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働かずに「生産性のない」ことを研究してる文系院生というマイノリティな自分について。

日本の、特に人文社会科学の大学に通った身としては「大学院に行かずに卒業してそれなりの企業で働くこと」は当たり前だった。「23歳、大卒ならば社会人一年目」という状況の子が周りに多い中、この一年は大学院に進むことを選んだ自分にとってかなり生きづらさを抱える一年だった。

周りが社会人になると、当然だがInstagramの投稿は平日はほぼなくなる。逆に金曜夜から休日にかけて飲みやお出かけの投稿が多くなる。

実際に会って話すと、自分は知る由もない仕事の話、会社の話、同期や部下の話。学部生の時よりも少し値段が高めのお店でご飯を食べながら。
ついこの間まで一緒に社会について考えていたのに、周りは自分よりも一歩先に行っている、、と実感することが多かった。なんか、自分が疎外されている気分になることが多かった。

そんなみんなを見ていると、学部生と同じキャンパスで、まだあどけなさが残る学部生(キャンパスにメインでいるのは自分とは3-4歳離れた学部1.2年生)と変わらない服装で、よく分からない本を輪読して議論して研究の進捗報告をしてという生活が無駄なように見えた。
周りは1年目からプロジェクトに参加したり営業で実績をつけていたりする人もいる。そんなアウトプットを出せている周りと、出せていない自分。
文系の修士課程1年は修論を書く為に色々な文献を読み込んで考える時期だから、アウトプットがないのは当然なことだけど、周りが経済的に自立をしてアウトプットを出して「生産性のある存在」であることを思い知らされると、「そうでない存在」な自分は存在を否定したくなってしまっていた。

何度も泣いた。泣き叫んだ。「働いてないのだから、頑張らねば」と深夜2-3時まで作業をする日が続いた。研究とそれに関するお仕事を両立すべく休日関係なくミーティングを入れたり作業したりしまくった。
そうしたら、朝起きれなくなった。授業を休む日が続いた。授業中に涙が止まらなくなった。本を読めなくなった。研究報告ができなくなった。人混みに行くと気持ち悪くなってしまった。大好きな喫茶店に入っても周りの声に敏感になって涙が止まらなくなってしまった。満員電車に乗っていられず、車内で吐いてしまうこともあった。

病院に行き薬を処方された。指導教官や周囲の人たちに伝えた。そして、ひたすら寝た。

そんな一時停止な最近、いろんなことを考えていた。

以下は影響を受けた本やドラマや映画。共感をキャッチーに使うのが好きじゃないけど、疎外されてると思ってしまっていた自分にとって「ひとりじゃない」と思えるのは「共感」という感情なのだと気づく(個人化の進む社会だからこそ、共感をそそる作品が人気になるのかも

『デッドライン』
東京の文系院生としての存在を肯定してくれた。文献を読み込み、報告する日々が研究なのだ。ラボにこもるのではなく。

『First Love 初恋』地方の公立中、高校に通ってた日々が懐かしくなった。日本の地方を考えるヒントとしても。

『自転しながら公転する』地方で生きる30代女性のリアルがつまってる。

『2つの人生が教えてくれること』
人生はjourney であること。留学中に"Don’t compare with other people, just enjoy your journey “と寮の友人に励まされたことを思い出した。
 

『ひきこもり先生』
自分のせいじゃなくて社会のせいであること。声を上げなければなかったことにされてしまうからこそ、自分の気持ちや意見を主張する必要があること。あぁ、自分はsocial でありたいと思った。そのために研究してるのだと。

『ぼけと利他』
このリンクはウェブマガジンだけど、、本になってます。老いることの再検討は生きることの再検討である。自分に生産性がないと思ってしまうのはそういう硬直した社会の裏返しである、、と感じる。

https://www.asahi.com/and/article/20221019/423234231/

「東京の台所」
この連載回では、大学4年生の女の子のキッチンと彼女の生活について。色々挑戦していたこと、同調圧力に悩まされたことに共感していた。

身体が本調子ではないし、まだ自分を100%肯定できているとは思えない(まあ、完全に肯定する必要はないと思うこともできるし)。
冬休みは、一応やる必要のある課題などは行うけどそれ以外はゆっくりするつもり。

もうすこし、自分に優しくするための時間として。

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