すべからく、それは、私
つらいときに、つらい、と言える。
楽しいときに、楽しい、と言える。
どんなときでも、どんなことでも、すなおに、そう、言える、こと。
それは、どんなに、すばらしいことだろう。
なんて、ことも、私には、そう思えないこともある。
言いたくないことだってある。
見栄をはりたいときもある。
嘘をついてしまうこともある。
強がりたいときだってある。
そんな、強さを、そんな、弱さを。
誰にも言いたくないときもある。
誰にも言えないときもある。
すなおに受け取ったことを、すなおに感じたことを、その通りに伝えることだって、とても、すてきなことだと思う。私は、それも認める。
けれど、すなおに受け取ったことを、すなおに感じたことを、自分の心にすなおにしたがって伝えることだって、それは、それで、すてきなものだと、思う。たとえ、その、自分の心にすなおなものが、外から見たらば、ひねくれたものだとしても。
そうして、すなおにしたがわず、自分の意思で、何かを伝えることも、自分の意思で、何も伝えないことも、それはすてきなことなのだ。
どんな形であれ、自分を伝える。自分を表現すること。
それがすべからく、自分のものであれば。
人から言われたもの、教育されたもの、洗脳されたもの、そうせざるをえなかったもの。そうした中で、こぼれたもの。それは、とても、悲しいことのようにも思う。
すべからく、私が、紛れもなく、私だ、と、言えるように。
その表現が、伝える、黙る、想いが、すべて、私であるように。
そう、あれるように。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。