三上夏一郎(なついちろう)

思えばこれまでいろんな所へ行きました。

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不幸な人生を送る人々

1.他人に攻撃的な言葉を吐く人 誰が自分を攻撃するする人を好きになるだろうか? 誰が自分に対して攻撃的な言葉を投げつけてくる人のために何かしてあげたいと思うだろうか? 他人を攻撃する人、常に攻撃的な言葉を吐く人、他人を非難する人にはそれがわからない。 そして彼らは決まって自分自身に対してはとても優しく甘いのだ。

    • 会いたくない人には会わない

      その人はかつて私を酷い言葉で傷つけた。 しかし彼はそのことを自覚していないだろう。 毒舌で知られた人だったから。 周囲の人もそんな彼を「あの人は口が悪いから」とゆるしていた。 たぶん、そこに甘えが生まれたんだろうと思う。 自分はなにを言ってもゆるされる。 周りに認知されていると思い、そんな傲慢な考えが彼に生まれたんだと思う。そして軽々しく人を傷つける言葉を発するようになった。 じつは人間、他人のことなど深く考えちゃいない。 ほとんどの人が他人のことは「どうでもいい」と

      • チロエの漁師〜人が死んではいけない理由〜

         チロエの漁師に、尋ねたことがある。 「人間どうして、自殺してはいけないのでしょうか?」  日本は自殺が多い国だという話の流れだった。  漁師は暫くの間、何も答えなかった。  時は夕暮れ、わたしたちはチロエ島の海岸で焚き火を囲んで向き合っていた。  チロエは南米パタゴニア最大の島で、チリの領土である。かつては南米先住民がたくさん暮らしていた筈だが、今は一人もいない。混血の子孫に、その面影を見るだけである。  わたしがこの島に渡ったのは、民話の収集のためだった。チロエは「南米民

        • 旅先でぼられた話

           わたしは国内海外をひたすら旅して回るような仕事に長年携わってきた。しかし、これだけ旅をしているにも関わらず、旅先でぼられた記憶があまりない。いや、あまりというか、ほとんどなかった。  ついこの間までは。  まさか国内で、しかも治安の比較的安定した地方都市で、しかも駅そばの居酒屋で――ぼられることになろうとは、夢にも思わないことだった。  現場は、杜の都仙台である。仕事で縁があり、ずいぶんと通わせてもらっている。個人的にもとても好きな街だ。なんだか、「丁度いい」感がある。都会

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        • エッセイとかコラムとか
          3本
        • さらば愛しきテレビの日々
          0本
        • 旅に出ると人生がちょっとだけ変わる
          3本
        • 妖怪譚
          4本

        記事

          サルタビールの思い出

           アルゼンチンの北に、サルタという町がある。  サルタと聞くとまず思い浮かぶのは中学の同級生の猿田くんの顔だ。彼はいったいどうしているだろう。おそらく、東北の片田舎で朽ち果てているのではないだろうか。幸せな人生を送っていたらよいのだが。  とはいえサルタにはよく行った。ほんとうに町の名前をサルタというのだ。スペイン語のsal=塩とちょっと関係あるのかもしれない。たぶん、ほとんどの日本人が知らない町だと思う。 アルゼンチン北部の、そこそこ大きな町だ。人口は四十六万人。四十六万人

          サルタビールの思い出

          年賀状の絶滅

          まさか、年賀状の絶滅に立ち会うとは思わなかった。  年賀状が絶滅の危機に瀕している。  年賀状が堕落した原因は、印刷にある。ワープロもよくなかった。プリントゴッコも。つまり、手書きをしなくなったせいだ。心というか誠意が伝わらなくなったのである。  印刷された年賀状も最初は斬新だった。ワープロによりきれいに印字された宛名。裏面の本文。やがてパソコンとプリンタが普及し、裏を写真やイラストが飾るようになる。 許せないのは、子供の写真だった。いつからか家族持ちは、自分たちの子供

          笑いながら仕事する

          「仕事というのは笑いながらするものです」  と穏やかな口調でEさんは言いました。  Eさんは日系ペルー人でわたしの人生の恩人ともいうべき方です。もし彼に出会っていなかったら、今までわたしは生き延びてこられなかったことでしょう。  あの夜、北関東の農夫にしか見えないEさんの顔は、焚き火の照り返しをうけ煌々と輝いていました。焚き火の中に小枝を投げ込みながら話してくれたのです。焚き火の炎と煙はジャングルの中で毒虫や猛獣を近寄せないための効果を発揮します。夜、外で話しをしたりするには

          一反木綿

           一反というと、およそ十メートルである。  これはかなりの長さだ。幅は九寸というから約三十四センチ。  そんな布が、どこからともなく飛んで来て、人を襲うというのである。身体に巻き付き、自由を奪い首を締め上げる—— 「まあ怖い」  女学生の一人が声をあげた。宮里静子である。グループのリーダーだった。いよいよ戦況は逼迫し、女子高生が救命隊員として戦場に赴くことになったのだ。「で、そのお化け、何ていうの?」 「一反木綿」  答えたのはその後ろを歩く大城さつき。やはり女子高生の救命隊

          猫又

           凡太郎は、大店の丁稚である。なかなか手代にはなれないでいる。丁稚の次が手代で、そして番頭となる。これが奉公人の出世すごろくだ。中には、番頭が店を乗っ取るような形で主人になってしまうこともある。そうなると大出世だ。しかし、凡太郎にはそのような気配も野心もまったく見られない。何故なら頭が弱いからだ。これは生まれつきのものなのでどうしようもない。親だって、我が子の将来に期待をかけていれば、こんな名前など付けないことだろう。最も本当は、 「なみたろう」  と読むのである。 「ぼんた

          恥っかき

           いかなる理由で自分がその辺りの地面を掘り返してみようと思ったのか。楠木庸次郎は忘れてしまった。ただ、無性に地面のその場所を掘ってみたくなったのである。  納屋から鋤を持ち出し、地面に突き立てる。途端にいいようのない爽快感におそわれて、庸次郎は夢中になった。穴を掘るのは、かなり久しぶりのことである。  目的は、何もない。強いて言うならば、穴を掘ることそのものが目的である。  庸次郎は入り婿であった。身分と禄高の低い実家から、裕福で身分も高いここ妻の実家へと婿養子に入ったのであ

          牛鬼

          「さよう、この村は稀にみる平和な里でございました」  甚内という老人は語り始めた。「あのようなものが、現れる前は——」  村は荒廃していた。真っ昼間というのに、人の気配がない。通りを歩く者は一人も見当たらなかった。粗末な、掘立て小屋のような家々の間を、土埃を含んだ風が吹き抜けてゆく。  立花佐乃助は主人の使いの途中であった。夕刻までに、懸想文を主人の妾の邸まで送り届けるという世にもくだらない使命を帯びていた。しかし—— 「あのようなものとは、いかなるものか」  好奇心を抑えき

          ワクチン

           私の知り合いに、ワクチン接種をすごく早い時期に済ませてしまった男がいる。  日本ではひどく接種が遅れている、新型コロナウィルスのワクチンである。  彼は医療従事者でも何でもない。自営業、小さな会社ながら経営者だ。社長である。そして私の飲み友達でもある。  こういう話をするのは、たいてい酒を飲んでいる時だ。そして決まって、 「このことは誰にも言わないでくださいよ」  という類のでもある。  時節柄、私と彼は昼から酒を飲んでいた。なにしろ夜早くに店は閉まってしまう。酒飲みとは

          ツケ

          無理をしたツケは、必ず回ってくる。 と、思う。 アメリカの大統領のことである。 あの人が大統領になるまでは、アメリカのことはある程度(いやかなりかな)尊敬していた。 なによりもすごい映画をたくさん生み出してくれていたし。 でも彼が出てきてからは、 『あ、この国って意外とバカが多いんだな』 ということがわかった。 病院を早期退院してさっそくパフォーマンスをくりひろげているが、大丈夫なんだろうか? 冗談でやっているのかと思ったら、どうやらそうではなさそうである。 しかも、アレを支

          習慣としていることといえばもちろん酒であって、夕方に酒を飲むのである。 近頃はさすがに深い時間まで飲むことはなくなった。 なんとなれば、誰かと酒を飲むことがあまりないからだ。 盛り上がらない。 私の場合は、ひたすら反省のために飲むのである。 一日の反省。 そしてぼーっとすること。 それが目的、というか楽しみなのだ。 で、あるから酒場に行ったらひたすら酒を飲む。 スマホを見たりはしない。 次は何を頼もうか…… とメニューを眺めたりしているのもなかなか楽しい

          砂漠の薔薇

          最近ではNHKEテレの「こころの時代」ぐらいしか見る番組がない。受信料を払っているのはこの番組を見るため、といっていいほどである。あ、「テレビでスペイン語」もたまには見るか。シシド・カフカさんがアルゼンチンを旅するやつだ。これは古くからの友人であるブエノスアイレス在住のコーディネーターが担当しているので見るようになった。 さて。 NHKはドキュメンタリーにすらある種のやらせがある(と、断言したら訴えられそうな気もするが)。これはテレビ番組の宿命なので仕方がないといえば仕方が

          赤ちゃんのバイバイ

          忘れもしない、去年のクリスマス。12月25日のことだった。 隣の席の若者が、突然さっと席を立った。朝の地下鉄丸ノ内線での出来事である。荻窪発池袋行き。僕は会社に向かっていた。 『ほーう、えらいえらい。今どきの若者にしては』 と僕はその光景をぼんやりと眺めていた。おそらく大学生ぐらいの若者の意図はすぐにわかった。赤ちゃんを抱いた若いお母さんに席を譲ったのである。 お母さんが彼に礼をいい腰かける。するとなんということだ。僕の顔の横にちょうど赤ちゃんの顔がきたのである。お母