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【短編】『父の珈琲を』

「お父さんって、なんであんなに珈琲が好きだったのかなぁ」 

私の父は、とても珈琲が好きな人だった。
その父が一年前に、突然事故で亡くなった。 
一人っ子の私は、ふさぎ込んでいる母を元気付ける為に、一人暮らしのアパートを引き払い、実家に戻った。 
以来、母と二人でじっくり珈琲を味わいながら、父の話をする事が増えた。 
元々、私は売れないながらも、ライターという職業柄、珈琲を飲む事は多かったが、味を楽しむというよりは、眠気覚ましの意味合いが強かった。
五十前の母、幸子もそれほど好きという感じではなかったはずだが、最近では夕食後にどちらかが、二人分の珈琲をドリップして淹れるのが殆ど日課となっている。 
「さぁ、初めて会った時から、あんな感じだったからねぇ」 
「なんか、中毒ってくらい飲んでたよ」 
「まあ、でもお酒飲むよりはよかったんじゃないの?」 
「まあね。『あの人、珈琲飲まなきゃいい人なんだけど』って聞いたことないもんね」 
笑いながら、二人同時にカップを持ち上げ、口に運ぶ。 
父の正雄は、大学を出ても就職もせず、部屋に閉じこもって小説やシナリオを書いている私を、咎める事もなく、かと言って応援してくれる訳でもなかった。 
挨拶は欠かさないが、あまり多くを語らずに、いつもニコニコと微笑んでいた。 
私からすると、正直、何を考えているか、よく解からない人だった..

「お父さんが通ってた喫茶店って、なんて名前だっけ?なんか、へんな名前の..」 
「喫茶マロでしょ」 
「あっ、そうそう、マロだ」 
生前の父が、その喫茶店に通っていると、前に母から聞かされた事があった。 
「美味しいのかな?そこの珈琲」 
「さぁ、でも、珈琲にうるさいお父さんが通ってたくらいだからね..あっ、一度、靖子を連れて行きたいって、言ってたわよ」 
「..へぇ、そうなんだ...」 
そんな事、言う人だったんだ。 

カップを洗いながら、父の事を思い出してみる。仕事の愚痴は言わず、怒られた記憶もない。 
母とは話すが、私とは中学校の後半頃からポツリポツリと話しただけで、それ以降、あまり会話した記憶もない。 
酒や煙草もやらず、いつも美味しそうに珈琲ばかり飲んでいる人だった。 
そう考えていると、少し笑みがこぼれてくる。 
「なにニヤけてるの?」 
「いや、お父さんって不思議な人だったなぁと思ってさ」 
「そうね、不思議な人だったわね」 
水道を捻りながら、父が通っていたという、その喫茶店の事を想像してみると、何故か子供の頃テレビで観た、アニメ【笑うせぇるすまん】に出てきた、寂れた感じのBarの外観が浮かんできた。 
その喫茶マロに俄然興味が湧いてきて、又、笑みがこぼれた。 
  
 翌日、取り組んでいた仕事が一段落した私は、喫茶マロに向かってみる事にした。 
私の家から電車で二駅の最寄り駅から、携帯のナビで調べて、徒歩十五分位でたどり着いた喫茶マロの外観は、案外普通のこじんまりした三角屋根の建物だった。
勝手に想像を膨らませすぎていた私は、少し肩透かしを食った気分で店のドアを開けた。
店内の照明は少し薄暗い。 
時間帯のせいか、カウンターとテーブルの客席が合わせて十二、三席の店内に、客は一人もおらず、カウンターの中で、昔のフォークシンガーといった風情のマスターが、一人カップを磨いている。             
ちょっと【笑うせぇるすまん】を思い出して笑いそうになってしまう。  
私を見たマスターが、ニコッと挨拶する。 
「こんにちは。いらっしゃい」 
私は、少し頷いてマスターの前のカウンターに座った。 
「何にします?」 
置いてあるメニューを見ながら、いきなり父の事を話してみるかどうか考える。 
「えーと、すいません。ちょっと待ってもらえますか?」 
マスターは笑顔で頷く。
その笑顔につられて、私は切り出した。 
「えっと、あの、すみません。以前、私の父がこちらに、よく来ていたみたいなんですけど..」 
と言ってみたものの、いきなり言われても判らないかと思い、名乗ろうかと思ったが、マスターは私の顔をじっと見て、はと気付いた様子で答えた。 
「もしかして、石田さんの?」 
「そうです!そうです!よく判りましたね?」 
当てられると思ってなかったので驚いてしまった。
マスターは神妙な顔になり、ウンウンと頷いている。 
「そうか、そうか、うん。石田さん、あなたの話してたもん」 
「そうなんですか..意外です..」 
意外だった。私の中の父のイメージに反している。
マスターは神妙な顔のまま、腕を組んで続けた。 
「石田さん、ウチの珈琲、気に入ってくれてたんだよなぁ..他のお客さんには、ぬるいとか言われてるんだけど」 
人の好さが伝わってきて、マスターの顔つきとは逆に、思わず笑顔になってしまう。 
「なんか石田さん、いつもニコニコしててさぁ..そのイメージしかないよねぇ..」 
私の記憶も似たようなものだ。 
「母と父の事を話してたら、こちらのお店の事が出てきたので、ちょっと興味があって」 
マスターは頷き、少し顔をしかめた。 
「なるほど..でも、石田さん、亡くなったって、後から聞かされてショックだったなぁ」 
「そうでしたか..」 
マスターは、斜め上を見ながら、記憶を辿る様にして続ける。 
「今、考えると不思議な話だけど、石田さんが何処に住んでて、どんな仕事してるかも知らなかったんだよねぇ..あんなに来てもらってたのに」 
「へぇ、そうだったんですね」 
私が持っている父のイメージ通りのエピソードだが、そう言われてみると、少し不思議な感じがした。 
そしてマスターは頷く私に顔を向け、こう続けた。

「そう。石田さん、ここに来てくれるたび、美味しそうに珈琲飲みながら、自分の話は全然しないで、『ウチの娘が』って、いつもあなたの話してたんだよね」

意外だった。聞いた途端、胸の内側から何か苦いものがこみ上げてきた。
本当に意外だった。
そうだったんだ..
いつも私の事を話してたんだ..

「..そうなんですか...」

この時、今更ながら、もう少し父に心を開いておけばよかったと、本当にそう思った。 
子供の頃はよく遊んでもらったのに、物心ついてからは...もう遅いのだけど..

私は、こみ上げてきたものを悟られない様、少し慌て気味に、マスターに向かって言った。

「..あっ、あの、すみません。注文いいですか?」

「あっ、ごめん。何にします?」

「えっと..じゃあ..えーと..どうしようかな」

今の話で、頭が回らなくなってしまった。

「あの、えーと、じゃあ、すみません..父の珈琲を」

言った後、少し変な日本語になってしまった事に気付き、ちょっと恥ずかしくなってしまった。 
けれど、マスターはそんな事は全く気にする事なく、私に向かって満面の笑みで答えてくれた。

「はい!かしこまりました!」

父がこの店に通っていた理由が、少し判った気がした。

*****

「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
カウンターに、何ともいえない良い香りと共に、珈琲が置かれた。
「いい香りですね。すみません、いただきます」
父が好きだったという珈琲を飲んでみる。

「へえ!美味しい..ちょっと、ぬるいけど」
本当に美味しかった。
父はいつもこれを飲んでいたんだ..

マスターは少し恥ずかしそうな顔で答えた。
「美味しいでしょ?..ちょっと、ぬるいけど」

私は笑顔で頷いた。

 その後、二十分程、マスターと父の話をして、常連さんらしきお客さんが入ってきたのをきっかけに、私は椅子から立ち上がった。
マスターは帰る私に向かって、笑顔で「また来てね」と言ってくれた。

私も笑顔で「はい。また来ます!」と答えて店を後にした。

何となくだったけど、来てよかった。
本当に..
帰り道、私は電車を使わずに、二駅分を歩いて帰る事にした。
子供の頃の父との事を思い出しながら。

*****

「ねえ、お父さんの分も淹れようか?」
いつもの夕食の時間、母に聞いてみる。
「なんで?勿体ないじゃない」
やけに現実的な母の言葉に、思わず吹き出してしまう。
「何が可笑しいの?」
不思議そうに聞く母に、私は答えた。
「いや、お父さんも珈琲飲みたいかなと思ってさ..」
母は納得した様子で頷いた。
「ああ、そうね」

テーブルに珈琲の入ったカップが三角形に並んでいる。
「お母さん、知ってた?珈琲って、少しぬるめにに淹れると美味しいんだって」
母は頷きながら、
「お父さんも言ってたわよ、それ」
と、カップを口に運んだ。

私も頷きながら、少しぬるい珈琲を口に運んだ。

【了】

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