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つかえごと

「将来の夢はなにかな?」
小さい子どもに、この類のことを聞くのは、やめた方がいいと思う。

小さい子は、将来なんて考えずに、今を全力で、可能な限り健康に、楽しく生きることがなにより大切だと思うから。
そして、何歳になっても、それが一番、難しいような。

じゃあ、いまは。
大学3年生の___「夢」なんて言葉が、暴力的にさえ思えてしまうような___いま、は。

「仕事」って、なんだろう。
そう考える毎日のなかで、ふと、気がついた。
「つかえごと」って書いて、「仕事」って読むんだ。

これまで、いろんな仕事をしている人に出会ってきたし、今日も、今だって、誰かの仕事のおかげで生きていられる。

ありがとうございます。

ということは、ということは。
私が頼んだ訳じゃないけど、お米を育ててくれた人がいて、
私が頼んだ訳じゃないけど、鶏を飼ってくれた人がいて、
私が頼んだ訳じゃないけど、醤油をつくってくれた人がいる。
そういう人たちがいるから、私は、卵かけご飯を食べることができるんだね。

言葉にしてみれば、何の変哲もないことかもしれない。
でも、なんの変哲もない、あたりまえ、のように思ってしまう毎日が、誰かの仕事でできている。

それはつまり、間接的に、私は、名前も顔も知らない、たくさんの“誰か”に、仕えてもらっている、ってこと。

そのたくさんの“誰か”は、名前も顔も知らないたくさんの“誰か”に仕えていることになる。

みなが、みなに仕え合って、生きている。

おそらく、名前も顔も知らない誰かのため“だけ”に仕事をする、という人はあまりいない。
自分のため、自分の大切な人のため、お金を稼ぐ必要があって仕事をしていて、あわよくば、誰かのためになっていればいい、という考えの人が、大半だと思う。
かくいう私も、早朝アルバイトをする1番の理由は、自分のため、だ。

じゃあ。
自分のため、大切な人のために、はたらく、のであれば、それは、「自分に仕えている」、「自分の大切な人に仕えている」、と、いえるんじゃないかな。

「つかえごと」  

そう考えると、この言葉は___この社会は、ミルクレープみたい。
いろんな「仕える」が、それぞれの味、食感を持って、何層も何層も、何層も重なって、おいしい。

「将来の夢は?」
改めて、大学3年生として、この問いへの答えを考えてみる。
考えてみるけれども、わからない。
わからないけど、どうしてかな、「ない」、とかは、言いたくない。

じゃあ、自分への問いを変えよう。
「仕事って、なんだろう?」

まずは、今の、自分の答えは、自分と、自分が大切にしたい人に「仕える」こと。
そして、
あわよくば、目の前の、あるいは、名前も顔も知らない誰かを笑顔にすること___「仕える」ことができたなら。

自分にしかできないことは、なんだろう、そう思い、自己分析をするけれども、結局、自分にしかできないことは特にない、と思い至り、よく、無力感に苛まれる。

でも、でも。
「自分に自分で仕える」ことと、「自分が大切にしたい人に仕える」ことは、紛れもなく、“自分にしかできないこと”。
そして、自分が生きる意味だ、と言っても過言ではないと思う。
自分や、自分の大切な人に仕える、の、「仕える」を履き違えて、自分や、自分の大切な人をつぶさないように、あくまでも、自分に優しく、「仕えて」いきたい。

そう思ってみると、すーっと、肩の力が抜けるような気がする。

まだ、就職活動は終わっていないどころか、始まったばかりで、それなのに、現実的には“甲斐甲斐しく単位に仕える”毎日を繰り返しているわけだけれど。

これもまた、まずは、今の自分のために仕えている、ってことになるのかな。


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