心の穴
心にぽっかりと穴があくのがわかった。
それは目に見えるわけでもないし、何が起きるわけでもない。私の感覚的に、穴があいている、というだけで、実際に心なんてそもそも見えないのだから、害があるとも思えない。
けれど、不思議と、穴があいている、と思うだけで、そこから何かが出ていってしまうような気持ちや、何かが入ってきてしまうような気分が、潜在的にあるらしい。それも、どうしようもないものだった。私は、そんなこと、考えているわけでもないから。
それよりも、そんなときには決まって人とうまくかかわることができなくなってしまうことのほうが、特に仕事において、影響が強い。
あぁ、無意識に、落ちているんだろうな、と思う。
疑心の念が強くなる。呂律が回っていない気がする。だから、うまく話せないし、かかわりが持ちにくくなる。
その原因が、何かしらかあったものからなのか、時期的なものなのか、まったく別のことか、わからなかった。わからないわりには、そんなときがよくあった。とりあえず、あぁ、またか、と思う。
家路に向かいながら空を見上げると、ぼんやりとした月が見え、朧に輝くそれは美しくもあり、朧なわりにくっきりとしているのはこの澄み切った空気のおかげであろうか。投影したものが一部も阻害されることなく届く。すばらしいことに違いない。
それが朧なのだから、おもしろい。思わず立ち止まってじっくりと眺めた。
対処の仕方はいまだにわからない。それでも以前に比べれば、対応ができているようにも思う。うまくかかわれないなりに、極力距離を置きながらも必要なことは伝える。それだけでも、十分だと思える。
感情の起伏は歳と共に衰えていくものなのだろうか、それとも、出せなくなってきたのだろうか。どちらにしても、その他の理由であったとしても、ずいぶんと平坦になったものだ。それがいいことなのか、悪いことなのか。誰にも決められないだろう。
雲に隠れているだけで、存在を証明するようなくっきりとした輝きを放つからか、朧ではあるものの輪郭はよく見えるように思う。もう少ししたら、風が流れていくうちに、朧でもなくなるであろう。
私の指先や足取り、思考の流れまでもくっきりと写していくような空気が否応なく私の存在を感じさせて、見上げているつもりが見下されているようなその瞳から、もっと光を放ってみろ、と言われているような気がする。自分だって、自ら光り輝いているわけでもないであろうに。そんな瞳が、あと少し、もう少ししたら、本当にそんな眼で見下ろすように、くっきりとした姿を見せてしまう。あと少し、もう少し……。
心の穴から流出していくそんな負の気持ちはすっきりとした感覚を与えてはくれなかった。それはきっと、流出しているつもりなだけで、停滞しているからなのだろう。私は、それに期待もしていなかった。
いまだに気持ちは沈むようで、考える気持ちは後ろ向き。下手にかかわってはいけない、必要なこと以外話さないほうがいい。そんなことばかりが巡ってしまう。
それでも、なお、私はかかわることができている。以前に比べると。それだけで、十分、なはずだ。
平坦な道を、歩いている。歩けている。はずだ。
それがいいか、悪いか、誰にも決められない。……はず、なんだ。
雲から抜け出した月はほんの少し欠けているものの、見ていて、美しい、とこぼれてしまうくらいには煌めいており、すなおに見惚れた。
欠けていても、満ちていても、新月でさえ、どんな形であろうと、月は月であった。
心にぽっかりと穴があいていようとも、それは私であろう。
けれど、それは、理屈ではないのだ。
どうしても、消えてしまいそうな、見失いそうな、そんな感覚が拭えない。頭にこびりついて、抜け出せない。私とは何か、そんなことを考えてしまう。
今ではすっかり空に浮かび上がる月は私を見下ろして、何を考えていることであろう。月は、ただ、そこにいる。
私は目を逸らし、再び歩き出した。
心にぽっかりとあいた穴は広がることもなければ狭まることもなく、ただ、そこに、あるだけであった。
私は、ただ、ここに、いるだけであった。