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映画「カッコーの巣の上で」"One Flew Over the Cuckoo's Nest" 感想・ダブルレビュー・好きなシーン&名言

今回2人で話し合ってみたのは、1975年の映画 ”One Flew Over the Cuckoo's Nest”(邦題『カッコーの巣の上で』)について! 好きなシーンごとに考察をまとめてみました。

カッコーの巣の上で One Flew Over the Cuckoo's Nest (1975年, 2h13m)
監督:ミロス・フォアマン
脚本:ローレンス・ホーベン、ボー・ゴールドマン
原作:ケン・キージー『One Flew Over the Cuckoo's Nest』(1962年)
出演者: ジャック・ニコルソン (マクマーフィー役)、ルイーズ・フレッチャー(ラチェッド役) ほか
サブスク:なし
<あらすじ> 刑務所での労働を避けるために狂人を振舞って精神病院に送られたマクマーフィーが、看護師ラチェッドをはじめとした病院関係者の監視下に置かれながらも、仲間とともに自由を求めてもがく姿を描いた作品。(なり)

※以下、ネタバレ注意です!

◆バスジャックと船釣り

なり「マクマーフィがバスを奪って病院の仲間たちと外出し、船を借りて海釣りに出るシーン。船を借りるときにマクマーフィが病院の仲間のことを精神医学の教授と紹介するんだけど、全員がほんとの教授っぽい顔をするのが何とも言えずかわいくて、大好きなシーンだなぁ。笑」
とも「面白いシーンだね。マクマーフィーの皆への対応が、ラチェッドの対応との対比としてずっと描かれてると思うんだけど、ラチェッドではなくマクマーフィーの方こそがずっと『セラピー』をしているよね。トランプやバスケ、釣り、野球観戦(※心の目で見るバージョン笑)とか、そういう何か『楽しい』ものに『参加』することで、純粋に毎日生きていることが楽しいと思えたり、自分が受け入れられているという自尊心を養えたりするような形のセラピー。」
なり「そうそう。皮肉にも、めちゃくちゃに見えるマクマーフィの方が、みんなの個性を解放してセラピーをしているというね。」
とも「マクマーフィは、誰かがうまく動けない時とかに、素直にイラっとして結構キツイことも言うんだけど、そのあとすぐに励まして一緒に行動しようとする。マクマーフィー自身だんだん変化していくんだけど、釣りのシーン以降特にそうで、2回目のバスケのシーンも印象的だった。相手に対して嘘偽りなく、同じ目線で向きあう姿、として描かれているのかなと思った。」
なり「うん。マクマーフィはあくまでも聖人という感じではなくて、偽りのない本当の姿でみんなと接しているし、心の底から楽しんでるように見える。その姿がみんなを巻き込んで、だんだん本当の仲間になっていってるのかな、って!」

◆みんな狂ってなんかいない。その辺を歩いているヤツらと同じだ。

"You're no crazier than the average asshole out walking around on the streets and that's it"  (McMurphy)

なり「病院の仲間たちが、マクマーフィとは違い、自ら選んで病院に入っているということを知った時のマクマーフィの言葉。病院のみんなのことが本当に好きで、外の世界のこともたくさん経験して悪いこともやってきたマクマーフィーだからこそ、心の底から出てきた言葉なんだろうなと思う。病院のみんなの心のピュアさとか可愛らしさをみると、狂っちゃいないと仲間たちに伝えたくなっただろうし、安易に異常というレッテルを貼ろうとする社会にも腹が立ったのかな、とか考えたり。この言葉、最初みたときから忘れられない言葉だったなぁ。」
とも「名ゼリフだね。マクマーフィーは、この言葉で『なんで自主的(voluntary)に入ってるんだよ?』って皆を励まそうとするんだけど、皆『自主的に入ってる』というよりかは、むしろ周囲の誰かの判断によって『入れられてる』『入らないといけないと思わされてる』状態なんだろうなと思った。クレイジーだというレッテルを誰かに貼られた、最も自由でない状態。。その人をクレイジーだと決めつけた人たちがいて、その人たちの希望通りに管理することが『正解』となって、その『正解』を施すだけの病院職員たち。浴場で職員がマクマーフィーに言った『You're gonna stay with us until we let you go.(=ここは病院だから我々の判断でいつまでも拘束できる)』という言葉が一番恐ろしくて。病院側が『異常』と判断すれば、つまり外の世界の人々が『異常』と判断すれば、いつまででも拘束できる… それこそ本物の監獄じゃないかと。刑務所なら期限付きで出られるのに精神病院にはその期限がない、刑務所より楽だと思っていた精神病院が実は恐ろしい場所だったとマクマーフィーが気づく、この映画の主題に切り込む決定的瞬間だと思った。」
なり「そうそう。プールのシーンからの、みんなが自主的に入っていると知った時のシーン、僕にはマクマーフィがこの病院の本当の闇というか、構造的な問題に気付いたような表情に見えた。仲間たちはみんなそれぞれに個性があるだけなのに、それが病院や外の世界から、精神的に『弱い』『異常だ』という一括りにされて、毎日同じルーティーンを課せられていて。誰かに『普通だ』と認められないと外の世界には出られない。マクマーフィにしてみたら、仲間たちのピュアな姿を見てきたから、そんな判断を平気でやっている病院の方が『異常』なんじゃないか、って思っただろうな。」

◆逃げようとして寝てしまうマクマーフィ

とも「あそこで普通に眠ってしまったところに、マクマーフィーの皆への思いの本質が現れているような気がした。皆に対して何の思いもなければ、すぐに逃げていたんじゃないかなって。皆との関係を心から楽しんでいたからこそ、皆と共有した時間がマクマーフィにとっても心地良くて、いつのまにかふと眠ってしまったのかなって思えた。」
なり
「素敵な見方だね。最初みたときは、早く逃げてーーー!!!って焦っちゃったけど。笑 2回目以降みたときに、マクマーフィーが心からあの時間を楽しんでることが伝わってきて、捕まったあとも自分が逃げられなかったことを後悔するというよりは、なんか楽しかったな~という感じの表情に見えた。」
とも「朝になる前に最後、無言で物思いにふけっているようなマクマーフィの顔だけが映る長いカットがあって(確認したらなんと丸1分間ありました!)、それもすごく印象的でした。何を考えているのかは分からないけれど。これが、ロボトミー手術を受けることになる前の彼の"最後"の表情…。ジャック・ニコルソンのいつもの絶妙な顔の演技って感じ。この表情、感情、意思、"人間らしさ"、全てがその後ロボトミーによって奪われてしまう。。」
なり「そんなに長かったんだ。。普通は出ていこうとして焦りそうなシーンなんだけど、焦らないマクマーフィがなんか素敵だった。それが、あんな悲劇につながるなんて…」

◆ビリーの自殺とラチェッド

なり「本当にショッキングすぎるシーンだった。ビリーにとって一番弱いところ、言われたくないことをひたすら言い続け、精神的にビリーを追い詰めていくラチェッド。このシーンがラチェッドがアメリカ映画史に残る悪役ともいわれるゆえんだと思うんだけど、、ビリーが理詰めされていくのがあまりにも現実的なシーンで、誰しも過去の経験がフラッシュバックするようなシーンなのかも、、と思ったり。上司にこういう感じで詰められること、あるよね。。笑」
とも
「ラチェッドの対応の仕方には色々と問題があると思うけど、このシーンだけでなく、常に相手の意思やプライベートに対するリスペクトがないのが特に腹立たしい。話すことがセラピーになるのは確かにそうだろうけど、皆とのミーティングでビリーのプライベートな話(母親や過去の自殺未遂のこと)をラチェッドから積極的に持ち出したり、本人の意思を確認せずに話させようとしたり、とても『セラピー』とは言えない行為だね。中途半端な教科書に書いてあるルーティンを回してるだけで、彼女が『優秀』な看護師であるとされている構造もおかしい。電気ショックを与えようがロボトミーを施そうが、クレイジーな人たちをしっかり『管理』できること、つまり病院の中に収めておけることが、『優秀』とされているんだろうね。」
なり「そうそう。ラチェッドの『暴力性』みたいなものは、最初のミーティングあたりからずっと続いてるんだよね。。何度かあったミーティングのシーンは、何気なくみていたらその不快さにすら気付かないかもしれないほど、恐ろしく静かに、かつ論理的に人の思考を狭めているような感じに僕にはみえた。だんだんとみんなを洗脳していくような。。最後まで通して思ったのは、ラチェッドは一貫して、少数の意見を聞こうとしなかったし、個性を認めず、平等という名でみんなを一括りに纏め、反対意見を論理で抑えつけ、日課で毎日を縛り上げてきたっていうこと。本来自立を促すための病院は、みんなを飼いならすための施設でしかなかった。マクマーフィのやり方が全て正しいわけではないし、ラチェッドのやり方が正しい場面も時にあると思うけど、ラチェッドとは全く逆の方法でみんなをまとめあげたマクマーフィがいたことによって、ラチェッドの静かな暴力性が対比されて際立っているなと思った。それが、最後のビリーを追い詰めるシーンで特に顕在化して、結果的にビリーを自殺に追いやることになって。。それでもラチェッドは『いつもどおりに』という言葉を放ち、マクマーフィは遂に糸が切れてしまい、ラチェッドを殺そうとした。。本当に、胸が苦しくなるシーンだった。」
とも「まさにそうだね。面白いのは、この映画を初めて見たとき、自分自身もあまりラチェッドの暴力性に気づけなかったことなんだよね…。2回目見たあと、どうしてなのか考えてみたけど、やっぱりラチェッド的な支配がそこら中に溢れてるからなんだろうと思った。『カッコー~』と似た、目に見えやすいシチュエーションで言えば、それこそまず学校教育とか。小中学生の頃の教室なんて常にこんな感じだし(アジアのは特に)、ほとんどの人が当たり前の日常としてそれを経験してきてる。『これぐらいの対応が普通なんじゃない?』と正直な感想として思ってしまうのも、ごく自然なことだと思う。合理性を優先したマニュアル主義で稼働され続けるあらゆる組織のシステム、ひいては、何者かによって作られた法や規則が”自明”の正義となり、マイノリティを周縁化する不平等がいつまでも可視化されない社会全体。これらをすでに当たり前のものとして受け入れざるをえない世界にいれば、ラチェッドのような暴力性に気づくことができないのも当然で、それこそが権力者の思惑通りの洗脳だったりする。まさに、単なる腕力とは異なる形の暴力、操作された社会秩序を優先して個の権利や自由を阻害し続ける『構造』としての暴力について、描こうとした作品なのかなと思える。ラチェッドの暴力性に対する見方は、その人の置かれてきた環境にも依るだろうから、視聴者の反応を比較してみるのも面白いだろうなと思った。」
なり「そうそう、そうなんだよ~。まさに。一回目みたときは僕もそんなにラチェッドに対して違和感がなくて。僕も先生をやってたことがあるし、正直こんなもんだよな~と思ったりしてて。だけど、2回目・3回目をみるにつれて、あれ、なんかおかしいかもしれない、、とか思うようになって。自分が先生をやってたときも、おかしかったのかもしれないな、という自問自答も出てきたりして。実際、管理(コントロール)する側も、そういう役割を与えられているだけで、洗脳しようという意思がなかったりする。だから、構造的暴力の問題に立ち返ることはすごく大事なことだと思うんだよね。そういう意味でも、この作品はすごく勉強になったな。」

◆ロボトミー手術と、旅立つチーフ

なり「ラストで一気に押し寄せるカタルシス。最初の水道の伏線や、カナダに旅立とうとしてたこと、偉大な存在だったが殺されてしまったチーフの父親の存在など、全ての伏線がきれいに回収されて、マクマーフィの意志を全て受け継ぎ旅立つチーフが描かれる。個人的にはこれ以上考えられないほど完璧なラストのように思えて、観終わったあと思わず、すげ~、って言ってしまった。」 
とも
「ロボトミー手術について描かれていると知って観たので、いつそうなってしまうのかと、中盤からずっと恐る恐る見ていました。。電気ショックのシーンも本当に恐ろしかった。」
なり「どっちのシーンも本当に恐ろしいし、あれが現実で普通におこなわれていたというのはさらに恐ろしい。。チーフは、あれだけ元気だったのにロボトミー手術を受けて感情が死んでしまったマクマーフィをみて、仲間たちが悲しむ姿や立ち直れなくなる姿を想像してしまったのかな、と思った。そしてチーフは、精神的に殺されてしまったマクマーフィを自らの手で肉体的にも解放してあげたかったのかな、、と。ロボトミー手術って本当に、残虐な手術だと思う。病院の判断で、死刑よりも簡単な手順で、罪に問えない人の人格を簡単に破壊してしまうなんて。。」
とも「そうだね。こんな姿で残すぐらいなら、君の魂だけでも一緒にカナダへ連れて行く… チーフはまさに、"You're coming with me [一緒に行くぞ]"って思いだったんだろうなと思った。人の感情や意思を不可逆に奪ってしまうロボトミーは、その人を殺すことと何の代わりもないのに、それが『治療』として生み出されてしまったという歴史が恐ろしいし、同時に"歴史"という言葉では葬り切れない、今にも通じる人間の危うさについても考えさせられる。アメリカでロボトミー手術を広めた医師ウォルター・フリーマンについてのドキュメンタリー『The Lobotomist』(←Youtubeリンク有。2008年アメリカにてテレビ放送)を見て、ロボトミーをはじめとする精神外科が正規の『治療』としていかに存在しえたのか、より深く知ることができた。『カッコー~』のマクマーフィは、ほとんど『処罰』を受けるような形で、病院の判断でロボトミーを施されているけど、実際には、たくさんの人が本人の家族の意向や同意の下でロボトミーを受けたこと。家族や社会から見捨てられた人たちで溢れかえる精神病院が問題化し、それを解決する方法を誰も見出せずにいる中、『解決策』としてロボトミーが生まれてしまったこと。暴力的な行動を抑制できることが、実際に家族に安心や喜びを与え、ポジティブに受け入れられてしまったこと。何十年も病院に預けるよりも経済的だとも解釈され、よりよい選択肢として家族たちに選ばれてしまったこと…。ロボトミーは確かにすでに葬られた負の歴史なんだけど、人ひとりひとりをいかに社会の中で受容するか、社会が構築した秩序に当てはまらない個が存在するときにそれを排除せずにいかに共生していくか、さらに、何をもってその個人それぞれの幸せと考えるか、これらは精神外科が広く廃止されている現在においても非常に身近な永遠のテーマだし、ロボトミーも現在進行形の大きな歴史の一部分でしかないと思えてくる。」
なり「うん。ロボトミーって、今では名前すら聞く機会もなくなってきた歴史の中の過去の出来事ではあるんだけど、過去とは思えない危うさも持ち合わせているような気がする。最近だと、相模原障害者施設殺傷事件が僕の中では重なってくるかな。自分にとって都合の悪いものを、社会的に耳障りの良さそうな言葉で排除しようとする。この作品は、確かにこういった残虐な歴史があったことを伝えてくれるし、これは決して歴史から抹消してはいけない手術だと思う。善と悪、生と死、論理と感情、自由と支配、肉体と精神、正常と異常。決して切っては切り離せない、すべてが混ざり合った世界の中で、あらゆる業を背負い自由の身となり旅立ったチーフ。その後ろ姿が頼もしげにも見えるし、寂しげにも見える。本当に印象に残るラストシーンだった。。」

(アメリカでロボトミー手術を初めて実践し普及させたウォルター・フリーマンについてのドキュメンタリー『The Lobotomist』/ 2008年テレビ放送)

・おまけ①「米国でも指折りの悪役」

なり「ラチェッドは米国の悪役ランキングでも5位に入ったこともある悪役。やっぱり自由の国アメリカで、自由を制限する姿が嫌われる要因だったのかな。Netflixではドラマ『ラチェッド』(2020年9月配信スタート)もやってるみたい。」
とも「『ラチェッド』、最新の作品ですごい気になるけど、ガチで怖そうなホラーで見る勇気が…泣笑。『カッコー~』でラチェッドを演じたルイス・フレッチャーさんのオスカー受賞スピーチが素敵だったので、紹介します :) ご両親がどちらも耳が不自由で、後半、二人に向けて手話でスピーチをしています。」

・おまけ②「対抗文化期"60年代"の代表作としての原作」

とも「最近Netflixで公開された映画『The Trial of the Chicago 7』(邦題『シカゴ7裁判』/ 2020年)でも、アビー・ホフマンの言葉として『sixties (60年代)』という表現が何度も使われていたけど、アメリカにおける1960年代とは、反体制の旗印のもと若者を中心に様々な形の対抗文化(カウンター・カルチャー)が形成されると共に、公民権運動やウーマン・リブに代表されるように、人種やジェンダーなどが社会的議論の対象となった重要な時代。本作の原作者ケン・キージーも、そうした対抗文化の担い手の一人として、1962年に出版された原作『One Flew Over the Cuckoo's Nest』そのものも、60年代のアメリカ対抗文化を象徴する作品の一つとして知られてる。今回原作の内容について調べている中で見つけた、馬場聡さんという方の研究論文(2002年 / 下記↓よりPDFダウンロード可) がすごく面白かったです。作中のキャラクターの具体的な設定やセリフに着目し、60年代の他の作品とも比較しながら、人種やジェンダーという切り口で、本作の時代的な特徴を分析されています。映画ではカバーされていない内容に結構詳しく触れられているので、原作について気になっている方は是非ご一読を!」
なり「ジェンダーという観点でこの映画を観ていなかったけど、なるほどと思いました。いろんな歴史的・社会的な背景もあってキャラクターが描かれていたんだね。」

・おまけ③「ジャック・ニコルソンの生い立ち」

とも「ジャック・ニコルソンは、ちょうど『カッコー~』の撮影が始まる前年、自身の衝撃の生い立ちが判明したそう。ジャックは、1937年に当時17歳だった母親のいわゆる非嫡出子として生まれ、母親がまだ学生だったこと等から、実の母に代わって、その母親である祖母がジャックを育てることになって。実の祖母が『母』として、そして共に暮らしていた実の母と叔母は2人の『姉』としてジャックに接し、ジャックは真実を知らないまま大人になり、彼が一躍スターになった1974年(当時37歳)、タイム紙が彼を表紙に特集を組んだ際に生い立ちを調べて初めて真実が判明したと。。しかも、その時すでに、『姉』であった母と、『母』であった祖母がどちらも亡くなっていて… 一体どういう心の整理をしたのか。。」
なり「こんなん映画よりも映画やん。。笑」

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(『TIME』1974年8月12日号 表紙)

とも「ジャックが前作の『The Last Detail』と『Chinatown』で、1975年2月のBAFTA(イギリスのアカデミー賞)で映画主演男優賞を受賞して、撮影中の『カッコウ~』の現場から中継でスピーチした楽しそうな映像(下記↓)もあったよ笑」
なり「みんなの反応がかわいい。笑」


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