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心理の本を読むことでうつ病から回復した話①(小学生編)

読んでくださってありがとうございます。

機能不全家族のもとで育ち、精神疾患(うつ病など)で苦しみ、そこから回復した自分の半生を書きたいと思います。

今精神疾患で悩んでる人が自分の体験談を読んで、何か得られるものがあると嬉しいです。

今回は自分の生きづらさの根幹を作った小学生編になります。

「裕福な家庭」それは幸せ…?

誰でも知っているような大企業に勤め、有名私立大卒の厳格な父親と過干渉で世間体を気にする母親のもとで自分は育ちました。

自分は目に見えて虐待されていたかというと、そういうわけではありません。普通にご飯も食べさせてもらい、ピアノや水泳や学習塾などの習い事にも行かせてもらい、学校では友達も多く、経済的に不自由なく育ったと思います。

でも、自分は他人には見えないところでつらい思いをしていました。

絶対的な権力者、それは父親。

家庭内で絶対的な王様で権力者は父親でした。
父親が仕事から帰ってくる20時は、いつも恐怖の始まりです。

母親が父親を車で迎えに行った後、自分と弟は19時半ごろにリビングの隣の部屋に閉じこもります。父親が帰ってきた時、ドアの開け閉めの音を確認します。バターン!!と大きな音を立てている時は大抵機嫌が悪い時です。

隣のリビングで弟が学校で窓ガラスを割った話をしているのが聞こえます。
「お前の育て方が悪いから○○(弟)が悪く育つんだろ?ああ?ざけんじゃねえよ。」そう言って母親を殴る音が聞こえてきます。

自分と弟は父親が帰ってくる前に布団に入って寝たふりをしていました。怖くても、泣くことは我慢し、声は二人とも必死に抑えています。
寝ていないのが、そして泣いているのが父親にばれると、布団から出されて説教されるからです。

「なんで男のくせに泣いているんだ。俺が何か悪いことをしているみたいじゃないか。そういう態度が気に入らない。お前の態度が俺をイライラさせる。おい。悪いのはお前だろ、反省しろよ。」そう言って蹴ってきます。

母親は父親の機嫌を伺って黙っているか、時には泣いて「もうそんな怒らんでええけん。私がちゃんと後で躾けるけん。」と守ってくれたりもしました。「今お父さん機嫌が悪いから、先に寝てなさい」と言い、父親のいるリビングから遠ざけてくれることもありました。

だから、自分は母親が説教され、殴られているのを見たり聞いたりすると、すごく悲しくなるのでした。

中学受験、地獄の始まり

小学4年生になった時「お前、中学受験しろ」そう父親から言われました。

この頃から日能研という塾に通い、平日は友達と遊ぶことが出来なくなりました。休日は父親にマンツーマンで勉強指導をされることになります。

次の塾の授業の予習と今までの復習、それに加えて漢字、国語、算数、社会、理科のドリルなど朝から夕方まで付きっきりで教えられました。

通っていた塾の日能研では、2週間に1回くらいのペースで『カリキュラムテスト』というテストがありました。これがかなりえぐいテストでした。

2週間で学んだ内容が出題され、クラスの中で成績が丸わかりになるテスト。各科目及び総合点数の成績上位3名が毎回掲示板に載り、クラスの席順は前から成績のトップ順に座るというものでした。

『5・3・1・2・4・6』のような順番で最前列の真ん中の子が一番優秀とわかる仕組み。自分は塾に入った時、上から2番目のクラスで、このクラスの中で常に1番を取るように父親から勉強指導されていました。

カリキュラムテストで1位が取れないと「なんでお前は俺の息子なのに勉強が出来ないんだ、そんなんじゃ厳しい世の中でやっていけねえぞ」と罵られ、殴られたり蹴られたりしました。

殴られ蹴られる以外でも、ズボンのベルトで脅されたこともよく覚えています。ベルトを半分に折りパチンという大きな音を鳴らすのです。そして、そのベルトを思い切り机に叩きつけるのでした。

母親に対しても、「お前がちゃんと勉強見てないから、こいつがいつまで経っても出来るようにならないんだ」と詰め寄ります。そんな光景を見て、自分は罪悪感を募らせていきました。

成績があまり良くなかった時は、「誰の金で塾に行けていると思っているんだ。お前塾辞めさせるぞ」と脅されたこともありました。

塾では仲良くなった友達も多くいて、何より父親に見捨てられることが怖かったので自分は塾を辞めたくありませんでした。

「次のテストでは必ず1位を取りますので、頑張りますので、口だけではなく結果を示しますので、やめさせないで下さい」そう言いながら何度も土下座して泣いて懇願したこともありました。

母親からは日頃から父親の凄さを力説されていました。
「お父さんはね、私なんか田舎者じゃ想像できん位、頭がよくて優秀なんよ。他の人よりもいっぱいお給料稼ぐんよ、だからねお父さんには感謝せんといけんよ。」と言われてました。

『仕事も出来て有名私立大卒で頭も良い父親が絶対的に正しい。だから勉強できない自分が駄目なんだ。』とこの頃は思いこんでいました。

神童と呼ばれた自分、問題児の弟

小学校は自分にとって癒しの時間でした。周りの友達が「早く休日にならないかな」って言っているのが、家にいるのが辛い自分にはわかりませんでした。

中学受験の勉強をするようになってからは、学校のテストでは100点以外取ったことがなく、担任の先生からは神童だと言われるくらい頭がよかったです。そこでは皆が自分のことを認めてくれる空間だったのです。

ただ、弟はそうではありませんでした。
弟も自分と同じように中学受験の為に勉強をさせてられていました。
しかし、弟は自分と比べて勉強はそこまで出来ず、いつも自分と比べられていました。(とはいえ周りよりはかなり勉強できた部類)

「なおと(自分)は勉強が出来るのに、お前(弟)はどうして勉強が出来ないんだ」父親と母親に弟は評価されていました。

その当時、弟はその鬱憤を晴らすかのように小学校で大暴れしていました。
学校の窓ガラスという窓ガラスを割り、同級生とは喧嘩を繰り返し、母親が毎日のように校長先生と担任の先生に呼び出される日々。

俺は父親からの期待に応えるのに必死で辛かったですが、弟もすごく辛い思いをしていたんだと思います。

学年一優秀でいい子ちゃんだった俺と、学年一問題児だった弟。
真反対で対照的な兄弟ですが、根っこは一緒だったのだと思います。

俺は中学受験で何とか神奈川県で有名な中高一貫校(父親の母校)に進学し、弟は「こんな問題児は家に置いておくことは出来ない」という父親の判断で、地方の寮がある進学校しか受験させてもらえず、家から追い出されることになります。

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。
次は中学・高校編について書こうと思います。


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