米国連邦最高裁の判決をキミはどう見るか?

米国連邦最高裁 supreme court が、大学の入学選考を行う上で黒人やヒスパニックなどの人種を考慮している措置(race-based university admission)を、法の下の平等を定めた憲法に違反するという判決を下した。このことに関連して、性差別を考えさせられた。今、LGBTQに関しての関心が高まり、彼らを尊重する動きがあるが、その考えも無くなってしまうぐらいの平等がこれからは求められるようになると感じた。日本はもっと遅れていて、会社の中の、あるいは会社の役員の、あるいは国会議員の女性比率を上げるといった動きがあり、結果会社の採用に於いては、性別を聞き、女性の採用が多いことを示す。どこか違和感を感じないか?この最高裁の判決は、そういった区別さえも無くさないとならないことを訴えていると考える。国の息のかかる国立大学での採用でさえ性別を聞く。
そして、同等の能力と判断した場合は女性を優先的に採用すると明記されている。おかしいと思わないか!?能力で判断するなら性別を問うてはならないと思う。人種も問うてはならないと思う。外国人を優先的に雇用することも間違っていると思う。その場所(この場合日本になってしまう)でそのポジションで採用するにあったって優秀な人材を採用する際、日本語の能力が必要なら外国人が不利になることは仕方ない。私は米国に住んでいる際に、日本人だから英語が2nd language だから仕方ないとハンディーをもらって採用されたことはない。むしろ日本語が話せることをアドバンテージに使えるポジションにアプライしていた。サバイブしていくには必要な知恵だ。日本で仕事をしたい外国人もそういった仕事を探せばいい。受け入れる側の日本が優遇してあげる必要はない。仕事がなくて困っている日本人は沢山いる。なぜその人たちに救いの手を差し伸べる前に、外国人を優遇する?これまで米国でrace-based university admissionが行われていたことと同じだ。
性の問題に話を戻そう。これまで女性蔑視が行われてきたことは事実で、その反省から女性を優遇しようというリバウンドが起きたことは社会の流れとしてあっておかしくないと思うし、自分自身も自然に受け入れてきた。しかし、大学の採用の採用側に立ち、そこに性別を聞くことが自然に行われていることに疑問を持った。そしてその項目を削除するように進言した。最初の組織の反応は「ルールだから性別を問う項目は載せます」という。「ルールだから…」が理由なのか!? まず、ここで個々が考えて仕事をしていないことに呆れた。次に性別を載せないと女性採用比率を上げるという大学の、ひいては国の目標に対して評価ができなくなるということに驚いた。だから性を聞くのだという。学内に、LGBTQだとかSOGIだとかのポスターが貼ってあるにも関わらず、実態はそんなことちっとも考えていない。ここでこの supreme court の判決は、女性だのLGBTQだのと区別をしていること自体に問題があり、その区別なく人として見ることが必要ということを訴えていると考える。
補足しておくが、biologicalな区別は必要である。医学に関わることもあるし、肉体的な能力に関わることだから、これは区別しないと返って弱者が生まれることになる。

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