irodori
たまに、‘’気がついたら自分がいない”、そう、思ってしまうことがある。
たとえば、
眠れない夜、2段ベッドの1階から見上げるアルミ格子。
たとえば、
何を食べても味がしないと気がついた時の、お皿の余白。
たとえば、
意図せず他のことを考えてしまっている、会話の途中。
心と身体が、別々になってしまったような、心が行方不明で、身体が自分のものではないような、そんな感覚。
笑いたいのに、笑顔になりたいのに、顔の筋肉の動かし方を忘れてしまったような、そんな感覚。
「自分って誰だっけ___」
そうやって、
どんなに逃げてもついてくる自分と、無限鬼ごっこをしている中で、ふと、気がつくことがある。
それは、
自分が思うより繊細で、自分が思うより強がりな心の、その糸を優しくゆるめて、素直にしてくれる薬があるってこと。
最強にして最高の、その処方箋の名前は、
‘’自分の【だいすき】”
今、つまり、最新の‘’自分の【だいすき】”がわからなくても、忘れていてもいい。
じゃあ、1年前は?
じゃあ、3年前は?
じゃあ、……?
思い出して、最後の気力をふりしぼって、自分に、最強最高の薬を投与する。
そうすると、霧散していた‘’自分のかけら”が戻ってきてくれるような、そして、冷えきった身体に、体温が戻ってきてくれたような、そんな気持ちになれる(ことがある)。
一旦、目の前のすべてにシャッターをおろして、【すき】があった頃の自分に、【だいすき】があった頃の自分に、世界に、帰ろう。
あ、自分の【すき】1番地だ。
あ、自分の【だいすき】、こんなところに隠れてたの、みーっけ!
「ただいま」 自分。
そう思えたら、自分の【だいすき】がちりばめられた、自分のためだけの世界が、「おかえり」って笑いかけてくれる。
五感が機能を失ったような、呼吸さえも失われそうな、モノクロの毎日が、他の誰でもない、自分によって、少しずつ彩りを取り戻していく。
彩り、いろどり、irodori。
まるで、ひとつの単語で、「ただいま」と「おかえり」を伝えあっているみたいだ。
そうやって、手遅れになる前に、ちゃんと特効薬に頼りながら____ちゃんと、ふるさとに帰りながら___自分を向いて生きていたい。
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