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【映画感想102】ペルシャン・レッスン 戦場の教室/バディム・パールマン(2022)



〈あらすじ〉
ユダヤ人としてナチスに捕らえられた男、ジルは「自分はペルシャ人だ」と咄嗟に嘘をつく。
たまたまペルシャ語を勉強したがっていた大尉の目に留まり、殺さない代わりに毎日ペルシャ語を教えにくるように言われるが当然ペルシャ語はまったくわからない。嘘だとバレたら死ぬ状況で、命懸けの架空の言語創作がはじまる…というストーリー。

〈以下、ちょっとネタバレ感想〉
日中必死に単語を考えても、「あれはなんというんだ?」と予期せぬものの名前をふいに聞かれることもある。その場で即興ででっちあげた単語を、紙とペンもないまま死ぬ気で覚えなければならないので常に緊迫感がありました。
(しかも大尉は厳しく非情な人物で、実際何度も「嘘なら殺す」と念を押してくる。)

やっぱり1番おもしろいと感じたのは、
ジルと大尉の関係性……ではなく、2人の他人の命と言葉の扱い方が対照的だったことでした。いやむしろ他人の命への認識の差が言葉を解することによってはっきりしていったとも言えるのかもしれない。


ジルが当てずっぽうにつくっていた創作言語は、次第に周囲の捕虜達の名前から創作されるようになっていき、料理を配膳しながらひとりひとり名前を聞きいて単語を当てはめていく。

そして収容者が皆殺しにされた収容所で、
落ちていた人形に書いてあった名前を見てつぶやく。「これは“狂気”の意味に…」

明らかにジル自身の言葉に対する思いが強まって記憶するスピードがはやくなっていくと同時に、大尉は何も知らずに自分達が殺した人間達の名前からできたことばを美しいと賞賛するのが皮肉でした。

また、単語をつかって会話をしてみましょう、
という段階で、大尉がぽろっと自分の生い立ちを語ってしまうシーン、大尉にとっての会話って命令や指示のみで、生の会話って全然してなかったんだろうな……という感じもしました。

しかし会話を通して繋がれても人間同士が絶対にわかりあえるわけではなくて、むしろより浮き彫りになってしまったのは「絶対にわかりあえない」部分だったのが意外でした。
会話を通して言葉に血が通い、コッホ大尉がジルを尊厳あるひとりの人間だと認識するようになる展開を最初予想してたのですが全然甘かった。
自分の行動が原因で仲間が殺されたときはジルは命を持って償おうとしたけど、自分が原因で人が死ぬことをどう思うかと問われてもコッホ大尉は「それがなんだ?」と意に返さない。

(「他人の命を救う」という行動は2人ともしているのだけど、大尉の場合は結局自分のためだったような気もしないでもない。)

全体的に、ジルとコッホ大尉の言葉の扱い方が他人命の扱い方を表してる感じもしていて、結局ラストシーンで前者の言葉は人の気持ちを動かしたけど、後者の言葉は誰にも信じられずに終わってしまったのは象徴的だなあと思いました。

最後のエンドロールは音楽をバックに白文字で名前が流れていくのですが、この何の変哲もない名前の羅列がいつもより妙に目立って見える気がしました。
ここに書かれている名前の人はどんな人なのだそうと、ふとその先を考えてしまうかんじ。

SNSでも日々たくさんの名前を目にしますが、
この感覚は忘れないようにしたいです。

みたあとであたりまえの光景を見る目が変わる、
いい映画だと思います。

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