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いいなあ

おしゃれな人をみると、「いいなあ」って思う。 かわいい、とか、きれい、とかよりも、おしゃれにできる、時間と心とお金の余裕に、「いいなあ」。 肌や、髪、爪まできれいな人を見ても、「いいなあ」って思う。 もうひと手間、ふた手間かけられる、時間と心とお金の余裕。 だけじゃなくて、 毎日ちゃんと眠れて、毎日ちゃんとバランスのとれた食事を食べて、毎日ストレスがかかりすぎない生活を、長年できているところに、「いいなあ」。 そして、すごいなぁ、とも、思う。 洗練されてはいないけれ

    • ぷらいど

      「自分の名前を、自信を持って書ける人になりたい」 これまで、数え切れないほど、自分の名前を書いてきた。 手紙、プリント、テスト、持ち物・・・ 名前を書くと、「あ〜私って、こういう名前だったんだな」って思う。 いや、思う時がある。 大概、名前を書いている間、別のことを考えているか、虚無、だ。 飽きる、を通り越して、もはや何も感じないその名前。 でも、ある意味、自分を自分たらしめている、この世に、自分の輪郭を、自分の影を、のこしてくれるもの。 自分にしかないもの。 じ

      • つかえごと

        「将来の夢はなにかな?」 小さい子どもに、この類のことを聞くのは、やめた方がいいと思う。 小さい子は、将来なんて考えずに、今を全力で、可能な限り健康に、楽しく生きることがなにより大切だと思うから。 そして、何歳になっても、それが一番、難しいような。 じゃあ、いまは。 大学3年生の___「夢」なんて言葉が、暴力的にさえ思えてしまうような___いま、は。 「仕事」って、なんだろう。 そう考える毎日のなかで、ふと、気がついた。 「つかえごと」って書いて、「仕事」って読むんだ。

        • 日陰をつないで

          部屋に閉じこもって、やってもやっても、日に日に増えていく、やらなければならないことをこなし、「あ、も...行かなきゃ」___玄関ドアを開けた______世界が、眩しい。 自分だけ今日に置いていかれたような 自分が自分に置いていかれたような そんな感覚から逃げるようにして、近くにある影を求めて足早に歩く。 ふぅーーー 影って優しい。 私に居場所をくれる。 私を守ってくれる。 影そのものは、私の居場所になるために、あるいは、私を守るために、そこに存在している訳じゃないの

        いいなあ

          証明写真

          どうして、「顔写真」じゃなくて「証明写真」っていうんだろう、と、不思議に思ってきた。 エントリーシートに写真を添付しようとパソコンを操作していたら、後ろから妹に声をかけられた。 「その顔にするの?今のお姉ちゃんの顔の方がいいのに。今の方がいい顔してる。」 少し驚いた。 撮るタイミングが違うだけで、自分の顔は自分の顔。 そこに、「どちらがいい」という尺度があるんだ、と。 私を他人と識別する分には、この顔写真でなんの不足もない。 それでも、その違いが気になって___そして

          証明写真

          エネルギー

          「好きなことを好きでいるのって、難しいですよね」 先輩方と話をしている中で、自分の口をついて出てきた言葉に、自分で驚いた。 「すき」を「すき」でいること 「すき」は、自分を守ってくれる。 「すき」は、自分を生き返らせてくれる。 それでも時に、 「すき」は、自分を…苦しめる。 その「すき」が、自分にとって大切であればあるほど、それを「すき」でいられなくなったら、という恐怖も大きくなる。 「すき」を仕事にする、きっとそれなりの覚悟が必要だろうな。 だって、「すき」だけ

          エネルギー

          各駅停車

          「あ〜昔、‘’電車に乗って学校行ってみたい”って思ってたんだよなぁ〜」 朝、角席に座って、自分の心情とは裏腹に、のらりくらり流れていく景色を見遣りながら、ふと、思い出した。 じゃあ、今、忘れかけてた、かつての憧れのなかにいるのか! そう思ったら、マスクの下で、ちょっとだけ笑えた。 いつから、(電車を降りたら)こうして、あーして、あれやってこれやって……そんなことを考えながら、特に楽しむことなく‘’電車に乗って学校行く”ようになっちゃったんだろう。 ‘’電車に乗って学

          各駅停車

          みんなぼっち

          いろんな‘’縁”があって、いろんな‘’縁”に、時にまもられ、時に縛られながら生きている そして、そのすべての‘’縁”が今の自分をつくってる。 出会いと別れの繰り返しだ___そういうこともあるけれども、そのイチゼロじゃなくて、0.nnn…の世界があって、今日も昨日も、その小数点の世界を歩いて__たまに走って__そしてきっと明日も、小数点の世界で、その相手/対象との、ちょうどいい温度感を探しているんじゃないかな、と思う、思いたい。 望んでいた縁の温度と実際の縁の温度が違くて

          みんなぼっち

          irodori

          たまに、‘’気がついたら自分がいない”、そう、思ってしまうことがある。 たとえば、 眠れない夜、2段ベッドの1階から見上げるアルミ格子。 たとえば、 何を食べても味がしないと気がついた時の、お皿の余白。 たとえば、 意図せず他のことを考えてしまっている、会話の途中。 心と身体が、別々になってしまったような、心が行方不明で、身体が自分のものではないような、そんな感覚。 笑いたいのに、笑顔になりたいのに、顔の筋肉の動かし方を忘れてしまったような、そんな感覚。 「自分っ

          ふれる

          先生が、おすすめの作家を教えてくれた。 取り急ぎ青空文庫をスクロールしながら、文学史程度のことしか知らなかったその作家に、今になって初めて、“ふれた”な、そう思った。 そう思った時、あぁ、“ふれる”って言葉、すきだなあ‥と思った。 作品を“よむ”じゃなくて、作品に“ふれる”。 どんなふうに“ふれる”の、どんな温度で“ふれる”の、どこで“ふれる”の。 “よむ”だと目と心で、って感じがするけど、“ふれる”だと、それに加えて、肌触り、体温、ぬくもりや、におい、そんなものも

          ふれる