見出し画像

ケアの質の担保として

 障がいと呼ばれるものをお持ちの方に対しての支援。その考え方や取り組みはきっと、人それぞれ千差万別、そこに正解がない以上、絶対にこれでなければいけない、なんていうことはない。

 けれども、やっぱり質は存在していて、よい支援とそうでない支援はあると思う。介護技術、看護技術、においても、それはある。

 相性や関係性でもかかわりが変わるような曖昧さを孕み、なぜこうできないのか、と思う人もいれば、なぜこうしているのか、と思う人もいるだろう。それはその人それぞれの、能力や特性に関係する。

 支援の対象が人である以上、好む好まざるはあると思うし(利用者側から見て)、関係性を構築することも大事なことである。

 しかし、相性や関係性だけでは支援にならず、またそれがどの程度、どんなことをするのかもわからない。

 そうした支援、ケアの質の担保として存在するのが、個別支援計画書である。

 こんな障がいがある、こんな診断がある、こんな原疾患が、こんな病気が、等々、そんな名前に惑わされず、その人が望んでいることは何か、その人のストレングスは何か、を見て、どんな支援をしていくかを考える。

 それは特別扱いとかそういうことではなく、同じ診断名でも同じ人間がいない以上、それは個別に存在する必要があるものである。こんな障がいだから、こんな診断だから、一律にこれで大丈夫、なんてことはない。

 そして、それは、職員にも求められるものである。ひとりだけ違うことをする、もしくは、全員がそれぞれ違うことをしているのでは、それはただの自己満足で支援ではない。

 ケアの質と継続性をはかるために、個別支援がある以上、それぞれの感性で好き勝手に行っているのでは、それを相手に伝えられない。

 それは何も、みんながみんな同じことをすればいい、というわけではない。それぞれの専門性を活かしつつ、チームでケアをしていくために、好き勝手行うのではなく、共有することが大切なのだ。

 それぞれの感性によって、拾うポイント、見えるポイント、良し悪しなどなど、別の視点で見ることができる。その中で、個別支援にまだ落としこめていない、いいところ、課題点を浮き彫りにし、支援につなげていく。また、利用者自身も変化をしていく以上、見直しも必要なことだ。

 こんなことをしてみたい、こんなことはどうだろう、こんな反応があったよ、こんなところが難しい。いろいろ、本当に、いろいろあると思う。

 そうした多角的な視点で支援をするために、ケア会議があり、カンファレンスがあり、計画があり、記録がある。すべて、つながっている。

 そうして現場サイドで考えれば、日々の過ごしの中で気づいたことを共有したり、試したりする中で、こんなことはどうだろう、こうしてみたらどうだろう、と話しをしていくのはいいと思う。

 個別支援計画書は、取り組みを狭めることではなく、それぞれの感性で利用者を見つつ、同じ方向を向いて支援を重ねていくための指針である。

 ケアの質、その継続性と連続性。

 それを意識して、日々を、日々の支援を、行っていきたい。 

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。