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家族の良いも悪いも全部見た(4/6)

前回のお話はこちら。

最初のお話はこちら。 

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お父さんのことは捨てられなかった

100錠摂取をきっかけに、
<こんなことではだめだ>
と人生を立て直すようになった。

大学を無事に卒業し、
社会人になり4年が過ぎたころの27歳のときに結婚した。

「今でも強く落ち込むこともたまにあるんですけど、
これがわたしだ、って少しずつ割り切れるようになりました。」

美紀は立ち直っていた。

母の死後、
13年間口をきいていなかった父との同居も結婚を機に解消した。
それ以来、家事が苦手な父に歩み寄る余裕もできて、
実家へ寄ったり、電話もする。

結婚から2年後、何気ない要件を伝えるためだったか、
父が突然電話口で言った。

「あのな、げっぷがたくさん出てしんどいねん。」

普段あまり感情を出すことのない父の困った声に、少し動揺する。
小さな違和感に目をつむるように、

「そんな些細なこと気にしないでよ。」

と笑った。

しばらく経ってもげっぷは治まらず、食事の量も減り始めた。

<これは本当になにかおかしいのかも>

かかりつけの内科に相談し胃薬を処方してもらったが、
それでも良くならず、
平常では病院を嫌う父が検査の提案を簡単に受け入れた。

鎮静剤によって眠らされた父の体に胃カメラが入ると、
きれいなピンク色の食道を通り、胃に向かっていく。
体内の様子が映し出されたモニターがとらえた胃壁にある大きな腫瘍は
悪性だとわかった。

その後に行われた精密検査では、
胃の全摘手術が必要なほど広がっていることがわかり、
更にそれは腹膜にまで広がり、
癌が治る見込みがないことを医師から告げられた。

美紀の行動は素早く、
それから2か月後、夫ともに実家に引っ越し、父との同居生活が始まった。 彼女は父の生活を助けるために職場をパート勤務に切り替えた。

あれほど嫌っていた父のためになぜ介護離職までするのか、聞いてみる。

「うーん。なんていうか、やはり“親”なんですよ。
夫が仲介に入ってだいぶ円滑になったっていうのも多少あるんですけど、
どれだけ嫌っていても見捨てられないんですよね。

以前、ドキュメンタリー番組で、
『虐待を受けた子どもが親の介護とどう向き合うか』
みたいな特集をしてたんです。

あのときは、そんな親見捨てちゃえばいいのに、って思ったのに、
自分が直面するとやはりその選択はできませんでした。
親孝行なんてことはさっぱり思っていません。
言うなれば“責任感”でしょうか。」

加えて発達障害の可能性が高い父を見捨てるほど鬼にはなれなかった。

父の検査等で1週間の休みを急遽もらったりしていたため、
これ以上職場にも迷惑をかけられなかった。

早速始めた治療により父の体調が落ち着いてくると、
他の勤務先でもパートで勤め始めた。

慣れない職場環境に加え、階段に滑り止めを施したりなど、
名前のない父のケアに目まぐるしい日々が続いた。
同居から3 か月後、体調に変化が現れた。

<生理が来ない>

慌ただしい日々に加え、
夫婦ともに生活環境をガラリと変えた結果、
お互いに過度なストレスを受けていた。

夫とは 3 週間口をきかないほどの大喧嘩をし、離婚も覚悟していた。
体調の変化は無理もなかった。
不安に輪をかけて吐き気が襲う。

新たなパート先の面接で妊娠の可能性を聞かれ、
「父のサポートがあるので断じてない」と言い切った矢先、
妊娠検査薬は陽性を示す赤い2本のラインが出ていた。

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