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過去の東京での日々を想う

地元中心の生活になって、ふと修士過程の2年間の東京での生活を思い出す時がある。

都電が走り、神田川の桜は咲き誇り、歩ける距離に大学があり、近くには行きつけの喫茶店があった。

文系大学院生は色々頑張ると忙しかった。毎週のようによくわからない文献を読んでレジュメを切って授業で報告や議論をし、その合間に研究をする。休みがなかったし、それもあって体調を崩してしまったから、しんどい思い出でもある。


でも、東京の街は22.3の自分にとってはすごく刺激的で、あの都市空間で生きることができたのは人生の肥やしにはなった気がする。
すこし電車に乗れば、色々なことを考え、〈場〉を作る人たち、社会を大きく動かす人たち会える。研究だけではなく、社会を考えるための豊かな本を置く本屋がある。人間の生の美しさを示す美術館、劇場、映画館がある。色んなものを吸収した。とにかく。じっくり、ずっしりと。
夜遅くまでやっているバーで飲み、地元では到底考えられない時間まで上映するレイトショーを観て、0時過ぎでも人がいる東京の夜道を歩くことは心地よかった。

でも、東京で生き続けることが自分にとっての「幸せ」ではないと気づいてしまった。生き続けるためには、東京での「普通の人間」にならないといけないと思ってしまったから。少なくとも自分はそういう選択を取らなければいけなかったから。

私のまわりの人たちの「普通の人間」というのは、こういう人たちだった。
いわゆる有名大・大学院卒の新卒キラキラカードを切ってそれなりの企業や官公庁に就職して経済的自立を達成し、脱毛・エステ・ホワイトニング等の美の投資を怠らずに実践し、同様の学歴や職業の相手と恋愛し結婚することができる人。それらの行いを「幸せ」だと思える人。

大学院の最初の1年間は、そんな「普通の人間」になろうと必死だった。上記の院生のタスクをこなしながら必死に時間を作って恋愛をし、頑張ってコスメや服を買っておしゃれをし、ピンとこないけど私を推してくれる企業の人事とニコニコ話し、既に東京で「普通の人間」として生きている友人とそれなりのお店でkeep in touchし….。院を修士で終えて東京でいられるような仕組みづくりを頑張ろうとした。
見た目とSNSはキラキラしていた。自分の誕生日に奥渋のいい感じのバルで当時付き合っていた恋人から誕生日を祝われ、おしゃれなハンドクリームをプレゼントに貰い、4万のワンピースを身に纏ってにこにこしていた時「これが東京の幸せなんだ、これが幸せというものなんだ」と頑張って思おうとしていた。

資本主義と能力主義を軸にうまい具合に生き抜くのが、「東京での幸せ」であり、生き延びれる人が「普通の人間」のように見えていた。社会は広くって、実際はそんなことないのに。
 
ふと、なんで「普通の人間」になれなかったんだ、と自分を責める時がある。そんな必要ないはずなのに。でも、そのくらい「普通の人間」の「東京での幸せ」は社会の中ではスバラシイものとされているのだ。それに乗れないから辛くなるんだ。

なんて悲しい世の中なんだろう。


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