「がんばりすぎてしまう母親」の深層心理〜女性性の闇の開放への道のり②
前回からの続き、シリーズ3編め。
シリーズ1篇め↓
シリーズ2篇め↓
書いていて本当につくづく思うことは、いかに「私は私を大切にしてこなかったか」に尽きるんですよね、、、。
そのころの自分を今の私が思うと、本当に可哀想にって思うんです、、笑
今の私はそのころの私と続きである部分と、続きでない部分があるから。。
さて、すっかり書いてしまいましょう。お付き合いいただきありがとうございます。
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第2子出産後、何が一番辛かったかというと手湿疹。
産後かかる女性が多いと言われている手湿疹、私も本当に悲惨なもので、指の関節という関節がパックリ切れてしまい、手全体もグローブのように腫れ上がっていました。
何を塗っても治らず、どうにもならずセメダインがいいなんて聞いて、試してさらに悪化するというもうそれこそ無限地獄ループ。
長男は野外保育に通っていたし、家にいても毎日泥んこ三昧。野外保育では全身はもちろん、リュックサックや長靴まで見る影もなくどろっドロなんて日も珍しくなく。
第2子長女も布おむつ(その頃は少し緩んで出かける時は紙おむつ)。
ドロドロの洋服や靴、うんこのついたオムツを、傷だらけの手で泣きながら外水道で洗う日々、、、、。
それも全部「子供たちのため」「子供にとって‘いいこと’をする事が母親の役目」。
「良いこと」「こうあるべき」に完全に支配されていたんですね。。。
「良い母親であると思われない恐怖」
みたいな、得体の知れない恐怖につねに苛(さいな)まれていたように思います。
それはつまり、「人からどう思われるか」「こうするのが当然である」という完全なる他人軸。
自分の身体が「助けてー!もう無理だよー!」と言っているのを無視し続けて、
「良い(と思い込んでいる)こと」を頑なにやり続けるという、狂信的なアンバランスさ。(あ、夫婦でそっくり、、、笑)
その状況を引き寄せ続けるのは、結局、自分の中にある「不足感」「無価値感」だったんですよね。
気づくチャンスはあったはず。でも無意識にやり続けているから、どうしても他人の助言は入らない。
でもある時、徹底して手作りのおやつにこだわっていたから内心得意げに、、笑、子供に与えていたら、親ほど年配の知り合いの女性がちょっと‘小馬鹿にしたように’「あらあら、ずいぶん頑張っちゃって大したことね」と言ったんです。
その時わたしは「、、、え?!」と内心固まりました。
褒められてもいい事を、馬鹿にされた、、、?!?!?
今となっては笑っちゃうけど、ショックでしたね。。笑
でも気付けなかった、気づかないふりをしていた。
しかしとにかく隣の隣の市まで野外保育に通うことはもう疲れ果てた。
もともと「子育てをするなら自然豊かな田舎で」というのは私自身の最優先事項でしたから、通うのを止めるかわりに自分で地元でやろう、と思いました。(まだ頑張るんかーい、、、笑)
ちょうど地元で野外保育に興味を持っているお友達もいたし、ガッツリではなく、基本的には保育園に預けながら週に1回だけ、「気楽に、楽しく」やれば大丈夫、楽しめる、と思って、希望を抱いて、念願の地元での野外保育活動を始めることにしました。
まぁボロボロの身体だったんですが、とにかくやる気だけはあったんです。
あれもやろう、これもやろう
自然農で米作りして、草木染めして、折染して、みんなで竹鉄砲作って、七輪でサンマ焼いたり、ひな祭りには菱餅つくって。。。。。
しかしはじめてすぐに、、、、、
なんと第3子を妊娠していることに気がつきました。。。
予定外でした、まさに青天の霹靂です、、、、笑
でも、妊娠がわかった瞬間は、やはり号泣して嗚咽しました。3度めも同じく、じぶんでも全く説明のつかない感動の涙が止めどもなく流れたのです。
でも妊娠前から不調の多かった身体でしたから、かかりつけの漢方医さんが妊娠を告げたら、「はぁぁぁぁぁぁ、こんなボロボロの身体で、、、、、」と本当に深い溜息と共に、お医者さんがうなだれてしまうような有様でした、、、
助産師さんも「この身体でよく病気にならなかったね、、、」と驚いていました。
しかし助産院で出産するには、徹底的に身体を建て直さなくては、、、、!!!
ということでアドバイス通り玄米酵素を大量に飲み始めたら、何をやっても治らなかった手湿疹が治り始めたのには驚きました。
しかしつわりが酷くて、、、、
もう毎日生きているのが精一杯。妊娠中の食の好みは、三者三様でしたが、第3子ベイビーはとにかく化学調味料を一切受け付けず、煎餅に入っている「アミノ酸等」だけで吐き気。市販の麺つゆも使えないから、全部出汁も手作り。コンビニご飯なんて食べようものなら、一口でぶっ倒れるほどの吐き気。
そんな中での野外保育主催は本当にしんどかった。。。
参加してくれるのはみんな、産後間もないお母さんとまだ幼い子供たち。デリケートな彼らの責任を持つ、という事実に押し潰されそうになりながらの開催でした。
けっきょく、「楽しく、気楽に」と願って始めても、根本の私の闇に気づけてなかった、その周波数を手放していなかったので、けっきょく何を掲げて始めても「辛くしんどい」ものになってしまうんですよね、、、
まさにあるある。。
外側で起きることの全ては、自分の内面の写鏡(うつしかがみ)。
外側を変えよう変えようといくら頑張ったところで、映し出す本体が変わらない限り、映し出されるものは、変わらないか、さらにグレードアップしていく、という宇宙の真理です。
わかりやすいのは、「相手のここが悪い、嫌い」と離婚して再婚しても、さらにその嫌いとか悪いと思っていたところを強く持っている相手だった!!!!とかね笑
母親になって、自己肯定感の養われていなかった私たちは、さらに自分を追い詰め始める。
「子供のため」「母親なんだから」という呪縛に、助けて、の一言もいえない。
今となっては「まずお母さんが幸せであること」がどんなに大切なことかがよくわかる。
人から見たら、「子供たちにたくさんいい経験をさせてあげるいいお母さん」だったわたしは苦しみの塊だったし、家庭内に今のような朗らかさはなかった。
お母さんが笑っていない家庭は寒いです。
大したことなんか何もしなくていい、だからお母さんが笑っていれば、子供たちは安心して育っていく。今は本当にそう思う。
子供たちは見透かしてるから。
表面だけで笑ってるのか、本当に幸せで笑ってるのか。
お母さんが幸せじゃないと、子供たちは自分を責めちゃうから。
だからお母さんが心底幸せにならないと。幸せでいる事を、自分に許可を出さないと。ある意味覚悟が必要なんだ。
まずは自分から幸せになろう。
頑張るお母さんも素敵だよ。
だけど笑ってるお母さんが最高の女神。
なぜあなたはそんなに頑張りすぎちゃうのか、よくよく考えてみてね。
「ちゃんとしたお母さんじゃなくちゃいけない」
その根強い想念は、本当にあなたのものかな、、、、??
楽園ってどんなところ?って考えてみると、花が咲いていて、鳥が鳴いていて、蝶が舞っていて、裸で子供たちが走り回っていて、そして女性が笑っているところなんだよね。
決して男たちだけが笑っているところではない。笑
男性たちは蔭で女子供を支える、安定した土台となる存在なのです。
だから男性たちよ、女性が笑っていられるように、どうか最大限の力を貸して下さいね。産後が特に、そのあなたの力が必要な時です。ここを逃すと、もう取り返しがつきません、、、笑
わたしの中の闇、それは自分で自分を全く愛していないことだった。
愛していなかったから、全く大切にできなかった。
わたしには誰かに愛される価値もないと思っていた。
なぜならわたしはわたしを愛していなかったから。
自分の本音に耳を塞ぎ、身体からの叡智のメッセージも無視し続け。さらにさらに自分を追い詰める。
「まだまだ」「まだまだ」とつねに自分を追いこんでいく。
「それ」を止めるのは、「それ」を見なくてはならない。
もういいよ、さようなら、と「それ」に告げなくてはならない。
だから自分の内面を見つめ続ける。それしかないから。
相手を変えることはできない
世界を変えることはできない
ただただ、自分の内面を見て。
そこに愛と平和がない限り、
相手にも、世界にも、
愛と平和は存在しないのだ。
大大感謝ですm(_ _)m