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娘はなぜ「娘」をやめられないか#2


毒母と娘の関係は、不健全であるにも関わらず、断ち切りたくてもなかなか断ち切れないという現状があります。

娘はなぜ「娘」をやめられないのか?について
私の実体験エピソードから分析していきます。
今回は#2です。

 

変化への罪悪感と嫌われる恐怖


私を唖然とさせた母の奇行…
これには十分に思い当たる背景があります。

叔父(母の兄)の2人の子、いとこの存在です。私たちとは年が近く、小さいうちはよく行き来する間がらでした。

ところが、厳格な祖父母に育てられた叔父と母は、しだいにメラメラと競争心を燃やすようになっていきます。

地元では合格すれば一目置かれる名門校、その高校以外は価値がないという洗脳状態が、互いの家庭に作り上げられていきます。
子ども達はみんな、盲目にその名門校を目指すようになりました。

そして結果、いとこ2人ともが合格し、わが家はそろって不合格という、絵に書いたような天国と地獄の絵図ができあがってしまいます。
子ども達がその影響を受けないわけがありません。

次第に、いとこ同士も互いをライバル視し疎遠に、叔父家族はわが家の敵となり、いつのまにか冷戦状態に。

私は、母への罪悪感を背負い、戦いへの加勢責任を担い、まるで忠誠心を誓って国のために戦う兵のように、すべての時間を勉強に注ぎ、リベンジに邁進するようになったのです。

そんな環境が作り上げてきた、見せかけの母娘の信頼関係は、あの奇行によって亀裂が入ります。


その後私は、合格した2校のうち、県外に位置する大学を選びます。2校を比較するとそちらの方が知名度が高く、両親も当然、賛成しました。
ですが今度は、往復4時間以上もかかる、自宅からの通学が入学の条件として課せられました。

初めの1ヶ月は大人しく通っていましたが、予想通り、大学生の醍醐味ゼロの毎日に耐えられるはずがありません。
私は、両親の猛反対にあいながら、毎日「ひとり暮らしがしたいプレゼン」を続けました。

ちなみに母は、短大を卒業してすぐにお見合いで結婚し、ひとり暮らしの経験も恋愛の経験もありません。
自分の時代にはなかったこと経験していないことは、女の娘には特にさせたくないと、彼女は主張し反対しました。

私は兄弟より、あきらかに家事に協力し彼女に寄り添っていましたから、従順に自分を満たしてくれる存在がいなくなるのに抵抗があったのかもしれません。


父の反対は、男親なら誰でも抱く単純な感情に由来していました。
そこを動かすのには苦労しましたが、ひたむきに通う姿に心が動いたらしく(笑)結局最後に許可を出したのは父でした。

彼は厳しい人でしたが、小さい頃から彼の私に対する言動の端々に、温かい無償の愛を感じていたので、合点がいきました。
わが家は父が絶対です、母がそれを覆すことはありません。


実は私は入学前から、ひとり暮らしを密かに目論んでいました。入学してしまえばこっちのものだと(笑)。
それに、ずっと世間体だ親戚だと、人目を優先し子どもの気持ちをないがしろにしてきた鬱積を開放するのは、ここしかチャンスはないと考えていました。

母との信頼関係にほころびが出れば、そんなものです。


こうして1人暮らしを手に入れた私に、母は言葉のナイフを放ちます。

「わざと落ちたんじゃないの?」

試験当日わざと答えを間違えて、家から通える第1志望の大学を蹴ったのでは、と疑ってきたのわけです。

耳を疑いました。
さすがにそんなことをするわけがありません。
純粋に挑戦したんだよと、断固としてこの濡れ衣に抗議しました。
さすがに謝ってくれたものの、疑われた事実は消えません。

このセリフによって、亀裂が入った見せかけの信頼関係は、いとも簡単に崩れ去ります。
唖然を通り越して、愕然としたのを今でも覚えています。

「もう利用されたくない、自分のために生きたい」

漠然とですが、強くそう思いました。
見せかけであっても、深い愛は、深い憎悪を生んでしまうんですね。


ひとり暮らしの4年間は、それまでの自分の中の空虚を満たす時間にあてられました。
いろんな人と出会い、たくさんの価値観にふれ、哲学や心理学の面白さを知り、自分の価値観がどんどん変化していきます。

母と同じ場所・同じ方向をむいていた自分はどんどん小さくなり、着実に新しい真のアイデンティティが築かれていきました。


しかし実家に帰り、母と接するたび、母の価値観に引き戻されてしまいます。
友達、恋愛、好きな学問や趣味にまで、そんな母のなにげない言動が絡みき、私につかみどころのない罪悪感を与えます。

【母=娘】として存在していた娘が変わっていく不安や、違う方向をむいて去っていくことへの恐れが、母をそう突き動かしていたのでしょうか。

少しでも私の言動に違和感を感じると、拒絶や嫌悪をあらわにしました。
自分のアイデンティティと、それを打ち消す母の存在。
その攻防によって私は

「母は私が変わらないことを望んでいる」
「私が変化することはすなわち、母の存在を否定すること」
なのだと察します。

結果私は、ありのまま・自分らしさを内に内に秘めるようになっていきます。それしか共存の道はないと思ったからです。

こうして、私は母の前では
「従順な仮面を被った策士」へと変貌します。

自分のアイデンティティを保ちながら、母の前では
娘アイデンティティを演じるようになっていったのです。

どんなにひどいことをされても、やはり最後は「母には嫌われたくない」という想いがいつも立ちはだかります。
演じることで、嫌われないでいられるなら、それができてしまう。

虐待されても、親をかばう子ども、まったく同じ構図なのです。


#3へつづく




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