読む、ということ
noteを始めて、もうどれくらい経ったであろう。
これまでnoteを続けてきて感じたことは、
ただ書く、だけではなく、何を読み、何を思い、何を考え、何を選んできたか。何を、これから、どうしていきたいのか。実際に何を感じて想いにつなげていきたいのか、などなど、
自分の心に問いかけることが必要なのだと、切に感じる。それはたぶんもっと小説に集中していたときには感じていたことだけれど、改めて、そう思う。
初めは書くことばかりに集中してしまい、肝心の読む、ということに気を配れていなかった。
読む、ということは、言葉や情景に触れるだけではなく、相手の考えや感じ方を学び、触れることにもつながる。
社会人になってから読書量は減ってきていたものの、改めてそれを意識すると、その少ない中でも考えること、感じることが多くなっていることに気がつく。
それは、ただ読むだけではなく、書くことにもつながるから、だと思う。
書く、だけではない。読む、だけではない。
相互にふれあい、相互に関係する。
それに、やっぱり、本を読むことはおもしろい。
単純に、そう。
没入し過ぎてしまうこともあるけれど、それくらい楽しいものなのだ。
以前に私は、本を読むことを、時忘れの庵、と表現したことがあるけれど、そうなのだ。
そうやって、様々な知識や思考、感情、感覚を身に宿しつつ、それをどう咀嚼して自分のものにしていくか。
そうして、自分のものになったそれらが、生活と密接してどんな刺激を受け、私はそれをどう見て、聞いて、触れて、考えるか。
その中から、どんな表現が生まれるのか。
そうした段階を踏んで、ようやく作品が形作られる。
そこに彩りを与えられる。
私はそのためにーーなんていう大義名分はある種外観を良くするための見せかけであって、ただ読むのが好きなだけだけれどもーー読み続けていきたい。
願わくば、何か伝わるもの、届くものがあれば。
少しでも、そんな世界が描ければ、と思う。
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