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中田裕二「ランナー」「幻を突き止めて」を比較したら、アルバム「Sanctuary」が楽しみで仕方なくなった

トキです。中田さんの誕生日でもある今日4/17日、アルバム「Sanctuary」に先行して「幻を突き止めて」が配信スタートになりました。
MVも先日公開になり、以前noteでも記事を書いた「ランナー」のMVと対になっているのでは?と感じたので筆を執った次第です。
アルバムがより楽しみになったので、今日はその話をします。

 

 

それぞれの楽曲の配信、MVはこちら。

 

 

 

 

「幻を突き止めて」MV感想

画面の比率はスマホで主流な19:6とアナログテレビの比率4:3を効果的に切り替え、意図的に新しいものとアナログ感を融合させて演出している。

画質も鮮明な部分と、フイルムのようなざらつきが折り重なる。
使い捨てカメラを使っていた頃見慣れていた、赤いプリズムのようなノイズ、赤いバラに当たらないピントも印象的だ。

新しいものに色濃く織り交ぜられたノスタルジーは、楽曲の世界観そのものだった。

撮影場所もノスタルジックな「伊豆シャボテン公園」。
幼少期に何度か両親や親戚に連れられ行った記憶があるからか、懐古的な気持ちにさせられた。
階段を降りるシーンのあたりは、まるで思い出したくない過去の思い出を巡る小旅行に連れて来られかのようで。

 

「突き止める」
ノスタルジーとノイズを掻き分けた先に、中田裕二はいる。
聴手の手を引いて招くように、心では突き放すように、開きたくない懐かしさ込み上げるフォトアルバムを開かされるようにギターと歌声で静かに誘い込む。

中田裕二という人がかつての世代を愛すると同時に、今を確実に愛していることを感じずには居られなかった。

 

 

※「ランナー」MV感想は下記にて

 

 

比較、光の「ランナー」と、影の「幻を突き止めて」。

2曲のMVを見て感じたのは、その対称性。

「ランナー」は露出を上げてコントラストを強く。
「幻を突き止めて」は彩度はやや上げてコントラストは弱く。
そう撮影されていると感じた。
コントラストの使い方がとても対象的に感じた。

たとえば、光のまわり方で考えた時に。
「ランナー」は夏の朝のような鋭さがあって、
「幻を突き止めて」は春の午後の煙るような柔らかさがある。

カメラに例えると、
「ランナー」は白飛びしそうな明るいフィルターを使ったiPhoneのように。
「幻を突き止めて」は懐かしいフィルムカメラのように。

楽曲と共存するビジュアルワークの近代的な“光”が「ランナー」
どこか懐かしいメロディーを染み込ませるレトロさが際立つ“影”が「幻を突き止めて」

“光”と“影”、どちらが劣るとも勝るともなく、どちらも等しく美しいのが中田裕二さんの音楽だ。

これらの対象的な楽曲を包括するのが5/15発売のアルバム「Sanctuary」。

まだ見ぬ楽曲は“光”と“影”の間にあるのか、あるいはその外側にも広がるのか。
考えただけで楽しみで仕方なくなりました。

Sanctuary、聖域は必ずその外側にも世界が広がるものだから。
外界があるからこそ、迂闊に立ち入る事が出来ない聖域が生まれる。

その不可侵な聖域から中田さんは何を想うのか、外側から聖域をどう感じ取るのか。
もしくは聖域はかつての光でしかないのか。
自分の心の中にしか無いものなのか。
踏み入ることが出来ない誰かの聖域なのか。

Sanctuaryの楽曲を通しで聴く、発売が待ち遠しい。

 

そこにどんな聖域を見るのだろうか。
その後に控える同タイトルのライブツアー、「Sanctuary」もまた心待ちにしています。

 

ご清聴、ありがとうございました。

 

 

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