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becomeではなく beの生き方へ
しばらく、お籠もりしておりました。
皆様、お元気でしたか?
いろいろありましたが、この数ヶ月で、ぐるりと運気の潮目が変わった感じがあります。
1 負のループからどうやって抜け出たか
秋口、仕事が本当にきつくて、精神的にも参っていました。
夏に通っていたジムも、足を痛めてから通えなくなり、運動不足も相待って、
増えていくのは体重とストレスだけという悪循環。
なんとかしたいと思いながらも、どうにもできなかったのですが、
11月に入り、色々な意味での「断捨離」をしてみることに。
いらないアプリを消す、いらなくなってそのままになっているものを捨てる、
身の回りのものを減らす。
「これ、やめたいな・・・」とか「これ、やりたくないな・・・」と思っている
ものをすっぱりやめる。
服でも、
「これを着ると、どうも良くないことばっかり起きるな・・・」
「なんだか、調子が悪い・・」
というもの、ありますよね。
せっかく買ったものだけれど、思い切って処分することにしました。
そうすると、なんとなく色々なものの「流れ」が良くなってきたような。
惰性でお金を払ってきたジムを辞め、自分のために何かしようと思ったとき、
ふと思い出したのが「ヨガ」でした。
子どもの水泳や空手教室のあるジムで親子会員だった頃、
お世話になったヨガのK先生。
オンラインでも、Youtubeでも、ヨガの先生はたくさんいますし、
私もいろいろな先生に習って、筋トレやらピラティスやらやってきました。
が、
今、どうしてもその先生にヨガを習いたい、と。
もう、天啓としか思えない。
私の住んでいる街にも、大手のヨガスタジオが数ヶ所あります。
数週間、迷いに迷って、大手の体験に行こうかと思っていたとき、
ネット検索で小さなヨガ教室のサイトを2つ見つけたのです。
一つ目は、ヨガカフェ兼ヨガスタジオ。
こちらは、いつも利用している図書館のすぐそばで、道すがら「行ってみたいけどなあ」と思っていたお店でした。
もう一つは、個人で経営しているまだ新しいスタジオ。
「ん?これは!!!」
二つ目のスタジオこそ、私がずっと探していたK先生のスタジオだったのです。
一つ目のY先生は、K先生ともつながっており、
数年前に行こうかどうしよか、とても迷って結局参加できなかったヨガフェスの
主催者のお一人でした。
日曜日。恐る恐る出かけて行ったヨガカフェ。
私、たった一人の生徒のために、Y先生は時間を作ってレッスンをしてくださったのです。
「なかさん、またヨガに戻ってきてくださって、ありがとう。」
Y先生の暖かなこの言葉に、私の魂は癒され、感謝でいっぱいになりました。
Y先生のヨガレッスンを受けて、シャバアーサナで目が覚めた時、
「ああ、これだ・・・・」と。
たった1時間ちょっとのセッションを受けて、私の心身は、生まれ変わったようにスッキリと「整った」のです。
その後、週が明けて仕事に出ると
「なんか、スッキリしてる。」と友人に言われました。
そして、疲れが溜まる木曜日。
なんとか仕事と家の都合をつけて、
K先生のスタジオへ。
ドアを開けて、顔を見た瞬間
K先生の変わらない声と笑顔に、涙が出そうになりました。
思わず手を握り、何かを話そうとしても、嬉しくて言葉が出ませんでした。
心から会いたいと思っていた人に会えるって、こんなに嬉しいものなんだ。
5名ほどの小さなクラスではありましたが、
生徒の皆さんも、付かず離れずのちょうど良い距離感で、和やかな方ばかりでした。
12月から、念願のヨギーニ生活再開です。
2 再びのヨガで得られた気づき
Y先生のレッスンを受けた後に、私の中に降りてきた思いがあります。
これから自分は何になるか? ではなくて、今、どうあるか。が大事なのでは?
何かになる(become)というのは、未来があって、行動を起こさないと前に進めない。
けれど、どうあるか(be)というのは、今、この時の自分がどのような状態であるか、それを問題にするということ。
50歳というのは、老いの始まり地点なのだそうです。そこからは、下り坂を下っていく人生になると思うのですが、逆に捉えると、50歳からは、「削ぎ落としていく」「身軽になっていく」人生でもあると言えるのです。
〜になる、というのは、自分にさまざまな知識や地位が「身についていく」ことであり、身軽だった子ども時代から、色々なもので武装したり、装ったりしながら大人になっていくことが「become」
be(〜になる)+come (来る)という語の成り立ちからもわかりますよね。
〜である、の精神は、その逆で、重たくなった自分の外見を削ぎ落としていく作業であると思います。
自分の「芯」とは何か。
色々と着込んだものや、仕舞い込んだもの、手放せなかったものを手放して、本来の自分に戻っていくことが、自分の芯を探すことなのではないか。
be=ちゃんとある、存在する という意味だもの。
今、この時の自分は、どうあるべきか。
その積み重ねが、今日であり、これからの人生であると思うのです。
遠く上を見るばかりでは、下り坂ですから、到達点は見えません。
山を下るように、一歩一歩を踏み締めながら、歩みを進めていくこと。
いつ、その道程が終わったとしても、後悔しないように進むこと。
このことを、ヨガを通じて改めて考えることができました。
50歳を過ぎて、どう生きるかを考えることは、
とても苦しいけれど、大切なこと。
思い通りにならない体と心に抗って、悩んで、怒ったり塞ぎ込んだりしたけれど、その先にある「答え」を自分で見つけられれば、このトンネルは抜けられる。
来る新年を前に、良い締めくくりになりそうです。
ナマステ!
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