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新年度。


週3で役場でまちづくりの仕事をして、残りは研究。そんな一年になる。

悔しいけど、ドクターに進めなかった。
うーん、他の大学だったら進めたのかもしれない。でも、色々落ち着かない中で敢えて落ち着く一年にしたかった。
ここ数年、どう頑張っても落ち着くことができなくて、体調を崩さないと落ち着けなかったから、ちょうど良いのかもしれない。

コロナ禍だった2020年。あの時の生活の仕方が個人的には落ち着いていた。悩むこともあったけど。
オンラインで授業を受け、自分のペースで本を読み、空いた時間はローカル線に乗って小さな映画館に行ってじっくり映画を観る。ぼうっと紅茶を飲みながら考えたことをノートに書く、自炊する、家事をする。
暮らしを大切にしている感じがした。

退屈が嫌でほぼ毎晩オンラインで何かイベントの運営をしたりミーティングしたりしていたけど。
いやでも「普通の生活」ができなかったあの頃、「みんなと同じ」がみんなできなかったあの頃、自分らしさを保つことと自分の大切にしたいことを大切にすることがしやすかった気がする。

あの頃の〈じぶん〉の感覚を思い出して、無理なくやりたい。

修士までお世話になった先生からの最後のメールには「慌てず焦らずいられることを願います」と書かれていた。
慌てず焦らず研究に向き合えたら、そのまま先生の元にいられたのかもな。先生との関係を悪くすることもなかったかもな。そう考えると涙が出てきてしまう。

でも、いろんなモノとコトが速く、早く動くことで、自分と他者を犠牲にして耐えて動き続けることで、辛うじて経済発展をしている現代社会の中では、それがデフォルトの中で生まれ落ちたZ世代なる若者にとって焦って慌ててしまうのは仕方ないのかもしれない。

慌てず焦らずいられるって、正直鈍感でなければいけない。
自分みたいな重くて素直すぎて純粋すぎる面倒な感性・感受性を犠牲にしないといけない。

でも、それが嫌だから、そうすることでキツくなっていた東京ど真ん中での大学・大学院生活だったから、この一年は感性・感受性を守りながら生きてゆく。

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