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脆弱な私

私の身には時々、漠然とした不安を抱えることがある。例えば受験の時期、今日学んだことを覚えているのは、自分の脳だけで、他になにもよりどころがないという漠然とした不安だったり、コンタクトをつけている時に、自分はこのまま視力がわるくなっていずれは失明してしまうのではないかという不安だったり。

太宰治が「将来に対するぼんやりとした不安」によって自死を遂げたことは有名だが、私も日常における不安を抱えているのだ。とはいっても自分だけではなく、誰もがそんな不安を抱えていることは火を見るよりも明らかで、不安を感じない人間はいないだろう。人間は想像ができる生き物であるため、先のことを想像して不安になることは当たり前である。

それでは何故不安になるのか。不安に駆られる時、多分人は目の前に複数のこなさなければならない何かがあったり、あるいは逆で、目の前に何もない空虚な状況であったりすることが多いだろう。適度に仕事や課題、目の前にあるタスクをこなしている時は、不安感を抱くことは少ないと思う。

不安は、タスクが積み重なって自分だけでは背負いきれなくなった時、あるいは悩んでも解決しない悩みを抱えている時。(それは時間が解決したりすることが多いと私は考える)悩んでも解決しない悩みとは、例えば高校生だったら大学受験、大学生だったら就活など、その時が到来しないと解決せず、また、自分が努力すれば多少は変化させることができること。そして、終わってみれば杞憂に過ぎなかったと感じることが多いと思う。逆に、不安を抱えていることによる悪影響の方が大きいのかもしれない。

では、不安を抱えないためにはどうするべきなのだろうか。不安を抱えていない時、人は不安を抱えていた時のことを考えることはあまりしない。そのため、不安でどうしようもない時にどうすればよかったのかをあまり考えない。

不安を抱えている時は、何か行動をしてみるのが良いのかもしれないと最近私は思うようになってきた。今抱えている不安は、何かに没頭することで解消されるかもしれない。お笑いコンビ、オードリーの若林氏が「悩みや不安を忘れるには何かに没頭するのが良い」というようなことを言っていた。我々人間はどうしても先のことを見通そうとするが、悩んで行き詰まった時には、少し立ち止まってみるのも良いのかもしれない。実はそれが悩みや不安を解消する手助けになっているかもしれないから。

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