なつ
イギリスに留学していた時の投稿まとめです。
コーヒーとその時考えたことの記録です。
地方の公立進学校に通って、部畜と社畜だった頃のはなし。
今日は #国際女性デー 。国連が、女性の社会進出を促進するために制定した日。成人したし、女性の生き方について考えることがある。 私は本当はリケジョになりたかったけど、今は後悔してないよという話である。一見、文理選択の話のようで女子の話だったりする。 私は理系に行きたかった。私の高1の時の夢は「管理栄養士になって日本の食を変えていくこと」だったからだ。だからそのためにピッタリな大学を、1学期には見つけていた。物理化学数学を思い切り楽しんで勉強し、成績も良かったらしく、科学の
M1の夏休み。修士論文の研究テーマを固める上での事前調査と先行研究の整理を行っている中、留学時代に仲良かった友達に地元を案内をした。 彼女は、去年の秋から日本の大学に留学していたが当分オンラインでの留学だった。そこで今年の春に日本にやっと来られて現地での留学生活を楽しみ、もうすぐ帰国..という中での案内だった。 まさか、ロンドンで一緒にケルト音楽を演奏していた彼女と地元を歩いているのはとてもシュールだった。 かつて、「こんなところ、出ていってやる」と必死に勉強をして東京や
珈琲日記で自分の思っていることを書くのはとても久しぶり。思えば、2年前の今頃にロンドンに留学していて紅茶ではなくコーヒーにハマってしまい、ロンドンの街で生きていて考えたことをコーヒーを飲みながら言葉にしていようというのが珈琲日記のはじまりだった。帰国後は、帰ってくるなんて1ミリも思っていなかった地元での生活になって考えたことの記録になった。春から東京に戻ることが決まり、そんな地元での生活を少しちゃんと記録しておこうというのが今回の目的である。 1月末になって、大学の期末試験
久しぶりに、被写体というものをやってみた。 いつものように、カメラに顔を向けてみた。 そうしたら、カメラマンの大学の後輩から「無理して笑わないでください。ありのままで」と言われた。 難しかった。 生まれたときからずっと写真を撮られていると、どうやら「レンズに向ける表情」というのが固まってきてしまっているらしい。小さいころのアルバムを見ても、小中高の卒業アルバムで自分の映る写真を探してみても、スマホを持ち始めた高校時代からの写真が入っているカメラロールをみても、自分はいつも同
もう、ロンドンで生活していたのが2年前ということが信じられない。帰国子女の友人から「そこで生活していたということを、いつかは忘れてしまうんだ」と留学前に言われたことを思い出す。 思い出すことも減ってしまった。SNSを開くことも、このご時世では気が引けてしまうので当時仲の良かった友人と話すこともできていない。 でも、必ずしも留学していたという証拠は記憶だけじゃなくて日々の習慣や思考というものと深く結びついているなということに最近実感できたので、 留学から日本に戻って、「確か
大学院への進学が決まった。だけど、かつてのように進路が決まったことを大々的にSNSで報告することは、すぐにはしなかった。 自分がSNSでつながっている人(≒今まで生きてきた中で関わってきた人)は同質というよりかは圧倒的に異質で、わかりやすく言えば様々な場所で生きている人だった。自分の投稿がマウンティングに感じられてしまうのではないか、誰かを傷つけてしまうのではないかという危機感を、この1年半のコロナ禍で抱いてしまったからだと思う。 一般人であっても、芸能人のように一気に大
久しぶりに、中学の同級生と話す機会があった。成人式は行かなかったから、5年以上ぶりだった。その子の口から、こんな言葉がこぼれた。 「中学で一緒だった子が結婚・出産しだして出遅れ感がある」 正直、びっくりしてしまった。早すぎない?と。 自分が、東京のそれなりの大学に通い、卒業後は働いて30くらいで結婚などはできればいいよねみたいなのが”常識”になっているせいかもしれないが。現に、インターンや学生団体の活動で関わった10歳ほど上の社会人のFacebookには結婚や子どもに関す
幼稚園から大学(おそらく大学院も)全て共学で育った。共学化が進むのが良いというような風潮だからある意味よかったのかもしれないが、「女子校だと女子が人間として保証される」という考え方があると、どうしても一度でいいから女子校で学びたかったと思うときがある。 中3の時、通っていた塾の塾長から地元の進学校以外の学校を勧められたことがあった。そこは全て女子校。中高一貫がメインであるものの高校でも募集枠がある共学校はあったはずだったし、「女子だけの空間」に良いイメージを持てなかった自分
「なっちゃんは、極度の競争環境にいるのは厳しいんだよね。」と久しぶりに会った人に言われ、自分が競争の中で動くことが、皆が望んで行く王道ルートが苦手だったと気づいた。 「ピアノのコンクールに出てみない?」と先生に推されても「このままだと埋もれちゃうから中学受験しなよ」と祖母に言われてもピアノのコンクールも受験も拒否した小学生時代。地元の進学校に行くための”王道”な塾に行って同じように学力レベルの高い子たちに囲まれて勉強するのが嫌で、マイナーな塾に通ってのびのびと勉強した中学時
大学生だけど、飲食店でお酒を飲んだのはたった2回だけだ。コロナの影響で、飲み会など一つもない生活だし、コロナの前はパブ文化のあるイギリスにいても日本の成人年齢を律儀に守っていた自分には遠い存在だった。 だけど、自分がお酒を外で飲まないのはそれだけが理由じゃない。 自分が女だからだ。 中学3年の時、「せっかくだから、首都圏の女子高を受けてごらんよ。もうすぐオープンスクールらしいし。」と塾長に言われて、はるばる行った某国立女子高の説明会帰り。地元にはない大型書店で買った本で、
今までずっと共学だった自分は、男子と同じ教室で授業を受け学校行事や課外活動を行ってきたわけだが、男友達が多かった。一方、女友達は少なかった。 同級生の女子と勉強や社会の話をするのは、どうしてもできなかった。勉強は自分が「教える側」。高校や大学という進路選択において自分と同じような選択をする女子はほぼおらず、同じ志を持つ者は男子がおおかった。だから自然と話をするのは男子になってしまっていた。(幸せなことに、それぞれの学び舎で女の子で親友といえる間柄の子には出会えたけど、それで
今日のNHKスペシャルは、若者の自殺がテーマだった。 統計データを基に、動機や時間など今までなかなか明らかにされてこなかった情報が見えてきた。 途中、福祉について学ぶ学生(若者)たちが自殺について語り合うシーンがあった。そこで印象的だったのが「学校に閉じ込められている」という言葉だった。 社会の中で子どもは保護・監視されるべきものとされてきたから学校の中で教育を受けそれが正しいとされてきた。でも、学校と家がすべて!ということになると自身が抱える悩みや考えていることを打ち明
地元での生活が再開してから、常連になった店がいくつかある。コロナ禍だから行く店をできるだけ制限したいというのもあるし、常連になれた店は何よりアジール的な空間、居場所と個人的に思えるからだ。 ↑留学していた時も、カフェは逃げ場だった。 いつものように、とある店に行き本日の珈琲を頼む。カフェに行く前に大学院の先取授業の報告用資料をひいいいっていいながら作っていたから糖分チャージしたくて、ついでにプリンも頼んだ。 会計をしよう...としたら、一人の若い女の子が入ってきてマスタ
ここ1年ほど、凄い人の下でインターンをさせていただいている。(注:ここでいう「凄い」は、○○エモンのようなカリスマ的な人や宗教的な人ではなく、能力の意味で。)なんでこんなへっぽこ女子大生なんか雇ってるんだろって思うことが多いし、それゆえ辛くなることもある。でも、そこには「期待」というものがあるんだなと仕事を通して気づく。 振り返れば、自分は期待をされてきて今ここにいる。勉強ができるとか、リーダーシップを図れるとかで両親、祖父母、親族、学校や塾の先生、近所の人々に期待をされて
昔から、フリフリのお洋服やモチーフなものが好きだった。『きらりん☆レボリューション』や『極上!!めちゃモテ委員長』のカードやゲーム、漫画でお洒落やモテ仕草の事始めを学んだJS(女子小学生)時代。『nicola』を読み込んでイオンモールのレピピやピンクラテのブランドに憧れたJC時代。『seventeen』を読みながら私服登校ならではの「なんちゃって制服」を思う存分楽しんだJK時代。いわゆる、世間一般で求められる”愛され”コーデとか”かわいい”に積極的に染まっていった少女時代だっ
一カ月の中で楽しみにしている日曜日がある。それは、朝日新聞の別紙、GLOBEが来る日曜日だ。 朝日新聞GLOBEは、「世界のいまを伝えるウェブメディア」として世界の様々な国や地域の情勢や、文化、暮らし、そして気候変動やジェンダーなど世界的に話題になっているものについて特集している。海外特派員の取材ゆえ、「日本人から見た海外」がリアルに伝わってくる。 GLOBEを読むとき、たいていは珈琲を飲む。気にいっているブランドのドリップパック(本当は自分でドリップしたいが...)を使