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あなたを変えようとするなら、それは愛ではありません

なんだかどこかで聞いたことのあるようなタイトルですが、、、笑

「結婚」について、そのあり方への疑問と答えが、一つ前の投稿のように何かストーンと来てしまって。
今、あらゆる常識だと思われていたことや、正しいと思われていたことが崩れ去るタイミングに入っていると言われていますが、まさに「結婚」もそのうちの一つだったのかな。

愛について、私はずっとわからなかったんです。

「愛してます」とかよく口にする人がいるけど、「本当に愛するって意味わかってんの?」というなんとも色気のないリプライしか思い浮かばないという、、笑

でもここのところで、愛についてもストーンと落ちてきて。

つまり愛とは、勝手に内面から湧き上がるもの。

(✳︎詳しくはインスタの投稿をご参照くださいませ。)




もし、誰かを愛していると思うなら、
その人を手に入れたい、とか幸せにしたい、
とか一生離さない、とかセックスしたい、
とか単なる自己愛だし、欲望だし、おこがましいにもほどがある、、


愛しているなら、その相手の

「幸せだと思うこと」「幸せな状態」「幸せを感じる時間」を100%自由にさせてあげること。

それが共にいる時間なら、一緒にいればいい。


だけど結婚ってさ。まさにその自己愛の押し付け、になりがちではないですか?

最近いろんなところで「支配者」という言葉を耳にするようになったのが気になって、そもそも支配者ってなんだろうって考えるようにもなって。

もしかして誰もが内心、支配者になりたがっていのかなぁって思った。愛のないところに支配者あり、みたいな。

結婚すればパートナーの支配者になりたいし、子供が生まれたら子供の支配者になろうとする。自分の意に反するようなら憎むし、相手を変えようと躍起になる。

結婚しているとどちらが支配者になるか、自己愛を押しつけながら日々格闘していることも多いのでは、、、笑

そんなことやめればいいのに、一生をかけてそれをやっていたりするのが、結婚。

支配者にならなかった片方は、隷属者に落ちつく。

どちらにしても、それは「愛」ではない。


なぜそれを続けるのかは、そこには目に見えない「永遠の誓い」があるから。
「誓い」ならまだ美しいけど、本当は「契約」という名の「束縛」。
愛とは真逆のもの。永遠の意味もわからないまま。


でもそれも、結婚をしてみないとわからなかった。
oshoが言うように、結婚をしてみる必要があったし、結婚を必要とするほど未熟だった。
結婚をしてみて初めて自分がいかに「愛とは何か」を知らないということに気づけたし、大切な人を大切にする、ということの難しさを知った。

結婚、そして子育てを通してのパートナーシップ。
子供が生まれてからの方がさらにステージは難しくなるんだけども、、笑


ではなぜ人は結婚したがるのか?

結婚、したかったなー私も。

まずは一つの洗脳もありますよね。
「結婚=幸せのゴーーーーール!(カビラ風)」
どんだけ結婚って幸せなことやねん、ていう嫌っちゅーほどの煌びやかな広告宣伝。
誰かに「一生大切にされる」という、自己愛が低いがゆえの、幻想。

でも長い歴史の中で、女性はいつも「安全」を求めていた。「安全と安心」。
それは子育てをしてみて初めてわかったけれど、子供を育てながら、子供を養うために、昔なら狩猟をし、今ならお金を稼ぎに出るっていうことがいかに大変なことか。

狩猟は本当に無理だろう。例えばまだ生まれたばかりだったり乳飲み子だったり。白熊は何日も食べなくても洞窟の中で子育てができるらしいけれど、人間は食べなかったらおっぱいも出なくなるし、育てられない。

だから女性は「安心」のために、男(愛する男)を必要とした。
子供と、自分のために。

さらに継続して安心を得るために「結婚」を必要とした。

多くの男の人はさ、oshoがいうように1ミリも結婚なんかしたくないんだよね、本当は笑

結婚願望が強い人も中に入るけれど、冒険よりも安心が好きなタイプなのかな。

いずれにしても、男の人にとって結婚ほどの束縛され、不幸せな状態はないんじゃないかな?

でも男の人はえらいから、
好きな女の人のため、
親を安心させるため、
社会的に一人前と見做されるため、
「責任」を持つために、結婚する。

自分以外の何かや誰かのために。

「責任」なんて取れるわけないのに。

結婚をしていると、そのパートナー以外の人に惹かれるということは、全て糾弾されるべき「罪」になる。

人を好きになることが罪っておかしいだろ。

そうやって、大人になると、みんな大人しくなっちゃって、なんのために生きるのかもわからず、あーでもないこーでもないとどうでもいいことをこねくり回して死んでいく。

でも支配者たちには都合がいいよね。どんどん無力にしていく。可能性を減らしていく。それが幸せなんだよって、それが大人なんだよって。

愛とは何かを学べずに、一生を終える。。。。


じゃあつまるところどうしたらみんな幸せなのかな?って考えた。

女子供が安心して生きられて、男が束縛されずに自分が生きたいよう生きるには?

やっぱり行き着くところはベーシックインカム、的な世界。

今現在の世界の流れも、まさに資本主義の限界とか、資産の分配とか言われているし、大西つねきさんも講演会で言ってたけど、もし仮に、毎月一人当たり20万円の支給がされたら。
子供が3人いる母には、毎月80万円支給される。
一人当たり10万円でも、毎月40万円。

さて、結婚している意味とは、、、、??笑、となってもおかしくない笑

捨てられる夫が多いでしょうねぇという話で盛り上がりましたが、例えば虐待で子供を殺してしまうパターンも、けっきょく男に生活を握られているから、母親もやむなく従う、っていう構図が多いみたいだし、そんな必要もなくなるわけです。

あ、ちなみにうちの旦那さんはお金をたくさん稼いで男の威厳を保つ、とは正反対の人なので、ベーシックインカムで捨てられる男の真逆をいく、そうなるとめちゃめちゃ価値の上がる男だと言って喜んでいました笑


今までは全てが恐怖・不安ベース、だった。

結婚ももちろん。

恐怖・不安ベースには、いつも「我慢」と「欺瞞」がつきまとう。そこに真理も真実もない。

もうそんな時代は終わりにしたいですよね、みんなで。


私だって我慢してるんだから、あなたも我慢して当然でしょう!と押しつけあうのももうウンザリ。



いつも何かがあなたを変えようとしている。

そのままではダメだと追い立てる。

あなたは無力だとささやき続ける。

でも本当に、、、そうなのかな?

例えばじゃあベーシックインカムができない限り、この生き方は変えられない、と思うか。

まずは人々の「意識」が変わること。

「そうあるべき」「そうに違いない」に風穴を開けていくこと。

私たちは本来、とても自由で、あらゆる可能性に開かれた存在だということ。

そして愛に満たされて、愛を感じながら、生きられるっていうこと。

結婚が幸せなら、それはそれでいいけれど。


「風穴を開ける」にはどうしたらいいか。

みんなが真に自分自身を生きること。

自分の心に嘘をつかないこと。

自分自身を表現すること。

まずは自分がそれを始めないと、いつまで経っても、みんながそれをできる世界にならない。


そして、みんなが、私が、本当に望んでいるのは「結婚」ではなくて。

ありのままの自分を愛されること。

ありのままの誰かを深く愛することができること。

ありのままで深く愛し愛されること。なんだ。

誰かがあなたを変えようとするならば、それは愛ではない。

「あなたのために。あなたのためよ」という母親も、子供を真に愛していない。


でも、私たちは誰もが愛を学んでいる最中。

レッスン進行中。納得いくまで、学べばいい。

だからすぐに離婚すべきとか、結婚はいらないとは思わない。

けれど、いろんな思い込みや洗脳がいーーーーっぱいあるこの世界。

そろそろ本気で抜け出したいね。


私は真に愛がベースで、真に自由に、魂の喜ぶままに生きたい。

とってもワガママなのだ。みんなで我がままに、生きよう。

我がままに生きるとどうなるか知ってる?

そこには愛と感謝しかない。

我慢と不満の正反対だよ。


愛と感謝で生きたいね。

・・・そこに愛はあるのかい?

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