤツ
やってるのにイケないヤツ
持ってるのに悟ったふりして
スカしてるうちに不安になっちゃったりするヤツ

所詮アンタはギフテッド
アタシは普通の主婦ですと
それは良いでしょう? 素晴らしいでしょう?
不可能の証明の完成なんじゃない?

夢を持てなんて言ってない
そんな無責任になりはしない
ただその習性に喰われないで
そんなHabit捨てる度 見えてくる君の価値

俺たちだって動物
こーゆーのって好物
ここまで言われたらどう?
普通 腹の底からこうふつふつと

俺たちだって動物
故に持ち得るOriginalな習性
自分で自分を分類するなよ
壊して見せろよ そのBad Habit

大人の俺が言っちゃいけない事言っちゃうけど
説教するってぶっちゃけ快楽
酒の肴にすりゃもう傑作
でもって君も進むキッカケになりゃ

そりゃそれでWin-Winじゃん?
こりゃこれで残念じゃん
そもそもそれって君次第だし
その後なんか俺興味ないわけ

この先君はどうしたい?
ってヒトに問われる事自体
終わりじゃないと信じたいけど
そーじゃなきゃかなり非常事態

君たちがその分類された
普通の箱で燻ってるからさ
俺は人生イージーモード
ずっとそこで眠っててアラサー

俺はそもそもスペックが低い
だから足掻いて踠いて醜く吠えた
俺のあの頃を分類したら
誰の目から見ても明らか

すぐ世の中、金だとか、愛だとか、
運だとか、縁だとか
なぜ2文字で片付けちゃうの

俺たちはもっと曖昧で
複雑で不明瞭なナニカ
悟ったふりして驕るなよ
君に君を分類する能力なんてない

俺たちだって動物
こーゆーのって好物
ここまで言われたらどう?
普通 腹の底からこうふつふつと

俺たちだって動物
故に持ち得るOriginalな習性
自分で自分を分類するなよ
壊して見せろよ そのBad Habit



大大感謝ですm(_ _)m