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僕らの物語と中学時代。

頭良くて、可愛い。最高じゃん。なんで、自分に自信ないの?

中学の時、こんな言葉を当時付き合っていた人から言われた。
色んな学力の子がいる地方の公立中学で、ずっと学年一位。行事も部活も一生懸命頑張っていた。
それでも、自分に自信がなかった。その理由は、当時は分からなかった。

というか、わすれていた。

理由は、いじめに遭っていたからだった。

自分が何か一生懸命に物事を行うたびに冷笑された。陰口を言われた。無視をされた。通りすがりに舌打ちをされた。あからさまに悪口を言われた。グループ活動に入れてくれなかった。体育の授業で集団競技を一人でやった。

一生懸命やることがバカにされる空間だったから、自分が勉強など色んなことを頑張ることは「いじめの標的になる」ことをさしていた。

そんな中、学校に行き、知らん顔して真面目に勉強して部活をやって学級委員をやっていた。
でも時々、知らん顔がきつくて、かろうじて自分をわかってくれていた友人の前や塾で大泣きしていた。
本当にきつかった。でも、それが当たり前だったからキツくても我慢するしかなかった。そうしたら、キツイ感覚も忘れてしまっていた。
その分、「自信がない」状態になっていた。

自信がなかったけど、こういう環境から抜け出したくって必死で頑張った。頑張ったらまたバカにされるのはわかっていても、抜け出したかった。
だから、地元でいちばんの進学校に行ったし、その後も勉強を頑張って東京に進出したし、留学もしたし、色んな課外活動をして大学院にも行った。頑張ること、それを通して得られた人とのつながりや機会を通して、過去を忘れ去っていた。忘れ去っていたままでありたかったと思う。でも、それを許してはくれなかった。

25歳になる年に行われた同窓会の場。
かつて自分をいじめたという子から大泣きしながら「あの時いじめてごめんね」と言われた。
自分はあの時のことを「いじめ」と認識してなかった。認識した途端、自分が学校に行くことが難しくなりそうだったから。自分みたいな人間がいじめられていると親が知ったら可哀想だから。それに上記のように忘れてしまっていたから。

言われて、色んなことを思い出してしまった。同窓会中は全然平気だったけど、終わって家に帰ったら、こころと身体がおかしくなってしまった。涙が止まらなくなった。いつもは身体は強い人間なはずなのに、コロナワクチンの副反応ぶりに38度以上の熱が出た。倦怠感が止まらなかった。コロナもインフルも陰性で、周りに風邪の人もいなかったのに。

なぜ自分は頑張れているんだろ?という理由も、中学の時のいじめが大きかったというのにもきづいた。
中学を出たら、頑張ることを認めてくれる人たちにたくさん出会った。それまで、頑張ることを認めてくれない人の中で頑張っていたから、すごく心が楽になった。だから頑張れたんだと思う。

思えば、よくここまで頑張れていると思う。いじめられていたあの時、周りの空気を読んで頑張ることをやめたら、今の自分はいなかった。もしくは、心が折れて学校に行けなくなって、ひきこもってしまっていたのかもしれない。
でも頑張れたのは、それを応援してくれる人たちの存在と環境のおかげだった。

同窓会で自分のことをいじめたと話していた子は「あのときのなっちゃん、かっこよかったし今も色々すごいし、なんでいじめたんだろう」と言っていた。じゃあ、あの時いじめないでよって思ってしまったけど、あの時の経験があったから動き続けられている。

でも、過去のしんどさを美化するのは好きじゃないから、頑張れてるのはいじめられたからとか言いたくないし思い出したくもない。
思い出したくないことを思い出すとこころと身体が痛い目に遭うことを今回知って、もう散々...という感じだけど、過去頑張れたのは謎がわかったのはよかったのかもしれない。

当時、この曲をたくさんきいていた。
久しぶりに聴いてみた。2番の以下の歌詞が響いた。

悲しくても泣きたくても必ず明日がくるぞ
悔しくても死にたくても必ず明日がくるぞ
捨てないであんなやつらに笑顔見せつけるんだ 生き残るぞ生き残るぞ Until i die

GReeeeN『僕らの物語』歌詞より


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