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このいちねんのこと。

修論の追い込み時期だけど、そんな感じが良くも悪くもしない。少し前の自分だったら朝から晩まで必死に書いていたのだろうけど、それが論文のクオリティを必ずしも上げることはないと気づいたのか、程よく脱力して書いている。(修論の作業を進める前に頭の整理としてこのnoteを書いている)

図書館に行ける時に行く、家でじっくり書く。それ以外に東京までの移動時間、地元での仕事終わりの数時間、こういうものも程よく有効活用すれば良いのだとなっている。たぶん、現役研究者の先輩方にとって賛否両論だと思うけど。

高校時代からやりたかった社会学の研究をして、その研究の実践として地元でお金が発生する仕事をえて、、という生活。自分がやりたいことがやれていると思う。
でも、上記のように思えるようになることは容易じゃなかった。

一年前、自分は人生の岐路に立っていた。周りの同年代のように恋人と結婚を前提に付き合って東京で生活し東京のそれなりの企業のバリキャリになるか、研究を続けると同時に研究に関連する仕事をするという研究者かつ活動家になるか。
体調を崩したのちに、後者を選んだ。すごく、すごくつらかった。前者は中学、高校の時に自分が憧れていた夢だったから。そのために勉強など大人が求めることを頑張り、優等生として生きていたから。

↑一年前考えていたこと。ここから数ヶ月はほんとうにきつかった。

恋人と別れ(↑で書いたこと以外でも色々あったのだけど)、嫌々やっていた就活とおさらばし、乱れた生活リズムと体調を取り戻すべく沢山休み、なんとかフィールドワークをやりきって落ち着いた8月、地元の方からうちで働かないかと声がかかった。

悩んだ。
東京で暮らすのは自分の体質的に合わないのは大学1年の時から分かっていたし、落ち着いた環境で修論を書きたかったのでM2の秋から地元に戻ることは決めていたので働くことは可能だった。学生ゆえに不本意に搾取された経験を何度かした身にとっては、不安だった。優等生だった頃のように期待に応えなきゃと頑張ってしまって体調をまた崩してしまうのではないかとも思った。

悩んだ末、引き受けることにした。自分が東京の院生で修論があるため無理のない範囲で働くという合意の下で働けることになった。学生でも自分のことを尊重してくれる環境がありがたかった。地縁、血縁がしっかりしている地元で、そのつながりをフル活用することの良さを感じた。小さい頃から様々な側面で関係のある人の紹介というのは安心感があった。

地方の地元で働くというのは、多分高校卒業に地元を出てそれなりの学歴を持っている人にとって葛藤があるのかと思う。「地元に自分のような人はいてはいけない。出て行かないといけない」と思って勉強を頑張り続け、地元を出て、再び戻ってしまうと、なおさら。地縁、血縁のしがらみが、特に若い女性には悪いものとしてまとわりつくこともある。

自分は社会学を通して自己相対化することで、地元を研究対象とすることでそのような葛藤から距離を置き、冷静に考えるようにしている。
生きることは社会学すること、そんなことを学部時代から思っていたけど、改めて実感している。

それでは、修論ラストスパートに戻ります。

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