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「傷だらけの手からも名品は作られる」被褐懐玉

褐を被て玉を懐く
―被褐懐玉―

[原文](老子河上公章句 德經 知難)
是以聖人被褐懷玉

[書き下し文]
是れを以て聖人は褐を被むり玉を懐く

[原文の語訳]
それだから聖人は粗末な衣服を着て、懐の中に美しい玉を入れている


→粗末な衣服

→美しい玉

[解釈]
由来は聖人というのは、外見を着飾ったりはせず、心の中には玉のような徳を抱いているということから、わざわざ自分を美徳を主張せず、ただ静かに内に秘めているということです。

一方、三国志・魏の曹操は人材を求める「賢求令」の中でこの言葉を用いています。しかしながらここでの「褐」は清廉潔白でなくとも、親不孝者でもあってもと「経歴や生い立ちに汚点」、政界なら「埃がついている」状態のことで、能力が高ければ、人として多少難があっても採用するという内容でした。昔なら「多少悪いことをしても」と言うこともありましたが、今はそうはいかないです。それでいて昔ワルでも更生すれば立派だという評価もあり矛盾している気もするのですが。

聖人に限らず、口数は少ないながらも口を開けばその一言には重みがある人がいますよね。
見た目はイマイチだけどすごい才能を持っている人はいるはずですが、われわれにはそれが分からないのですから、見た目だけで判断してはいけないですね。

現代でも機械化されていない手作業での仕事や、伝統産業の職人さんの手は怪我が絶えずにボロボロであったり、薬剤が染みていたりします。しかしその手から作られる品は素晴らしいものです。
物であれば、ボロボロになったノートの中に数々の素晴らしいアイデアが書き記されているなどが当てはまるでしょうか。
また、グッドデザイン賞を受賞する製品には無駄なものを削ぎ取った、非常にシンプルなデザインのものが多かったりします。粗末ではないですが、華美にすることなく簡素という点で共通していると考えます。

黙って人知れず徳を積んで、それを覆い隠しているから陰徳です。それでも隠すところを見ている人はちゃんと見ています。だから突然、適任だと大抜擢されたりするのです。
そしていつも懐に持っているので、いざという時に周囲に配ることができるのです。

使い込んだ愛用品はボロボロになっていますが、あなたにとっては大事な宝物ですよね。
同じようにあなた自身が汗水たらして頑張った経験も大事な宝物になるのではないでしょうか。人にどう思われようとも、あなたが経験したことは内に秘めたる宝です。そしてそれを機会あるごとに出し惜しみせずに必要な人に配りましょう。

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